◆これまでのあらすじ
大手メーカー人事部の未来(25)は、交際4年半の彼氏・悠斗との結婚を見据え、10のウィッシュリストを作成した。ボストン出張中に出会った学生の父親・笹崎達也(43)との食事で素敵な時間を過ごした未来は、食後にバーに誘われ…。

▶前回:デートで80万円使う43歳・経営者の男。タクシーで連れて行かれた場所に25歳女が驚愕したワケ




Vol.7 2人の男と誕生日デート


笹崎にエスコートされて入ったホテルのバーは、思ったよりも開放的な場所だった。

カウンター席に座り、笹崎おすすめのミモザというカクテルを頼む。

「さあ、未来ちゃんの彼氏の話を聞かせてよ」

笹崎が未来の方に体を向ける。

「ええ?私の恋愛なんて、すごく平凡ですよ」

「でも付き合って4年半で、もう正式に婚約するんでしょう?素敵だなあ。結婚するときは僕にもお祝いさせてよ」

笹崎の言葉に、未来はなぜか複雑な気持ちになる。

「はい。でも、まずは彼に一級建築士の試験に合格してもらわないと。勤めている設計事務所も小さいところなんで、安定した結婚なんて、夢のまた夢かもしれません」

悠斗を悪く言ったようなかたちになり、未来の心はちくりと傷む。

「それはちょっと心配だね。俺が彼氏なら未来ちゃんにそんな心配させないけどな」

笹崎の言葉に、少しドキッとした。

― 笹崎さんが私の彼氏だったら、どんな感じなんだろう。

その後も楽しい会話のラリーは続き、未来はつい、笹崎の隣を歩く自分の姿を想像してしまう。しばらく経つと、笹崎は言った。

「もうこんな時間か。下まで送るよ。タクシーは入り口の係に言えば、すぐに止めてくれるから」

笹崎が時計を見たのをきっかけに、未来も我に返り、できるだけ元気に言う。

「本当だ。笹崎さん、今日は何から何までありがとうございました!」

― バカバカ。笹崎さんは何も考えてないよ。大体、内定者のお父さんなんだから、こんな浮かれた想像するなんてどうかしてる。

未来は笹崎と共にバーを出て、ホテルの入り口へと移動する。無邪気なふりをして手を振り、タクシーに乗り込んだ。



次の日。

― 今日がボストン最終日だ。明日朝のフライトまでに、できることはなんでもやろう。

未来は、オフィスでボスキャリの残務処理を終えると、現地社員に採用についてのヒアリングを行った。

海外で新卒社員を採用するという業務が、どれほど現地の負担になっているのか。把握して、本社の人事としてできることを提案したいと考えたのだ。

現地スタッフは、時間をとって未来のヒアリングに付き合ってくれた。

皆、採用業務自体には負担を感じていないようだ。でも、自分たちが見そめた若い才能が、何年経っても会社で開花している様子がないのが気になっているという。

― 確かに、本社で人事、役員、と採用プロセスを通すせいで、最終的に本人の希望とはミスマッチな配属になることもあるのよね。

未来は、自分が新たに取り組むべき課題を見つけた気がした。

熱心にヒアリングをしたおかげで、1日が終わる頃には、現地スタッフは未来をチームの一員として認めてくれたようだった。

「長田さんが来てくれて良かったよ」

「See you next year, Miku!」

ボストンオフィスを後にする時の温かい言葉を受けて、未来は決心する。

― また絶対にボストンに来る!そのために、東京で絶対に結果を出す!

未来の心は、早くも東京での仕事への期待でいっぱいになった。




翌日、空港に向かうタクシーの中で、未来のプライベートスマホが震えた。

― 悠斗!

未来は、通話をタップする。

「未来?もうすぐボストン出張終わりだよな?元気にしてた?」

― ああ、悠斗の声だ。

聞き慣れた声を耳にすると、黙って笹崎と食事に行ってしまった後ろめたさが押し寄せる。

「うん、私なりに頑張ったよ」

「帰ったら、未来の誕生日、盛大に祝おうな」

― やっぱり私は悠斗の隣にいるべきなんだ。早く悠斗に会いたい。

未来は悠斗との電話を終えて、スマホをしまおうとする。そのとき、ちょうど計ったようなタイミングで、LINEの通知がきた。

『笹崎達也:昨日はありがとう。もう一度、未来ちゃんのこと、誘って良いかな?…』

メッセージをタップすると、未来でも聞いたことのある東京の有名な鮨店で、未来の誕生日を祝ってくれるという。

― 今は…。なんて返信したら良いかわからない。

未来はスマホをしまうと、ボストンの街並みをぼんやりと眺めた。




「未来ちゃん、おかえり。ボストン出張行ってたんだって?かっこいい!」

数日ぶりに帰宅すると、実家に遊びに来ている美玲が出迎えてくれた。

「お姉ちゃん、来てたんだ!急な出張だけど、いい経験だったよ」

リビングのソファで、お土産の紅茶を飲みながらひとしきりおしゃべりした後、ふと気になって未来は聞いた。

「あのさ、高級なお鮨の店ってどんな感じ?気をつけたほうがいいことってある?あ、ほら、参考までに」

未来が慌てて取り繕うと、美玲は興味深そうに未来を見た。

「高級鮨?うーん、普通に美味しく食べればそれで良いけど…」

うんうん、と未来は真剣に耳を傾ける。

「食べるのは箸でも手でも問題ないけど、どちらかに統一した方がエレガントかな。あ、もちろんお刺身はお箸で食べてよ。後は、きつい香水とか、二日酔いで行くのはもっての外だよ」

