「気持ちを伝えたいだけ」という告白の裏側にある本音
小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性や恋愛について考えるこの連載。今回は森さんが20歳だった頃のお話です。好きな人への思いがあふれるあまり「好きって気持ちを伝えたいだけだから」と告白したことを振り返り、その言葉の裏にあった本音に迫ります。
*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2021年9月11日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。
「好きって気持ちを伝えたいだけだから」
「私が勝手に好きなだけだから。どうなりたいとか、そういうのないから」
告白というか告白未満というか単なる独白というか、よくある曖昧なセリフを言われた人はいるだろうか。私は、実は言ったことがある。思いがあふれてどうしようもなくて、苦しくて切なくて言ってしまった、と当時は信じていた。が、今、振り返ってみると、実はそんな甘い心理ではなかったのである。
20代だった。就職をし、実家から離れ、携帯電話も普及した。しがらみから解放されて、自由に浮かれた頃だった。友達もいた。遊ぶ時間も遊ぶ場所もたくさんあった。足りないのは彼氏と恋愛だけだった。20代。若くて健康で、お金も友達もそれなりに確保しているのに、彼氏がいないだけで人生で大事な何かが欠落していると、当時の私は思い込んでいたのだ。
仲の良い友達には彼氏持ちもいれば、私のように彼氏のいない子もいた。彼氏のいない子は、彼氏を探しに奔走し、告白したりされたりを繰り返す。軽やかな行動力がないのは私だけだった。なぜなら私には、好きな人がいたから。
50歳になった今なら、片思いなんか煮詰めるもんじゃない、煮詰めすぎると甘くなりすぎて幻想を抱いてしまうか、苦くなりすぎて自分でもその思いを受け入れられなくなるのだ、とわかる。当然、相手だって好意が甘すぎたり苦すぎたりすれば、負担になるに違いない、と慮れるのだが、20代の私にはわからなかったし、できなかった。
「あ、この人、好きかも」と直感したら、なるべく早く気持ちを伝えるか、伝わるよう動くべきだ。そうしないと、片思いの相手そのものではなく、空想上の相手が心の中で膨れ上がってしまう。そうしていつのまにか自分がモンスターと化して、自分の都合のいいようにしか相手を見られなくなってしまう。
片思いで完結できるならいいけれど
片思いって、その相手がいない間にあれこれ妄想するのも楽しいのだけど、妄想と現実を混同したり、はては妄想が勝ってしまうのがこわいのだ。若ければ若いほど、そういう楽しさ半分の恐怖が起こり得る気がする。
「あれ? こんなはずじゃなかった」と落胆するだけならまだいい。片思いが実り、実際に付き合ってみたら「なんか違う」ってやつだ。これは煮詰めすぎて甘くなりすぎたパターン。
一方、「彼みたいな素晴らしい人に、私は釣り合わない。なんで好きになっちゃったんだろう」と自分が勝手に好きになったくせに、自己嫌悪に陥るのが、煮詰めすぎて苦くなりすぎたパターン。私は後者まっしぐらだった。好きな人ができるといつもこれ。片思いで完結するなら、相手や周囲の迷惑にならないからいいのだが。
たいてい、そうは終わらない。どうしたって片思いだけでは満足できずに、相手に振り向いてもらいたくなる。人を好きになるパワーは絶大だから、じっとなんかしていられない。
人を好きになるのは素敵だし貴重な経験だ。片思い、両想いに優劣もない。ただ、気持ちを伝えるなら早いほうがいいと思う。意中の相手に恋人がいないのなら、良好な関係になれる可能性だって高くなる。
20代の私はマジでわからなかった
私の話に戻ろう。20代、好きな人がいた。前振りを読んで十分理解してくださっただろう、私の心の中は妄想上の彼で重くなっていた。現実的な私と彼のつながりは、時々メールのやりとりや電話をする、といった具合だった。私から幾度となく誘いをかけても、彼はいつもはぐらかし、応じてはくれなかった。
その時点で、お察し、なのだが、私は察しなかった。というか、妄想上の彼が「忙しさのあまり会えない」「美樹ちゃんが嫌いなわけではない、会いたいのはやまやまだけど仕事があるからしかたがないんだ」と言うのである。いやいや、いくら忙しくてもね、好きな女性のためなら男性は時間を作るもんだよ、と今ならわかるし遠回しにとっくにフラれている、と認められるのだが、20代の私はマジでわからなかったし認められなかったのだ。
そして私はついに決意する。告白だ、告白しよう、告白しかない、と。
友達には「とりあえず会うことが先決だ」とか「ストレートにぶつけないほうがいいかも」とか、私が傷つかないよう(フラれること前提)アドバイスをもらったが、私は妙にかたくなだった。なんせ片思い歴がいたずらに長いもので、友達よりも私が一番彼を知っている(会えていないくせに)、という変な自信がついていたのだ。知っている、ってアンタそれはアンタの勝手な思い込みだから、と今の私なら当時の友達に混ざって諭してあげるのだけど、タイムスリップはできない。
かくして私は告白したのだ。会ってもらえないから、メールで。
そう、冒頭の文言である。
「好きって気持ちを伝えたいだけだから」の裏にある本音
「好きって気持ちを伝えたいだけだから」
「私が勝手に好きなだけだから。どうなりたいとか、そういうのないから」
伝えたいだけだから、だと?
どうなりたいとか、そういうのないから、だと?
行間から嘘がぷんぷんただよってくる。私は苦しくも切なくもなかった。好きだという気持ちがあふれたのは事実かもしれないが、健気でも何でもない。私はきれいごとで、彼を脅迫していたのだ。
「女性にここまで言わせて、男性としては何かこたえるべきでしょう?」
「女性がここまで言っているんだから、何か意思表示しなきゃでしょう?」
「いいかげん、直接会って正々堂々私をフリなさいよ!」
私の本音はこれだった。
やっちまったな、20代の私よ。純情ぶった告白に見せた脅迫だって、心の奥底では知っていたんだよね。メールに返信はくれる、電話には出る、でも肝心な話はしないし会ってもくれない彼に対して、「のらりくらりとしている」「なんて優柔不断なの」と勝手に苛立ち、「一泡吹かせてやりたい」という気持ちになってしまったんだよね。
片思いが長引いて、愛と憎しみがごっちゃになると、いつしか自分の醜い部分も育ててしまうのだ。
私の例がすべてだとは言わない。私の例のほうが少数かもしれない。
でも、気持ちを伝えたいだけという告白の裏には、やはり何らかのアクションを求めていると思う。自分をモンスター化させないために、やはり片思いは長引かせずに早めに告白したほうがいい。
相手に恋人がいた場合はこれに及ばず、片思いも長引いてしまいがちだが、その対応策はまた別の機会にお話ししたいと思う。