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今年9月、ある一枚の写真が世界に大きな襲撃と悲しみをもたらした。トルコ海岸に打ち上げられたシリア難民の3歳の男の子、アイラン・クルディ君の姿を映した一枚だ。シリア紛争が深刻化する中で、ヨーロッパへ移住を目指してボートに乗った難民船が転覆し、幼い命が犠牲になった。この写真を目にした誰もが思ったはずだ。「今、世界で一体なにが起きているのか?」と。

2014年に世界中で国内外に移動を強いられた人々は約6000万人、そのうち1400万人が難民となるなど戦後最悪の状況だ。とりわけシリアの内紛では3年前の約10倍の400万人以上が難民となり、一日に何千人という人々が、ヨーロッパ各国に押し寄せるという異常事態が起きている。このことは、日本国内でも「欧州の難民問題」として大きくニュースに取り上げられた。シリア難民に対するEU各国間の対応にもばらつきがみられているなど、世界は一筋縄ではいかない難民問題に直面している。

終わらない紛争、増える難民、追いつかない対策と支援――私たち一人ひとりが、自分になにができるのかを考えるには、あまりにも問題が大きすぎる。

しかしこうした状況の中で、NGO、JICA、UNHCRや国際協力に関わる現場では、多くの日本人が難民支援活動に携わっているのをご存知だろうか。また日本は、長期にわたりUNHCRにとって世界上位の資金拠出国でもある。私たちの税金がODA(政府開発援助)として、難民支援のための大きな力となっている。日本は、決して難民問題から遠い国でもなければ、無関係でもないはずだ。

今回、難民支援の現場で日々奮闘している女性、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所 広報官の守屋由紀さんにインタビューをした。彼女が国際協力の現場に携わることになったきっかけから、今、私たちが知らなければならないグローバルイシュー「難民問題」について詳しくお話を伺った。

左上写真:2015年5月のレバノン訪問時の守屋さん。

1962年東京都生まれ。父親の仕事の都合で、幼少期より香港、メキシコ、アメリカなどで海外生活を経験。獨協大学法学部卒業。住友商事勤務。アンダーソン・毛利法律事務所などを経て、1996年より国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所に勤務。代表秘書や上席連絡調整官を歴任し、2007年より現職。日本国内の人々へ向けて難民問題に対する関心・意識の啓発や、難民支援への理解を深める広報活動に従事する。

UNHCRは、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つ。紛争や迫害により難民や避難民となった人々を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っている。1954年、1981年にノーベル平和賞を受賞。スイス・ジュネーブに本部を置き、約125か国で援助活動を行っている。

■UNHCRへの募金・寄付はこちらから▼
「もし、明日、故郷を追われたら(国連UNHCR協会)」https://www.japanforunhcr.org/

現在、UNHCRで難民支援に携わる守屋さん。国際協力の道を選ぶきっかけになったのは、メキシコで過ごした幼少期の原体験と、就職活動時代の体験だと話してくれた。

父親の仕事の関係で、幼少期をメキシコで過ごした守屋さんは、貧富の差が激しい格差社会のメキシコで、自分と同じくらいの年齢の子どもが物乞いをする姿を、子供ながらにとても嫌悪していたのだという。「なぜあんなことをしていなければならないのだろう?」。大人になるにつれて、それは子どもたちのせいではなく、社会全体の構造や仕組みの軋轢から生まれる悲劇なのだということを知った。しかし、守屋さんの心の底に芽生えた疑問符はずっと心に残り続けていたのだという。大学卒業後の就職活動では、国際機関への就職を夢見て奔走するも、ようやくたどり着いた国連広報の面談で「今、あなたには一体何ができるの?」と問われ、何も答えることができず、自分の未熟さを痛感した。

その後、商社、法律事務所といった組織での紆余曲折を経て、再び国際協力の仕事に就けるチャンスが訪れた。それが現在、守屋さんが勤務しているUNHCR(国連難民高等弁務官駐日事務所)だ。それはまるで縦糸と横糸が合わさったかのような瞬間だった。「どうしてメキシコの子どもたちは物乞いをしなければならないのか?」という糸と、「自分は国際支援の現場で一体何ができる?」という糸が交わり、その問いに挑むことができるステージに立てたのだった。

守屋さんがUNHCRで駐日事務所の代表秘書に着任した当時、第8代国連難民高等弁務官として緒方貞子さんが活躍していた頃で、UNHCRがメディアでも注目されていた。緒方貞子さんは、日本人で初めて国連難民高等弁務官として、難民援助活動の最前線に立って指揮を執っていた。「ひとりの日本人女性が世界でこんなに活躍しているなんてかっこいいと思いませんか?」 きらきらと輝く目とハツラツとした表情でそう話す守屋さん自身、バイタリティにあふれて、難民支援に対する熱意は人一倍だ。聞けば、現在、UNHCRで働く日本人の半数以上が女性なのだという。国際協力の現場では、女性の母性と忍耐力は非常に有効だと感じていると守屋さん。「みんなたくましいですよ。部屋の中にネズミが巣を作って子どもが生まれたら、名前を付けていっちゃうくらいに。(笑)」 たくましく、強く、そして熱い情熱を持った日本人女性たちが、あなたの知らないところで難民問題と向き合っている。

難民がいなくなる日 UNHCR 広報官 守屋由紀さん インタビュー(2)へ続く。