◆これまでのあらすじ

夫・光朗の元不倫相手の松島さくらと対面した楓。付き合っていた当時、光朗に投資のアドバイスをしていたという松島から、彼の隠し財産について話を聞く。
自宅を探してみると、見覚えのないアタッシュケースを発見。中にはインゴットと呼ばれるゴールドの塊が大量に隠されていた。

▶前回:突然家を出ていった夫。残っている荷物を調べると、スーツケースの中からとんでもないモノが…




Vol.10 私だって息抜きがしたい


楓は、公園のベンチに座り、ぼーっと地面を見つめていた。

「楓さん?どうかした?」

子どもたちを追いかけまわして遊ばせていた晴子が戻ってきて、楓は我に返る。

「ごめん、ごめん。ぼーっとしちゃって。最近、考えることを放棄して現実逃避しがちなんだよね」

「調停も大事だけど、たまには息抜きしたほうがいいよー。なんなら花奈ちゃんうちで預かるからさ」

晴子が離婚経験者らしい気遣いを見せる。

「うん、ありがとう」

現実逃避と言いつつも、楓の頭の中はさっき晴子が教えてくれたゴールドのことでいっぱいだった。

「晴子さん、夫が隠していたアタッシュケースについてなんだけど…。2段重ねのお弁当箱みたいになっていて、上には時計を収納するための仕切りのついたケースがあって、その下にゴールドが入ってたの。でも時計はひとつも入ってなくて」

楓の説明を聞いた晴子は、目を輝かせる。

「すごい!時計が入ってたら、超高級2段弁当だったね」

晴子の言い方がおかしくて、楓は吹き出した。

「やだ、晴子さんってば。でね、元浮気相手の松島さんは、『ゼロハリバートンのアタッシュケースが2つある』って言ってたんだけど、うちにはひとつしかなかったの」

晴子は楓の話をじっと聞いてから、パッと目を見開いた。


「わかった!この間、ご主人が来て持って行ったんじゃない?楓さんの留守を狙ってアタッシュケースを取りにきたんだよ、きっと」

晴子のひらめきに、楓もハッと顔を上げた。

「確かに!でも、出ていく時手に荷物持ってたかなぁ?手ぶらだったような気がするけど…」

楓は、光朗が家にやってきた時のこと を必死に思い返した。あの時夫は、ソファに座り、自分勝手な言い分を述べ、そして何も持たずにそそくさと帰って行ったのだ。

手には何も持っていなかったような気がする。

「楓さんが帰ってきちゃったから、仕方なくあなたを攻撃して、手ぶらで逃げたのかも」

晴子がもっともらしく推測した。

そういえば松島は、夫について「息を吐くように嘘をつく」と言っていた。

楓もあの時は「そうなのかも…」と思ったし、実際自宅から松島の証言どおりのアタッシュケースが見つかったから、松島の言うことが真実の可能性はある。

だが、本当に夫がそういう人間だと決めつけていいのか。

疑いの目を向け、夫に嫌悪感を抱いたまま離婚してもいいのだろうか、という迷いが楓にはあった。




「でも、それ以外にもう一回、私の留守に家に来ていたと思うの。家に帰ったら、開けていたはずのリビングのドアが閉まっていて…。

もしかしたら、暴言を吐いていった日 はアタッシュケースを持っていけなかったから、後日またこっそり取りに来たとか?」

楓が1人うなずいていると、晴子が「あっ!」と声をあげた。

「でもおかしくない?楓さんが留守なら、2つとも持ち帰ればいいじゃない。ゴールドってどのくらいの重さなの?」

確かに晴子の言うとおりだ。

インゴットと呼ばれるゴールドの塊は、全部で20数個入っていた。縦5cm、横2cm程度の縦長の形状だが、4cmほどの厚みがある。写真を見返すと、100gの刻印があるから、アタッシュケースごと持ち上げても3キロ前後だろう。




仮にもう一つのアタッシュケースにも同じだけのゴールドが入っていた場合、男性なら両手で2つとも持って出ることは容易だ。

「アタッシュケースは、片手で持てる重さだと思う。なのに1つしか持ち帰らなかったとすると、何か別の目的があったってこと?怖すぎるんだけど」

楓はあの時の異常な様子の光朗を思い出し、身震いした。

「そうね。でもアタッシュケースの他に、持ち帰りたいものがあったのかもしれない。ここで理由を考えても想像でしかない。

ところで、楓さん。そのアタッシュケース、家に置きっぱなしなの?」

晴子が心配そうに尋ねる。

「うん。でもゴールドだってわかったから、家に置いとくのはやめた方がいいよね。また取りにくるかもしれないじゃない?」

「でも楓さん。ご主人がまた取りに来て、それがなかったら焦るんじゃない?」

光朗と2人だけで向き合うことだけは避けたかった。

「真壁先生に相談して預かってもらおうかな」

真壁に預け、調停の場でゴールドを見つけたことを相手に知らせれば、もう楓の留守を狙って家に来ることはないだろう。その上、財産分与のリストに新たな財産も追加されるはず。

そう決めると、楓の気持ちはすこし軽くなったのだった。

しかし、アタッシュケースのことを教えてくれた松島は、中身がゴールドだと知っていたのだろうか?

