夜逃げ屋の女社長/画像提供:宮野シンイチさん

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漫画家として先の見えない現実に悩んでいた著者の宮野シンイチ(@Chameleon_0219)さんが、テレビで見かけた夜逃げ屋を題材にすることを思いつき、取材を申し込んだらそのまま働くことになってしまった…という実体験をもとに描いた「夜逃げ屋日記」。今回は刊行を記念して、作中でも強烈なインパクトを放つ夜逃げ屋を仕切る社長と対談(後編)していただきました!

【漫画】本編を読む

【社長】この仕事を始めてから、人を見る目はちょっと変わったよね。前は「僕はこういう者です」って相手から申告されたことを、そのまま受け取ってしまうところがあった。疑うことを知らなかったんだよね。

【宮野シンイチ】(以下、宮野)そうですね。多少は疑うことを覚えたかな。でも、最近、知り合いが周りの人と揉めているという話を聞いて。僕もお世話になったことのある人なので、どうしたのかなと思って、よくよく聞いてみると、酒癖が悪くて、酔うと奥さんを殴るらしいんですよね。その結果、離婚したそうなんですが、以来、周りの人たちにもあたるようになってしまって、どんどん人がいなくなって…という話を聞いたとき「まさかあの人が!?」って衝撃を受けたんです。だって、僕にとっては、ものすごくいい人だったから。夜逃げ屋の仕事を始めて、人というのは一面では測れないということを学んだはずだったのに、やっぱり、個人的な感情で左右されてしまうんだなあと、改めて思い知らされました。

【社長】人って、結構たやすく嘘をつくんですよ。依頼者ですら、自分に都合の悪いことや言いたくないことは隠そうとするから、私たちはそれを見抜かなきゃいけない。たいてい、時間をかけて話をしているうちに、話の辻褄があわなくなっていくんですよね。慎重に判断しないと、さっきも言ったように、スタッフに危害が及ぶかもしれないので、疑うというのはこの仕事でけっこう大事なポイントです。まあ、疑わずに済む場所に生きているというのは、悪いことじゃないんだけれど。

【宮野】あと、軽々しく相手の気持ちをわかった気にならない、っていうのも大事な気がしますね。「わかります」って絶対に言うな、と言うのは社長からも厳しく言われました。スタッフのみなさんは、ほとんどがもともと依頼人だった人なんですけど、DV被害者の現場に行くと、フラッシュバックして吐いてしまうようなこともあるんです。僕は幸いなことにそういう経験はないし、取材というフィルターを通しているから、相手の感情や境遇を食らいすぎることはないけれど、逆に、客観的すぎて相手を不快にさせないようにしなきゃ、というのも意識しています。

【社長】宮野は漫画やアニメなどの知識も豊富だから、現場で依頼人やその家族といろんな会話をすることができるのは強みだと思います。漫画の中にも、依頼者の息子さんとプラモデルの話で心を通わせたエピソードがあったけど、引き出しが多ければ多いほど相手とたわいない話ができて、心をゆるませることができるから。

【宮野】みなさん、運び出す荷物は厳選するんですが、高確率で漫画を持っていく物の中に入れるんですよ。辛いとき、心を休めるための道具として漫画は有効なのかもしれません。お子さんがいる場合は、いつも漫画を箱詰めする作業があるので、不安定な気持ちになっているその子と「この漫画のキャラで誰が好き?」とか話をするだけで、少し笑顔が戻ってくるということもあります。それは僕にできることの一つかもしれませんね。

【社長】荷物を運ぶ力はないし、運転もできないけどね。これも漫画に描いてあったけど、あまりに重そうにしている荷物を持ったらめちゃくちゃ軽くてびっくりしたよ。運転も、知らない街に行くと、どうしたらいいかわからなくてオロオロするし。

【宮野】面目ない…(笑)。

【社長】ただ、まっすぐご両親に愛されて育っていることも、宮野の武器だと思います。なんていうのかな、人の心に自然な光をあててくれる気がするんですよね。それがムカつく人も中にはいるだろうけど、健やかさというのはやっぱり宝だと思います。漫画を描くうえでは、ちょっと言葉に凝りすぎてカッコつけすぎるところがあるから、それはやめたほうがいいと思うけどね(笑)。相手に何かをわかってもらうために必要なのは言葉じゃないよ、ってことは現場でも何度か言った気がする。

【宮野】ネームは全部社長に見せているんですけど、僕がカッコつけようとしたところは全部見抜かれちゃうんですよ。村田さんという、家族から逃げようとした人に「大丈夫 村田さんは一人じゃないぞ」と社長が声をかける場面があるんですが、最初はその後に「絶対に幸せになれるよ」ってセリフを入れてたんです。そうしたら「それは絶対に、私は言わない」と。なぜなら、夜逃げした人たちがその後どんな人生を歩むのか、社長はすべてを知っているわけじゃない。幸せになれた人は連絡をくれることもあるけど、思い出したくないのか、また辛い思いをしているのか、消息がわからなくなっている人もいる。連絡がない限り、社長には依頼者と関わることはできないんです。

【社長】家族から逃げようとした村田さんが、引っ越し先にこちらが止めるくらい実家の近所を選んだのは、いきなりすべてを捨てることは怖くてできなかったから。それくらい、「逃げる」という行為にはとほうもない力が必要とされるんです。村田さんはそれから少しずつ家族との物理的な距離を広げて、今はひとりで自分の人生を歩んでいる。そうなってようやく私は「頑張ってくれてありがとうございます」と言えるんですよね。夜逃げの段階では「ご利用ありがとうございます」なんて言えないですよ。だって、その一歩がその人にとって、どんな未来を導くのかわからないんだから。アフターフォローはできる限りする心づもりでいるけれど、宮野が言ったように連絡の途絶える人もたくさんいる。だから「幸せになれるよ」とは絶対に言えない。幸せになれるかどうかは、本人次第なんですよ。

【宮野】だから、「漫画だから描くのは自由だけど、私は言わないよ」と言われ、ちょっと反省しました。

【社長】「いつまで苦しいんでしょうね?」って依頼者さんによく聞かれるんですが「一生かもね」って私は答えています。でもそれは私も一緒だよ、って。私自身がDV被害者で、逃げ出したことのある人間だからわかるんです。いまだに大きい音を立てられるとびくっとしてしまうし、どんなに消そうとしても過去は消えない。だけど、なんだかんだ生きているし、生きていれば笑うこともあるんですよ。生きている限り、何歳だってやり直しはきく。75歳で逃げ出して、人生が花開いたおばあちゃんもいますからね。だから私は、依頼者が幸せになる保証はできないけど、その一歩をふみだすための手伝いを全力でしなくちゃいけないんだと、この漫画を読んで改めて思い出しました。

【宮野】そういう社長の想いを忘れないようにして、これからもまだまだ「夜逃げ屋日記」を描いていきたいと思っています。

「夜逃げ屋日記」は2023年6月より書籍が発売し、X(元Twitter)で投稿している作品以外に、描き下ろし45ページ以上を収録。興味があればぜひ読んでみて!

取材協力:宮野シンイチ(@Chameleon_0219)/夜逃げ屋の社長