「そうなんだ」

美玲は腕を組んでソファにもたれると、チラリと未来を見た。

「悠斗くんと行くの?」

「いや、ちょっと誘ってくれてる人がいて」

流れで、笹崎との出会いを詳しく話してしまう。

「ちょっとそれは…。そのおじさん、危ない匂いしかしない。普通に考えて、18歳下の子に手出そうとするってやばいでしょ」

美玲の言葉に、未来はついムキになった。

「手を出すとか、笹崎さんはそんなこと考えるような人じゃないから!」

未来は、その場で笹崎に『お鮨、行きます』とLINEを返すと、「時差ぼけが辛いから寝る」と言って、リビングを後にした。




12月になり、未来は誕生日当日を迎えた。

今日は、笹崎と荒木町でお鮨の約束をしている。

― もう26歳か。今日ぐらいは特別な時間を楽しみたい。

未来は、会社帰りに丸ノ内線に揺られながら、先週末の悠斗とのデートを思い返す。

― 悠斗とのデート、楽しめなかったな。私、どうしたんだろう。

先週の誕生日祝いのデートに、悠斗はノープランでやってきた。いつも2人で行く店でご飯を食べ、その後、アウトレットで買ったというミニ財布をプレゼントされた。

― 確かに、前に可愛いって言ったお財布だったけど…。

未来は、心のどこかで、もっと素敵な1日を期待していたのだ。

ボストンでの笹崎との時間と、悠斗との週末を、どうしても比べてしまう。そんなモヤモヤもあってか未来は、笹崎とお鮨を食べに行くことを悠斗に伝えてしまった。

― あの時の悠斗の反応も、がっかりだったよ。

「すげえ!」

悠斗は少年のように目を輝かせて言った後、興奮気味に続けた。

「変わった鮨とか、高い酒とかたくさん飲んできなよ。どうせそのおじさんが払うんでしょ?」

嫉妬されたいわけではなかったが、なんだか拍子抜けしてしまった。

― ああ、もう悠斗のことを考えるのはやめよう。

ふと思い立って、未来はスマホを出すと、インカメラで自分の姿をチェックする。

― メイクも、女優風ワンカールヘアも決まってる。やっぱり美容院に寄ってきて良かった。

笹崎は、学生の父親とはいえ、見た目も年齢も若い。

― なんか私、本格的に意識しちゃってるな…。

電車が四谷三丁目に着くと、未来はコートの前をギュッと閉めて歩き出した。




待ち合わせの鮨店に着くと、笹崎はまだ来ていなかった。

お弟子さんらしき店員さんは、未来が何者かをすでに知っているようで、眉毛をハの字にしながら話しかけてくる。

「今、笹崎さんから電話が入って、今日来られないそうです」

大将は、「好きなだけお鮨食べて行ってね、っておっしゃってましたが、どうなさいます?」と言う。

「ええっ!?どうして…」

悠斗との消化不良なデートの後、ドタキャンされるなんて、泣きっ面に蜂だ。しかも、自分より先にお店に連絡されるなんて、悲しすぎる。

― どうしよう。帰ろうかな。でも…。

今日、少しでも綺麗でいようと頑張った自分が虚しい。

しばらく考えて、未来は決心した。

「もしよければ、私だけお鮨、いただいても良いですか?」

「もちろんです!」

出されたお造りを一口食べると、未来は思わず「おいしい!」と声を上げた。

「今日、来てよかったです」

未来は努めて明るく大将に言うと、おすすめだという日本酒を一口飲んで、感動のため息を漏らす。

― むしろ1人でよかった。うん、きっとそう。『1人でカウンターのお鮨を食べる』っていうウィッシュリストも達成できちゃうんだもの!

未来は、半分やけくそになって、次々と目の前に置かれる芸術品のような握りに舌鼓を打った。




「ああ、お腹いっぱい。本当に美味しかったです」

未来は、最後の玉子焼きを食べ終えると大将にお礼を言った。

どうやら次の客を入れる時間がやってきたようで、未来はそのまま店を後にする。

北風に身震いしながら、ミステリアスな雰囲気の荒木町をぶらぶらと歩き出すと、背後から声がした。

「未来ちゃん!」

「笹崎さん!」

― なんで来なかったの?どうして連絡くれなかったの?

聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が出ず、笹崎に駆け寄ることしかできない。

「今日は本当にごめん。必ず埋め合わせするから。お詫びにこれ」

ルイ・ヴィトンのショッパーを押し付けられて、受け取ってしまう。星屑を散りばめたようなデザインの包みを開けると、香水の瓶が出てきた。

「何これ…『Spell on You』…あなたに魔法をかけるっていう意味の香水?」

未来がボトルの文字を読むと、笹崎がおずおずと言った。

「気に入らなかった?」

あまりにベタな名前の香水を選ぶ笹崎の姿を想像して、未来は思わず笑ってしまう。

「嬉しいけど…。香水よりも私は笹崎さんと一緒にいたかった」

未来の本音に、笹崎は安心したように微笑んだ。

「ごめんね、未来ちゃん」

― 本当は怒りたかったけど…もういいや。

未来が頷くと、笹崎は未来の手を取り歩き出した。

【未来のWISH LIST〈2年後の結婚までにしたい10のこと〉】
☑ビールのおいしさを知る
☑一人でカウンターのお鮨を食べる
☑ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□一人暮らしをする
☑英会話教室に通う
☑ハワイのハレクラニに泊まる
□100万円単位の衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する

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夜の荒木町に消える未来と笹崎。2人の行く末は?