無言で差し出されたAirPods。言われるがまま耳に入れると、とんでもない録音が…
「あんなに優しかったのに、一体どうして?」
交際4年目の彼氏に突然浮気された、高野瀬 柚(28)。
失意の底に沈んだ彼女には、ある切り札があった。
彼女の親友は、誰もが振り向くようなイケメンなのだ。
「お願い。あなたの魅力で、あの女を落としてきてくれない?」
“どうしても彼氏を取り戻したい”柚の願いは、叶うのか――。
◆これまでのあらすじ
「慰謝料を請求する」という秀和の言葉に、ついに賢也に制裁が下ると期待していた柚。しかし数日後、秀和から「穂乃果の妊娠が発覚した」という意外な連絡を受ける。
「穂乃果が妊娠した」という、秀和からの連絡。そのメールの文面には、諦念がにじんでいる。
『もし自分との子ではないにしても、私は彼女に一切精神的な負担をかけたくないのです。だから、探偵とか訴えるとかの話は、一旦なかったことにさせてください』
柚は、スマホを握りしめながらひとり首をかしげた。
― どうしてそこまで穂乃果さんに優しくするの?お腹にいるのは、賢也との子かもしれないというのに。
理解がありすぎる秀和の態度が、もどかしくてたまらない。
しかし秀和は、その態度の理由を明かすかのように、メールの後半にこうつづっている。
『実は彼女、ずっと子どもがほしいって言っていたんです。でもなかなか叶わなかった。それがついに叶ったんです。それもあって今はとにかく妻をケアしたい』
― ようやく賢也が痛い目を見る寸前まで行ったのに!
ここのところの柚は、賢也が訴えられる日が来るのをモチベーションに生きていたようなもの。
だから、歯がゆくて仕方ないのだった。
◆
柚はさっそくその夜、渋谷の『オルトーキョー』に創を呼び出し、穂乃果の妊娠について声をひそめながら伝える。
「え、穂乃果が妊娠?」
創は、タコスを口に運びながら、ポカンとした表情で言った。
「そう。妊娠」
「そりゃまた、急な話だね」
「うん。秀和さんは、賢也との子である可能性も考えてる。なのに穂乃果さんに負担をかけたくないから、2人を訴えるのは一旦やめにするって」
ビールの泡を見つめながら、柚は想像を巡らせる。
一緒に温泉旅行に行き、熱々のツーショットを自撮りしていたくらいなのだ。穂乃果がこのタイミングで妊娠したとしたら、賢也との子である可能性の方が高そうではないか。
「ねえ、どう思う?」
あまり興味を示してくれない創に感想を促すと、創は真面目な表情で口を開く。
「んー…。旦那さんの判断は、大人として立派だね。健康に産むことが最優先なのは間違いない」
柚は、もどかしい気持ちに共感してくれない創に不満を抱きながら、ビールをあおった。
「でもさ、これって賢也の大きな責任問題になるんじゃない?やっぱり賢也との子の可能性が高いと思うし。穂乃果さん、賢也には相談したのかな」
「まあ、賢也との子ならたしかに責任は重大だけど。…でも俺は、賢也との子だとは思わないな」
「どうして?」
柚は目を丸くしながら、顔をしかめる。
「賢也が相手である可能性は存分にあるわ。だって賢也と穂乃果さんは、かなりの頻度で会ってるんだし…」
「じゃなくてさ、そもそも怪しいと思わない?探偵つけられたタイミングで、妊娠が発覚するって」
「たぶん、穂乃果は探偵には気づいているんじゃないかな?」
「いや、知らないはずよ。隠してるって秀和さんが言ってた」
「どうかな?」
創は、真顔で言う。
「どういうこと…?」
柚は思考停止してしまい、創の整った顔をただ見つめる。
「俺が、暴いてみようか?」
それまで興味がなさそうだった創は、急に生き生きした表情でそう言った。
◆
創から「聞いてほしいモノがある」と連絡が入ったのは、その翌日のことだった。
一体なんのことだろうかと思い、ヒカリエのスターバックスへと向かう。
テーブルにつくと、創は笑顔でAirPodsをひとつ差し出してきた。
「なに?」
「いいから、これ聞いて」
言われるがまま耳に入れると、創は自分のスマホからある「音源」を流し始めたのだ。
音源の背景には、カチャカチャとした飲食店らしい雑音が流れている。どこかのカフェかレストランだろう──。
『あ、穂乃果。こっち』
そんな創の声で、音声は始まっている。
『…創?久しぶりじゃない。急に呼び出してどうしたの?』
穂乃果の、様子を伺うような怯えた声だ。
柚は、録音に全神経を集中させる──。
『どうしたのじゃないよ。穂乃果って既婚者だったんだね。俺に嘘ついてたわけ?』
『え…。ごめんなさい。どうしてわかったの?』
『どうしてだと思う?』
創が逆質問をすると、穂乃果はあっさりと『探偵?』と言った。
― あれ…探偵をつけられてること、穂乃果さんは知ってたんだわ!
