◆これまでのあらすじ
大手メーカー人事部で働く未来(25)は、交際4年の彼氏・悠斗と2年後を目処に結婚を約束している。職場の先輩・亜希子の協力で「結婚までにしたい10のこと」を集めたウィッシュリストを作成。代官山のクラフトビール店で、早速1つ目のウィッシュ「ビールのおいしさを知る」を達成するが…。

▶前回:「まだ海外に行ったことなくて…」震災・コロナ禍で遊ぶ機会を奪われた25歳女のリアル




Vol.3 25歳、初めての海外旅行


― あと5分で会議が終わる。持ちこたえるんだ、私…。

未来は生まれて初めて、一睡もせずに次の日を迎えている。

昨日は、クラフトビールの店で知り合った2人組と、終電がなくなるまで飲んだ。

先輩・亜希子が「眠い」と言って帰ってしまった後も、未来は酔った勢いで残り、その2人組の上司が飲んでいるという麻布の会員制カラオケに合流した。

― 午後イチの会議はつらすぎる…。でも、だらしないところを見せてはだめ。

午前中は不思議と力が湧いてきて、フルスロットルで駆け抜けることができた。しかし昼下がりの今、未来は薄暗い会議室で必死に瞼をこじ開けている。

― 昨日の人たち、飲み方も、お金の使い方も、けた違いだったな。露出高めの女の子もいたし…。

未来にとってはすべてが物珍しく、まるでナイトサファリに行ったかのような気分だった。

空が白む頃、一緒に飲んでいた人たちは各々に、広尾、白金台、恵比寿へとタクシーで帰っていった。未来は、本当は三鷹の実家に住んでいるが、何となく「三鷹」とは言えず、姉の美玲が住む南青山のマンションに帰った。

― …突撃して、お姉ちゃんに迷惑かけちゃった。

明け方だというのに、美玲は小言ひとつ言わず、「着るとテンションが上がるから」とヨーコチャンの白いワンピースを貸してくれた。

「未来ちゃん、朝から『シャワーと服を貸してください』なんてLINEが来るから驚いたけど、お酒飲んでただけなのね?とりあえず酔いをさましてこれに着替えなさい」

そう言ってくれた美玲の顔が浮かぶ。

― …この会議、あと何分で終わるんだ?

