セレブ主婦からの転落。裕福な暮らしが忘れられずに浮気夫の謝罪を受け入れた直後に…
「マイ・キューティー」
13歳上の夫は、美しい妻のことを、そう呼んでいた。
タワマン最上階の自宅、使い放題のブラックカードに際限のないプレゼント…。
溺愛され、何不自由ない生活を保障されたセレブ妻ライフ。
だが、夫の“裏切り”で人生は一変。
妻は、再起をかけて立ち上がるが…?
◆これまでのあらすじ
セレブ生活を捨てて、世田谷で一人暮らしを始めた里香。夫と離婚するために仕事を探し始めたのだが…?
「全く連絡がこないって、どういうこと!?」
里香は、まるで鳴らないスマホを見つめながら苛立っていた。
派遣会社に登録したのが、4日前。
すぐに派遣会社のスタッフと面談したが、その時の感触は悪くなかった。
経験は浅いが、年齢的にもまだまだ紹介できる案件はたくさんあるため、気になる案件にはエントリーしてほしいと言われた。
面談後、すぐに高時給で好立地の企業にエントリー。
受付職を中心に、あとは未経験でも可能な秘書にも応募したというのに、全く音沙汰がないのだ。
「こっちは生活がかかってるのに、なんなのよ!」
半ギレ状態で独り言をもらした里香は、ハッと口元に手を当てる。かなりボリュームが大きかったが、大丈夫だろうか。
先日引っ越してきたばかりの新居は、壁が薄いのか、とにかく周りの音がよく聞こえる。
引っ越してきた初日は、隣に住んでいる若い男と彼女の大げんかが深夜まで繰り広げられ、睡眠を妨害された。
不快な生活環境にイライラが募っているところに、仕事の連絡もなし。まさに泣き面に蜂だ。
呆然としていると、床に直に置かれたスマホが振動した。
1ヶ月前、この部屋の家賃と同じくらいの値段を出して購入したブランドのスマホケースを拾い上げる。
― ついにきた…!?
期待とともに、祈るような気持ちで画面を見た里香は、「もう!なんで今なのよ」と、小さく怒った。
正論武装の友人
その夜。
「おっじゃましまーす!色々持ってきたから、パーっと飲んで食べましょ」
紙袋を両手に抱えた友人の舞子が、里香の新居にやって来た。
午前中メッセージを送って来たのは、彼女だった。
引っ越しを報告すると、新居祝いでもしようと提案してくれたのだ。だが、仕事も決まらずお祝いモードではない里香は、素気なく返事した。
『引っ越し祝いをするほどの家でもないし、食器類もほとんどないから、もてなせない』
だが舞子は、全部用意して持っていくから心配いらないと、半ば強引にやって来たのだ。
「思ったより広いじゃない。駅からも近いし、オートロックもあるし、良いところ見つけたね」
紙袋から食材を取り出しながら、舞子はぐるりと部屋を見渡した。
会話をつなごうとしてくれたのだろうが、今の里香には嫌味のように聞こえてしまう。
「どこが?周りの音もうるさいし、狭いし、良いところなんか全然ない」
つい反抗的な態度を取ると、舞子はそれを華麗にスルーした。
「ねえ見て。今って、プラスチックのワイングラスとか、おしゃれな使い捨てのお皿とか色々あるのね。
なんか楽しくて、色々買っちゃった」
段ボールをひっくり返しただけの簡易テーブルの上には、あっという間に素敵なお皿やワイングラスが並んでいる。
「ほら、乾杯するよ」
舞子は、スパークリングワインのコルクをポンっと抜いた。
「それで、仕事の方はどうなの?なんか見つかりそう?」
3杯目のワインに突入した頃。
ドライトマトのマリネをつつきながら、舞子が今日の本題に切り込んできた。
「登録はしたけど、その後さっぱり連絡なし。でも始めたばかりだし、これからだよね、ね?」
「そうだね」と同意してくれると思ったが、この女が適当に相槌を打つことはなかった。
「本当に決まらなかったら、どうするの?」
楽しくワインを飲んでいた空気が一転、重苦しくなる。
「それは困るけど…。まあでも、どうにかなるって信じるしかないじゃん」
里香は、持ち前の前向きさを全面に出した笑顔で応える。
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ。
仕事見つからなかったら、離婚できないよ?困るのは、里香じゃないの?」
― うわ、始まった…。舞子の正論モードのスイッチが入っちゃった…。
里香は、苦々しい表情を浮かべてしまう。だが彼女は攻撃の手を緩めない。
「どんなところに応募したの?」
「お給料は高いに越したことないから、高給なところ。あと、変な場所で働きたくないから、立地も良いところで…。
受付以外にも、未経験可能の仕事には応募してるよ」
それを聞いた舞子は、「はあぁ」と、大きなため息をついた。
「そんなんじゃ、絶対に決まらないわよ。
お給料や立地が良くてなんて、皆応募するに決まってるじゃない。たくさんの応募者の中で、里香は差別化できる何かがある?
