20代後半から30代にかけて訪れる、クオーターライフ・クライシス(通称:QLC)。

これは人生について思い悩み、若さだけが手の隙間からこぼれ落ちていくような感覚をおぼえて、焦りを感じる時期のことだ。

ちょうどその世代に該当し、バブルも知らず「失われた30年」と呼ばれる平成に生まれた、27歳の女3人。

結婚や仕事に悩み、揺れ動く彼女たちが見つめる“人生”とは…?

▶︎前回:お金すら自由に使えない専業主婦。夫が出勤した隙を見計らって、財布から咄嗟に抜き取ったモノは…




葵「私の平凡な人生が、急に愛おしいものに思えて…」


土曜12時。私たち3人は東京エディション 虎ノ門の『ロビー バー』にいた。

洗練されたデザインで居心地のいいラウンジは、至る所に緑が置かれている。自由に、大きく葉っぱを伸ばした植物たちは、気持ち良さそうに息をしているようだ。

そんなラウンジで私たちは若干キョロキョロしつつ、写真を撮ったりしながら亜希さんを待っていた。

「ねえ葵、なんで私たち呼ばれたんだろう?」
「さぁ?遥、なんでか知ってる?」
「…実はこの前、亜希さんに連絡したの。私、働こうかなと思っててさ。それで彼女に相談したら、答えが見つかるんじゃないかなって」

遥のあっけらかんとした様子に、美咲と私は思わず大きな声を出してしまった。

「えっ!?遥、働くの?」
「でも、なんで亜希さんに…?」

驚く私たちとは対照的に、遥はのんびりとした少し甘い声を出した。

「あ。亜希さんが来たよ〜」

振り返ると、そこに亜希さんが立っていた。今日も彼女はゴージャスなオーラを振りまいていて、一目見た瞬間、思わず背筋が伸びる。

「ごめん。悪いんだけど、ちょっとだけ付き合ってもらってもいい?」
「はい…!」

こうして遥の就職相談会をするはずが、私たち3人は亜希さんの用事に付き合うことになったのだ。

しかしここで、人生初のすごい光景を目にすることになる…。


葵たちが目撃してしまった、驚きの光景とは…


1時間で500万も使う女


亜希さんがレジデンスの入り口に手配してくれていた大きな車に乗り込み、私たちはフカフカな革のシートに身を預けた。

「この車は…?」

口火を切ったのは、遥だ。おっとりしているように見えるのに、彼女の大胆さにはいつも驚かされる。

「これ?私の車だよ。移動は基本的に、運転手さんにお任せだから」

サラリと亜希さんは言うけれど、私たちは驚いて何も言えなかった。

― 運転手さんがいるって、普通のことなの…?

タクシーやUberは利用するけれど、運転手付きの車で移動するような知人はさすがにいない。

けれども亜希さんにとっては当たり前のことのようで、慣れた手つきでリップを塗り直しながら、こちらを振り返った。

「ごめん、明日GALA Partyがあって。どうしても今日、取りに行きたい物があるんだ。ちょっとだけ付き合ってね」

「ハイ、どこに行くのか楽しみです〜!」

そう言いながらも、どこに連れて行かれるのか少し不安だ。しばらくして到着したのは、銀座にある有名ラグジュアリーブランドの路面店の前だった。




車から降り、さっさと店内へと入っていく亜希さん。するとスタッフたちが、一斉に頭を下げる。

「どうも〜」と言いながら颯爽とエレベーターに乗り込んでいく彼女に置いていかれないよう、私たちは必死でついていった。

そして洋服のフロアにエレベーターが到着すると同時に、担当の人であろう女性がすっ飛んでくる。

「亜希さん!すみません、わざわざご足労いただいてしまって」
「いいのいいの。今日は可愛い子たち3人も一緒だけど、構わないわよね?」
「もちろんでございます。皆様、シャンパンでよろしいですか?」
「うん、ありがとう〜」