先日松島に「アタッシュケースはあった」と連絡した際、中身も知らせるべきだったのだろうか?

そうすることでもしかしたら、松島から新たな情報を聞き出すことができたのかもしれない。楓はいまさらながら、あの時の自分の行動が適切だったのか、もやもやと考えていた。




翌日。

「お姉ちゃん、ただいま。とりあえず、ビールもらえる?」




会社終わりの妹の麻美が、楓の自宅マンションにやってきた。まるで男性サラリーマンのように煩雑に脱いだジャケットをソファに放り投げてから、深々と座りこむ。

「花奈―。お姉ちゃん今日からしばらく、花奈のおうちに帰ってくるからねー」

麻美は、姪っ子である花奈に陽気に絡み、花奈も大喜びだ。

だが、しばらく花奈とじゃれあっていたかと思うと、麻美はふいにくるりと楓の方に向き直って言う。

「お姉ちゃんも大変だね。旦那が出て行ったと思ったら、調停も難航してるなんて」

麻美は気の毒そうにため息をついた。

「ま、仕事もここからの方が近いし気にしないで!私は私で自分の家のように勝手にやるから、私がいる間にお姉ちゃんは自分の用事済ませてよ」

急遽麻美を呼んだのには理由があった。

今週末、友人の結婚式があるため、花奈と一緒に留守番を頼みたかった。

また、次の調停までに、楓と光朗が別居ではなく、ちゃんとこのマンションで結婚生活を送っていたことを証明する資料を作成しなくてはならない。

いろいろ意見を聞いたり、愚痴を言ったりする相手が自宅にいると心強いと思ったのだ。

「ちょっと花奈と遊んでくれるだけで助かるー!それに、家に私と花奈だけってちょっと心細かったんだ」

子どもの頃から、楓と麻美は性格が正反対だった。

昔から人に頼らず、自分で達成することに喜びを見いだすタイプの麻美は、男性と付き合っても結局一緒にいる意味を見いだせず、長く続かないことが多い。

「お姉ちゃんみたいな人こそ、さっさと新しい相手を見つけるべきだよ。私なんて、なんでも1人でできちゃうから、どんどん結婚が遠のいちゃう」

今の楓からしてみれば、仕事があり、1人で自由に生きている麻美が羨ましい。けれど、そんな言葉は飲み込み、楓は茶化すように反論する。

「まだ離婚もしてないんだよ、そんなの無理に決まってるでしょ?だいたい子どもだっているのに」

「お姉ちゃんは、真面目だからなー。ところで、例のゴールドはどうなったの?」

麻美は実物を見てみたいと目を輝かせたが、ゴールドはすでに午前中に真壁に預けてしまっていた。

「ごめん、持ってるのも怖くて弁護士に預けちゃった」

真壁は、すでに調停が始まっているのだし、拗らせて自分に不利になるような行動は普通ならしないだろうと言った。また、向こうが4年前からの別居を主張し始めた以上、そうやすやすと家に来ることはないとも。

「なーんだ。見てみたかったな。でもさお姉ちゃん、ゴールドが見つかったのはラッキーだったね。いくら相当なの?財産分与の額、増えるんじゃない?」

真壁に預けたゴールドがどの程度の価値があるのか、実は楓は考えたこともなかった。晴子もゴールドは値上がりしてると言っていたが、光朗に対する恐怖が先立ち、金額は後回しになっていたのだ。

「それが、計算したことないのよね」

楓が打ち明けると、麻美は呆れた様子でスマホの画面を手繰り、相場を調べ始める。

「はい、あった。この店だけど、今日の時点で買取価格は1g13,029円って書いてある。ってことは?」

麻美がスマホの電卓を叩く。

「えっ?ざっと2,600万だよ?」

麻美が声をあげるや、楓は麻美のスマホを覗き込みまじまじと画面を見た。

「ほんとだ…。ゴールドってすごいんだね…」



麻美がやってきてから数日が経った。

「じゃ麻美、花奈のことよろしくね」

日曜日の今日は、大学時代の友人の結婚式がある。

こんな状況だし、楓は出席を見送るつもりだった。だが、同級生同士の結婚式は同窓会のようなものでもある。出欠の返信期限のぎりぎりまで悩み、晴子か麻美に花奈をお願いした結果、やはり行くことに決めたのだった。

