「今週末ウチくる?」カレー店で初デートしたら、家への誘いに女性から“OK”が出た。その理由とは
カメラマン、クリエイター、カレーをスパイスから作る男──。
これらの男性は“付き合ってはいけない男・3C”であると、昨今ネット上でささやかれている。
なぜならば、Cのつく属性を持つ男性はいずれも「こだわりが強くて面倒くさい」「自意識が高い」などの傾向があるからだそう。
果たして本当に、C男とは付き合ってはならないのか…?
この物語は“Cの男”に翻弄される女性たちの、悲喜こもごもの記録である。
カレーをスパイスから作る男/奈那(28歳)の場合【前編】
「山本さんはどうです?独身ですよ」
「うーん…優しそうだけれど、なんかピンとこない」
「総務部の鈴木君は?彼女募集中だって言っていました」
「あんまり印象にないなぁ…」
大手損害保険会社のランチタイム。
春の陽ざしが降り注ぐ吹き抜けの社員食堂の中2階から、日比野奈那は後輩の新川美月と共に、ショーウインドウを覗くように若手男性社員を眺めていた。
4月の希望にあふれる季節だというのに、浮かない顔をしている奈那。
ついこの前、2年間交際していた恋人と別れたばかりなのだから、それも仕方のないことだった。
「いいと思いますけどね、ウチの会社の人」
奈那の元気がない様子を見た美月は、お節介にも社内恋愛を勧めてくれている。それでも奈那の渋い表情は変わらない。
「確かに、ウチの会社は真面目な社風で、狙い目というのはわかるよ。ただ、それだけの人が多いのよね。面白みがないというか…」
前の彼氏と交際前、先輩や同僚から誘われ、社内の男性とは何人かとデートしたことがある。
だが、そういうマニュアルが社内で出回っているのかと思うほど、誰も彼もが何の印象にも残らない、判で押したようなつまらないデートだったのだ。
「でも元カレさんは、お役所勤めの方だったんですよね」
「うん、やっぱり一緒にいてワクワクするようなところがなくて。見た目は好みだったけど、今思えば、刺激のない2年間だったの」
元カレとも、毎週カレンダー通りに土曜のデートを繰り返す日々だった。
行く場所も、ショッピングモールや家族連れでにぎわう観光地。もしくは誰もが知るレストラン。優しくいい人だったが、無趣味で自己主張がない人だった。
別れを切り出したのは、奈那から。
「お互いに仕事が忙しく、気持ちがすれ違ってると思う」などとそれらしい理由をつけて別れたものの、本当の理由は「トキメキがなく、つまらないから」だった。
― 後悔していないけど、やっぱりひとりは寂しいものよね…。
ランチのポークカレーを口に運びながら、奈那はため息をつく。
カレーはおそらく、業務用レトルト食材だろう。辛さをほとんど感じないものの、子どもの頃から馴染みあるような庶民的な味わいが、花冷えの奈那の心を優しく包んだ。
平日週5日、勤務は9時17時。特別な趣味もなく、退屈な毎日。
勤務先が比較的お堅い社風だからか、就職してから新規で知り合う人々は似た雰囲気で固定化されている。
安心感があるが、奈那には物足りなくもあった。
― ま、私も誰かから見たら、退屈な普通の女よね。だけど…。
次に交際する人は、危険な匂いのする男…とまではいかずとも、平坦な日常にスパイスを加えてくれるような面白い人がいい。奈那は密かにそう考えている。
「ま、急いでいないから、私なりにのんびり探すよ」
「奈那さんなら、すぐいい人が現れますよ〜」
根拠のない美月の軽口に、奈那は苦笑いする。しかしその言葉通り、程なくしてピンとくる相手が、奈那の目の前に現れたのだった。
「小嶋勝次です!よろしくお願いします」
新年度の朝礼で、他の異動者と横並びのなか、ひときわ大きな声を上げて挨拶をする男に奈那は目を奪われた。
「入社7年目、法人営業部から来ました。金融事業部でも、恋に仕事に全力投球したいと思います!」
コミカルな自己紹介に、年度初めの緊張感で張りつめていたオフィスの空気は一気に和む。
聞けば小嶋は、大学では野球部に所属していた体育会系だという。卒業を機に野球は引退したが、今はなんとクリケットのクラブチームに所属し、汗を流しているのだそう。
草野球ではなくあえてクリケットという彼に、奈那の好奇心はうずく。
がっしりとした体形に、アンバランスなベビーフェイス。天然パーマ気味のくせっ毛やお洒落に整えられたアゴヒゲも、彼の個性を際立たせている。この会社には珍しいワイルドなオーラを放つ人だった。
― なに、この人…。ちょっと面白いかも。
◆
そんな奈那の予感は的中したどころか、小嶋のユニークさは想像を超えるものだった。
歓迎会の店として小嶋が自らリクエストしたのは、会社近くのインド・ネパール系ダイニング。会社の飲み会にはまず使われないような、路地裏にある個人の料理店だった。
「ここはダルバート目当てにランチに通っていた店ですが、一度宴会で来てみたかったんですよ。インネパ店のつまみって美味しいものが多いんです。ここは定番のセクワはもちろん、モモ、アチャールやパニプリも置いてあるので」
参加者の誰もが、小嶋の放つ謎の言葉の数々にキョトンとしている。
ちなみにダルバートとは、ネパールの国民食と言われているカレーなどがセットになった定食のことだ。インネパとは、その通りインド・ネパールを略したもの。セクワとは、スパイスに漬けたお肉を直火で焼いた料理。モモはネパール風の餃子、アチャールはお漬物、パニプリは揚げ菓子だという。
説明があったとはいえ、一見グロテスクで得体のしれない大皿料理…。誰も手が出せない。
「奈那さんから食べてくださいよ」
「いや、美月ちゃんからどうぞ」
譲り合いながらも、奈那は恐る恐る各々口にした。
― !?