それに未経験OKって言っても、25歳くらいまででしょ」
ズバズバと言われた里香は、小声で「まただ」と、漏らしてしまう。
「なに?なんか言った!?本当に仕事したいんだったら、色々妥協しないと見つからないわよ」
「わ、わかったってば…」
アルコールの入った舞子の遠慮ない物言いに狼狽えながら、里香はごにょごにょと答えることしかできなかった。
揺れる心
「…はあ」
翌日。
鳴らぬスマホを見つめた里香は、大きなため息をついた。
他の派遣会社にも登録し、自分が妥協できる範囲で再応募したが、梨のつぶて。
自分の市場価値を突きつけられた里香は、落ち込むとともに焦りも感じていた。
― 本当に決まらなかったら…?
舞子の言う通りだ。自分が惨めになった里香は、うっかり涙が出そうになり、慌ててマグカップのコーヒーを飲む。
「うわ、うっす」
先ほど入れたドリップコーヒーは、想像以上に薄く、まずい。
「もう、何もかもいやだ…」
床に敷いてあるせんべいのように薄い布団に倒れ込んだ、その時。
スマホの画面が光り、新着メッセージが届いたことが通知される。
「つ、ついに仕事の連絡!?」
すぐに拾い上げて画面を開くと、そこに表示されたのは…。
『里香、元気にしてますか。
君を失って、なんて愚かなことをしたのだろうと、毎日後悔の念に襲われています。
きちんと謝りたい。一度会ってもらえませんか』
メッセージは、夫・英治からだった。
あれだけ上から目線で傲慢だった夫が、敬語を使っているではないか。
毎日ひどい暑さの真夏だが、明日は雪かもしれない。それくらい、驚いた。
あの俺様・英治が、ここまで低姿勢で言ってくるなら会ってやっても良いだろう。
里香は、『分かりました。港区外でお願いします』と、返信した。
『トゥールームス 日本橋』のテラス。
店内に到着した里香は、すぐに英治を発見した。
英治のギラギラした雰囲気は、この落ち着いたエリアで完全に浮いていた。
ボタンを3つほど開けた白いリネンシャツに、膝上丈の白い短パン。
足元は、ジミー チュウのスタッズサンダル。黒光りした髪にレイバンのサングラスをかけた英治は、すでにシャンパンを飲み始めているようだ。
港区で落ち合うと、誰に見れているか分からないから港区外と指定したが、あまりの浮きっぷりに里香は激しい後悔に襲われた。
「おお、里香!」
テラス席で里香を認めた英治は、サングラスを外して手を上げた。
「お久しぶりです」
里香が一瞥すると、英治は「グラス、もう一つもらおうか」と、ウェイターに合図を送った。
「私、ノンアルコールで」
彼のペースに飲まれてはいけない。里香は、それを制してグレープフルーツジュースを頼む。
「なんだかハワイを思い出させるメニューが多いんだよ。ああ、里香と行ったハワイが懐かしいな」
― あなたは今日もアロハな感じだけどね。
優しい眼差しで話しかける英治に、里香は内心毒づく。
しばしハワイの思い出を話していた英治だが、グラスが空いたタイミングで姿勢を正し、静かに話し始めた。
「里香、本当に申し訳なかった。君が出て行ってから何度後悔したことか。
春奈にも言って聞かせた。もうさっぱり縁を切った。
なあ、里香。戻ってきてくれないか。僕は、君なしではやっていけない」
こちらを向いた彼の目は赤く、うっすら涙が浮かんでいた。
― もしかして本当に反省したの…?
弱々しく懇願する英治の姿に、里香の心はかき乱される。
怒りに任せて離婚を宣言し、家を出てきてしまったが、結局仕事も見つからず、何もかもうまくいっていない。
― 過去のことは水に流して、もう一度やり直すのもアリ…?
英治のもとに戻れば、不毛な就職活動やマンションの騒音ともオサラバできる。そしてセレブな生活に戻れるのだ。
生活水準を下げることがいかにストレスかを思い知った今だからこそ、里香の心は揺れ動いた。
「それなら離婚を撤回…」
そう言いかけた時だった。
「英治さん」
背後から、聞き覚えのある甲高い女の声がした。
「なんでその女に会ってるの?もう別れるんでしょう?
私に黙ってその女に会いに行くなんて裏切りよ!」
恐る恐る振り返るとそこには、英治の浮気相手である春奈が鬼の形相で震えながら立っていた。
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再び現れた春奈は、驚愕のことを話し始める。すべて失い絶望する里香だったが、ついに…?