「調停のことは忘れて、楽しんできてね」

麻美と花奈に見送られ、楓は軽やかな足取りで自宅を出る。

ドルチェ&ガッバーナの黒のチューブドレスを纏い、髪はエレガントなアップスタイルにまとめた。出席を迷っていたものの、たまにこうして思い切りおしゃれをしてみると、不思議と心も晴れやかになる。

楓は久しぶりになる離婚とは関係のない外出に心を躍らせながら、お台場の海を一望できるホテルのラウンジに向かうのだった。




「さっすが、渋谷区在住のセレブ妻って感じだね」

身綺麗にした楓の姿は、余裕のある妻に見えるらしい。披露宴会場では度々、現状を知らない同級生たちから羨望の言葉がかけられたが、楓は笑って流すことしかできないでいた。

否定したい気持ちもあったが、夫が家を出て離婚調停中なんて、こんなおめでたい席で口にする必要はないだろう。嘘でも隠しているわけでもなく、常識的なことだと楓は思った。

結婚したばかりの友人。仕事が順調な友人。来月から夫の海外赴任についていく友人…。みんなそれぞれの生活を楽しみ、キラキラと輝いて見える。

「披露宴、始まる前に化粧室行ってくるね」

楓は居心地の悪さを感じ、さりげなく会話の輪から外れた。テラスで少しだけ外の空気を吸ってから戻ろう。

そう思って階段を下りていった…その時だった。

「あれ?もしかして楓?」

聞き覚えのある声に、楓は振り返る。

背後から声をかけてきたのは、大学時代の元彼・賢司だ。

「え?やだ。来てたの?」

「久しぶり。っていうか、あれ以来だな」

あれ以来とは、別れて以来ということだろう。

賢司とは大学2年生のあたりから4年ほど付き合った。だが、ゼネコン勤務の賢司が関西に異動になり、関係は自然消滅。いつが別れた日だったか考えても、きっとお互い違う風に記憶しているに違いない。

賢司について嫌な思い出はない。忘れてしまったのかもしれないし、大人になる過程で嫌なこともただの思い出に変わっていったのかもしれない。

ただひとつ言えるのは、遠い将来、賢司との結婚を夢見た時期はたしかにあったということだ。

だが当時はお互いに若くて、それぞれが飛び込んだ社会で生きていくことに必死だった。仕事を覚えて自分の居場所を見つけること。それが最重要事項だった。

自然消滅から数年後、共通の友人から、賢司は海外に転勤し日本にはいないと聞いたことがあった。

「いろんなところに転勤してるって聞いたけど、いつから日本にいるの?」

「2年くらい前かな」

心なしか若い頃よりも、顔つきが精悍になってように感じる。

仕立てのよいスーツに日に焼けた肌。体を鍛えているのが、ジャケットの上からでもよくわかる。

「楓は?結婚したんだよな」

賢司の方も、楓のその後を知っていた。

「うん…」

楓は短く答え、それ以上は何も言わなかった。

賢司も結婚してるんでしょ?と聞こうとした時、背後から「楓ー、時間だよ」と自分を呼ぶ声がする。

「始まるな。いこっか」

賢司が先立ってドアを開け、楓を促した。

「ありがと」

小さく礼を言って微笑み、賢司の横を通り会場の中に入った。

すると、その瞬間。楓の動作でその場の空気が動いたのだろうか。

すぐ近くにある賢司の大きな体から、ふわりとシトラスのフレグランスが漂い、楓の鼻腔をくすぐる。

「この香り…」

あの頃と変わっていない。付き合っていた頃と同じ、賢司の香りだ。

突然の香りに記憶を刺激され、思わず賢司を見上げると、ぴたりと目線が合った。

どうやら賢司の方も、楓のことを見つめていたらしい。

「あ…」

思わぬ衝撃に、楓は反射的に視線を逸らす。

そして、言いようのない胸騒ぎを振り切るように、小走りで席へと向かった。




▶前回:突然家を出ていった夫。残っている荷物を調べると、スーツケースの中からとんでもないモノが…

▶1話目はこちら:結婚5年。ある日突然、夫が突然家を出たワケ

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東カレWEB編集部