うっかり背もたれに寄りかかると、自然と瞼が下がってきてしまう。小さく咳ばらいをして、背筋を伸ばした。

どうしかして目を覚まそうと、未来は、先ほど姉を誘った“楽しみすぎるイベント”――ハワイ旅行のことを考える。



「お姉ちゃん、2人でハワイに行こう」

つい数時間前、未来は美玲にそう言った。

ウィッシュリストの1つ、【ハワイのハレクラニに泊まる】という項目を、一緒に達成したかったのだ。

その場でトントン拍子に話が進み、「来月、6月中には行こう」ということで決まった。

元インフルエンサーの美玲は、結婚前はPR案件で生活していたが、今は経営者の夫と暮らす専業主婦だ。

今はSNSは何もやっておらずマイペースに生きているので、「未来が休める日に合わせるよ」と言ってくれている。

― 楽しみ。有休、取れるといいなあ。



6月。

未来と美玲は、ホノルルの空港に降り立った。

― 本当に来ちゃったんだ。

午前中だというのに真上からカッと照り付ける太陽に、未来は、持ってきたサングラスを慌ててかける。

「チェックインの時間まで、アラモアナでぶらぶらしようか。3泊5日しかないんだから、急いでハワイモードに気持ちを切り替えよう」

ハワイには何度も来ているという美玲が、慣れた様子でタクシーの方に歩き出す。

「まずはここ」と連れてこられたのは、ルルレモンだ。

「このウェアすごくかわいい!着て行こうかな」

試着室に入り、『ALOHA』と書いてあるハワイ限定のウェアに身を包むと、ハワイが自分を歓迎してくれているような気持ちになってくる。すぐに購入を決めた。

「いいねえ。未来ちゃん、私も色違い買っちゃった」

美玲が掲げるショッパーを見て、未来は嬉しくなる。

「お姉ちゃん、私をハワイに連れてきてくれて、ありがとう」

早くも感極まる未来を見て、美玲は笑った。

「未来ちゃん、まだ旅行は始まったばかりだよ。とりあえず、ホテルに行ってのんびりしようか」

「うん!ああ、何もかも楽しみすぎる!」

太陽の光を浴びると、身も心もほぐれていく気がする。




「未来ちゃん、こちらが本日のお部屋です。思い切ってラナイ付き、オーシャンビューのお部屋にしました」

ハレクラニの部屋に入ると、予約をしてくれた美玲がおどけて言った。ラナイとは、いわゆるベランダのことだ。

「わあ…」

窓から見える青い海と青い空に、ため息が漏れる。

「風が気持ち良い…波の音ってこんなふうに聞こえるんだね」

― ハワイの空と海は違うってみんなが言うけれど、こういうことだったのね。

周りの人が言っていたことが、実体験となって未来の体にすとんと落ちる。

― 経験してみて初めて理解できることって、たくさんあるんだな。

そよ風に頬を撫でられながら、未来は大きく深呼吸をした。

「未来ちゃん、飛行機でガイドブック片手にいろいろ考えていたけれど、どこか行きたいところはある?」

美玲が、ミニバーからビールを持ってきて未来に渡してくれる。

「うーん、なんかどうでも良くなっちゃった。この太陽と風を感じながら、思いのままに過ごしたい」

すっかり開放的な気分になった未来は、ビールを一口飲むと、デッキチェアに寝そべった。




「……未来ちゃん、未来ちゃん」

美玲の声にぱっと目を開けた未来は、一瞬ここがどこだかわからなかった。

「あれ…そうか、私たち、ついにハレクラニに来たんだ。今何時?」

「朝6時だよ。ビール飲んだ後、シャワー浴びて戻ったら、未来ちゃん、ベッドで爆睡してるんだもの。びっくりしちゃった」

― そうだった。飛行機で全然寝てなくて、仮眠を取ろうと思ったら、ベッドがふかふかで…。

「私、朝まで寝ちゃったの?」

「うん。私も時差ボケで起きちゃって、スタバ行こうかなって思ってたところ」

未来は、ベッドから起き上がった。

「10分待って…私も行く!」

急いで支度をして外に出ると、カラカウア通りには、すでに散歩している人がちらほらいる。

「ねえ、お姉ちゃん、あれ食べたい!」

通りかかったABC Storesで売られているスパムむすびを見て、未来は自分が空腹だったことを思い出す。

「ええっ!?未来ちゃん本気?」

「お願い!だってすごく美味しそうなんだもん」

美玲を説得し、2人でビーチに座ってスパムむすびをほおばると、美玲が言った。

「おいしい!私、未来ちゃんとハワイに来られて良かった」

未来は、驚いて美玲の横顔を見た。

「へえ、なんか意外。グルメな港区女子でも、スパムむすびはおいしいんだね」

「“元”港区女子だからね!ねえ未来ちゃん、これ食べ終わったら、カイルアに行こうよ。いつもなら海なんて入らないけど、泳ぎたくなっちゃった」



未来と美玲は、プアラニで水着を調達すると、カイルアに向かった。

初めてチャレンジするシュノーケリング。未来ははじめは恐怖を感じていたが、呼吸のコツをつかむと、次第に周りを見渡す余裕も出てきた。

― サンゴ礁、きれい。遠くで泳いでいるのは、まさかウミガメ?

海の中をすこし覗いただけで、自分をちっぽけに感じる。本物のダイバーが聞いたら笑われそうだが、未来は純粋に感動していた。

顔を上げると、一足先に海から出ていた美玲が手を振っている。

「未来ちゃーん、初めてのシュノーケリングはどう?」

「すごく楽しい!」

未来も手を振り返し、いったん海から上がる。

「Did you see Honu?」

「I…ああ、えーっとyes, yes」

ダイビングショップの店員さんにウミガメの影を見ながら泳いだ感動を伝えたいが、英語が出てこない。

― なんか…こんなに英語ができないなんて、ショック。

未来は、美玲の横に座ると弱音を吐く。

「私の英語力、ダメダメだ。ウィッシュリストに『海外から優秀な人材を採用する』なんて書いたのが恥ずかしい。帰ったら、リストから消そうかな」

美玲がため息をついた。

「未来ちゃん、今そんなこと考えてるの?真面目なのは良いけど、ハワイを楽しみなよ。そうだ、明日予約しているスパで、面白い人紹介してあげる」



「アロハ、美玲!」




次の日、美玲オススメというスパを訪れると、美玲と同じ年頃の女性が出迎えてくれた。

オーシャンビューのスパルームに通されると、美玲が女性の肩に手をかけて言った。

「この子、私の友達、ヨウコちゃん。このスパの受付やってるの。毎日麻布で飲み歩いてたのに、突然ハワイで働くって言って港区から消えたんだよ」

「そうなの!ハワイで暮らしたいって思い立って、来ちゃったんだ」

あっけらかんとした様子のヨウコちゃんに、未来は思わず笑ってしまう。

「外国でお仕事されていて、すごいです。どうしてハワイで働こうと思ったんですか?」

「えっ、ちゃんとした理由なんてないよ。港区おじさんにハワイに連れてきてもらって、すごく楽しかったから、住みたいなって」

― か、軽い。

ヨウコちゃんの言葉に、未来は唖然とする。

― すごい。こんなふうにノリで生きている人、お姉ちゃんぐらいしか知らなかった。

「スパのお仕事はどのように…?」

未来は、根ほり葉ほり聞いてしまう。




「それで今は、J1ビザっていうトレーニングビザで滞在してるの。ここは、その港区おじさんのコネで紹介してもらった。受け入れ先が決まっていないと、ビザが下りにくかったからね」

ヨウコちゃんは「スパ好きだし、働いてみたいと思ってたんだ」と笑顔だ。あまりにシンプルな動機で、未来は言葉も出ない。沈黙していると、窓から心地よい風が入ってきた。

「ああ、風が気持ちい良い!」

ヨウコちゃんが、ビッグスマイルを見せる。

「こんなに風が気持ち良いとか、海と空が毎日青いとか、実際にハワイ生活を経験して初めて知ったの。それだけでもハワイに来てよかった!…大変なことも多いけどね」

ヨウコちゃんの言葉に、未来はハッとする。

― 私もヨウコちゃんみたいに、なんでも経験したくてウィッシュリストを作ったんだった。

ためらう必要はない。恥ずかしい思いをしても、失敗しても、それを経験できたという事実を大切にしたい。行動力あるヨウコちゃんのそばでハワイの海、空、風を感じていると、自分も、決意次第でなんでもうまくいきそうな気がしてきた。

― まずは行動してみよう。ヨウコちゃんみたいに、前に進んでみよう。

未来は、心の声に、大きく頷いた。

【未来のWISH LIST〈2年後の結婚までにしたい10のこと〉】
☑ビールのおいしさを知る
□一人でカウンターのお寿司を食べる
□ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□一人暮らしをする
□英会話教室に通う
☑ハワイのハレクラニに泊まる
□100万円単位の衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する

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ハワイ旅行もいよいよ終盤に。未来のキャリアにも、新しい展開が…?