奈那だけではない。後を追って誰もが口に入れた途端、表情が華やいだ。
「え…おいしい」
「たまにはこういう店で飲み会をするのも発見があっていいですね!」
どれも独特な味わい。しかし、抜群にお酒に合った。
特にマトンのセクワは、漬け込んだスパイスの風味が肉の旨味を存分に引き立てて、濃厚なコクある美味しさ。重厚で芳醇な香りも食欲をかきたてた。想像よりも辛味は優しく、それでいてインパクトがある。
生まれてこの方味わったことのない食感が、口の中にひろがる。脳内の細胞が一気にはじけ、新しい世界の扉が開いた。そんな感覚だ。
「みなさん、そんなに喜んでくれるとは…」
「小嶋さん!めちゃくちゃ美味しいです。おかわりしたいくらいです」
奈那は小嶋に、心からの礼を言う。
誰よりも箸が止まらない奈那を、小嶋は感極まった表情で見つめていた。
1歳違い。部署も同じ。なおかつ味覚を同じくする奈那と小嶋が親しくなることに、時間はかからなかった。
歓迎会の翌週には、会社周辺のインネパ料理店巡りをする仲になっていたのだ。スパイスカレー店探訪を理由にふたりきりでランチに出向き、微妙な距離感を手探りで測りながら、軽口を叩きあうことが日課になった。
「小嶋さんは、どうしてクリケットをはじめようと思ったんですか?」
「そりゃわかるでしょ。南アジアのソウルを感じるためにだよ」
「クリケットってインドが盛んだって聞きますからね」
次第にお互いの個人的な話もするようになっていった。
そんな日々のなか、営業帰りに訪れたのは、八重洲地下街にある『南インドカレー&バル エリックサウス』だ。
本格的な南インド料理が気軽に食べられる有名店で、小嶋のお気に入りだという。
「ここのミールスは、禁断症状が出るほどハマるから。しかも、奈那さんのためにマニア向けをチョイスして頼んだから気をつけて!」
「うわー、来るの楽しみです」
ミールスとは、南インドの定食のようなものだ。以前小嶋が話していたネパールのダルバートと同様に、カレーや副菜などがセットになった料理である。
ほどなくして注文の品が運ばれ、小嶋とカウンター席で肩を寄せながら、ミールスと向かい合う。奈那は深く深呼吸し、スパイスの香り高さにうっとりしながら、カレーを口に運んだ。
「一口目からハーブの風味がガツンと来ますね!」
「うんうん、そうなんだよ。お勧めした甲斐あるなぁ」
「パパドも香ばしいし、バターチキンもまろやかで美味しい。バスマティと混ぜたときの味のバランスもなんというか…最高に絶妙です」
「ターメリックでもイケるから、次来た時は食べ比べしてみるといいよ」
カウンターで肩を並べ、ふたりで交わす呪文のような会話は、心の距離をさらに縮めた。
― 自分が美味しいと思うものを、隣の人も同じように美味しいと言ってくれる。そんな些細なことが、こんなに嬉しいなんて…。
感覚を共有することで、芽生えたほのかな気持ち。スパイスという魔薬がさらにその感情に拍車をかけていた。
「…カレーって奥が深いですね」
奈那はなにげなく呟いた。小嶋はその言葉を待ち望んでいたかのように、身を前に乗り出す。
「だよね!知れば知るほどその先に行きたくなる。最近は、スパイスの研究もかねて、全てを自分好みにカスタムしたカレー作りに挑戦しているんだよね」
「え、おいしそう。いつか食べさせてください」
話の流れで素直な気持ちを口に出すと、ターリーの上でカレーを一心不乱に混ぜていた小嶋の手が、突然止まった。
「いつか、じゃなくて──」
「はい?」
「もしよかったらさ、今週末、ウチに食べにくる?」
弾んだ言葉のリズムが途切れ、声は微妙に上ずっている。小嶋なりに、何かの覚悟を決めているような気がした。
彼の密かな想いになんとなく気がつきながらも、奈那は無垢を装いながら、「ぜひ」と即答する。
まさか、この小さな恋心を一瞬でかき消すような出来事が起きるなど…この時の奈那は知る由もなかった。
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期待に胸を膨らませながら、奈那は小嶋の家に行ったが…