柚は口を手で覆いながら、耳をすませる。
『そう。探偵。穂乃果に付いてたよね。旦那さんがつけたんだろ?』
『ごめんなさい…。探偵のことは、最近知ったの。でも創とはしばらく会ってなかったのに。どうしてバレたんだろう』
『まあ、それ自体はいいんだ。俺が今日穂乃果に言いたかったのは、探偵沙汰になったことについてのクレームじゃない』
『…じゃあ、何が言いたくて呼んだの?』
『もっと頼ってくれればよかったのにってことだよ』
『…え?』
『だって俺のせいで探偵をつけられて、旦那さんと離婚するきっかけになったら。だったらもちろん俺、けじめをつけるのに』
『……』
『穂乃果は、旦那さんのほかに頼れる男はいないんだよね?』
穂乃果は、しばらく考えてから言う。
『いないわ、そんなの』
『なら俺が守ってあげる。だって穂乃果、離婚したらひとりでやっていけないでしょ』
『…やっていけない。助けてくれるの?』
穂乃果のすがるような表情が、音声から思い起こされる。
― 穂乃果さん、創に口説かれた途端にコロッといった…。賢也のことなんてすっかり二の次だ。
穂乃果の変わり身の速さに驚きながら、音源を聞く。
『でも俺、ひとつ確認しておきたいんだ。穂乃果さ、妊娠してるの?』
『…』
穂乃果はしばらく沈黙してから、『それ誰から聞いたの?』と言った。
『…あ、ホントなんだ?妊娠したの?』
『…いいえ。してない』
穂乃果は淡々と言う。
『実は私、旦那が怒り出すのが怖くって、優しくしてもらうためにとっさに嘘ついちゃったの。でも妊娠なんてしてない。だって、旦那とはろくにしてないんだ』
穂乃果は、クスクスと笑い声を混じらせながら、幸せそうな声色になる。
『あぁ、まさか創が戻ってきてくれるとは思わなかった。ずっと連絡も返ってこなかったし、もう私のことなんてどうでもよくなったとばかり…』
『ああ、ごめん。忙しかったんだよ最近。ついこの前まで、イタリアにいたし』
『そうなのね…。ねえ、本当にこれから私を守ってくれる?』
『うん』
念を押す穂乃果に、創はとても優しい声でそう言った。
そして穂乃果が、幸せに満ちた様子で笑う。
── そこで、音声が終わった。
柚はAirPodsを外し、唖然としながら顔をあげる。
「つまり…妊娠はウソだって、穂乃果さんが言ったのね?」
「そう。怒られるのが怖くって、旦那にウソをついただけだって」
言葉も出ない。
「しかも穂乃果さん、創に一瞬で心が戻ってるじゃない…」
結局穂乃果は、賢也をただの乗り換え先としてしか考えていなかったのだ。
柚は、賢也に対して憐れみのようなものを感じた。
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妊娠はウソ。その真実を秀和に伝えると…