呆然としていると、奥の半個室のような部屋へ通された。そしてまるで流れ作業かのようにシャンパンが出てきて、私たち3人はさらに萎縮してしまう。

「えっ…?シャンパンが出てきたよ?」
「VIPだから出てくるんじゃない?」

飲んでいいのかどうか迷っていると、なんと遥が周囲にある洋服に、勝手に手を伸ばしているではないか。

「すごっ…。このドレス、120万だって」
「ヒャ、120万!?」

シャンパンを飲もうとしてグラスに伸ばした手を、私は慌てて引っ込めた。うっかりこぼしたら最悪だ。そんなふうに慌てる私たちを見ながら、亜希さんは笑っていた。

「そのドレス、素敵だよね」

そうこうしているうちに、今日受け取り予定だったというドレスや靴がやってきた。それ以外にも続々と、アクセサリーやバッグが運ばれてくる。

「こちらが今季の新作で。亜希さんなら絶対、お似合いになると思うんですよね」
「これ、素敵ね。色違いでいただこうかな」

そんなスタッフと亜希さんのやり取りを、呆気に取られながら見ているだけだった私たち。

合計1時間もいなかったと思う。ただその1時間で、彼女は500万弱の買い物をしていた。


1時間で500万を使う女。圧倒された平成世代に対し、放った言葉は…


「付き合ってくれてありがとう〜!」

買い物を終え、ご満悦の亜希さんと再び車に乗り込む。

「この後、どうしよっか?エディションに戻ってもいいし、近くでもいいし」
「お任せします!!」

1時間で500万。その現実を、私は受け入れられずにいた。

私のボーナスを抜いた大体の年収を、亜希さんはわずか1時間で使ってしまったのだから。

「じゃあ戻ろうか。ごめんね、付き合わせる形になっちゃって」
「そんなことないです、楽しかったです!」

上には、上がいる。そんなこと知ってはいたけれど、ここまで桁違いの人は初めてかもしれない。遥もさっきからショックを受けているのか、すっかり黙りこくっている。

再び東京エディション 虎ノ門へ戻ってきた私たちは、テラス席でお茶をすることになった。

暑いので冷たい飲み物のほうがいいはずなのに、私はホットコーヒーを注文した。コーヒーの湯気が、私の心を少しだけ癒していく。




「亜希さん、すごいですね…」

美咲がようやく口を開いた。すると亜希さんは嫌味を言うわけではなく、キョトンとしながらこう言う。

「いつもは家に来てもらうんだけど、今日は時間が合わなくて」
「家に、来てもらう?」
「そうそう。担当者が、私の好きそうな品物を家に持ってきてくれて。そこで買い物するの」

テレビか何かで見たことがある。でもそれは、百貨店の外商だったような気もするが…。

― 家にハイブランドの担当者が来るって、どういうことなんだろう。

想像もできない世界すぎて、私は考えることを諦めた。遥も就職相談をするはずだったのに、なんだかずっと上の空だ。

頑張って3年前のボーナスで買った20万のバッグが急に恥ずかしくなり、私はさっと背中の後ろに隠した。

きっと、亜希さんは何も考えていない。私たちのことを見下したりもしてないし、持ち物で人を判断したりもしていないと思う。

でもここまでの買い物を間近で見てしまうと、普段チマチマと頑張っている自分が、まるでみすぼらしい存在かのように感じてしまった。



「で、相談ってなんだったの?遥ちゃん、離婚でもするの?」
「違いますよ〜。働こうかなと思ったんです。亜希さんだったら、いいアドバイスが貰えそうだなと思って」

しかし遥のこの言葉を聞くと、彼女は少し困ったような顔になった。

「仕事のアドバイスか〜。私でお役に立てるかな。恥ずかしい話、あまり働いたことがないの」
「えっ、そうなんですか!?」
「結婚が早かったから、仕事をしている期間が短かったのよね。一応、今いくつか会社は持っているんだけど、人に任せっきりで」

亜希さんのことを、羨ましいとは思う。

何不自由のない暮らしに、夢のような買い物三昧。移動は運転手付きの高級車で、持ち物はすべて輝いている。東京の勝ち組の中でも、トップクラスだろう。

1時間に500万を自由に使える亜希さん。でも彼女は満たされない何かを満たすために、ハイブランド品を買い漁っているのかもしれないと思ってしまった。

「亜希さん、仕事したいなって思ったことはないんですか?」
「あるわよ〜。でも自分に何ができるのか、よくわからなくって」

仕事は大変だし、辞めたいこともある。

もっとラクに生きたいし、お金持ちと結婚して、いい暮らしだってしたい。

でも、目の前の仕事に必死に取り組める私の平凡な人生が、急に愛おしいものに思えた。

「そうなんですね…。今日はいいものを見せていただき、ありがとうございました」

亜希さんと解散し、駅に向かって私たちは歩き出した。運転手付きの車などないから、自分たちの足で家まで辿り着かなければならない。

でもきっと、それでいい。

私には仕事がある。その事実が少しだけ胸を軽くしてくれて、そしてちょっぴり自信をくれた。

▶︎前回:お金すら自由に使えない専業主婦。夫が出勤した隙を見計らって、財布から咄嗟に抜き取ったモノは…

▶1話目はこちら:26歳女が、年収700万でも満足できなかったワケ

▶NEXT:7月4日 月曜更新予定
男の力で生きる女への、嫉妬と軽蔑