◆これまでのあらすじ
大手メーカー人事部の未来(25)は、交際4年半の彼氏・悠斗との結婚を見据えて、10のウィッシュリストを作成した。ボストン出張に行った未来は、優秀な学生・小林拓人と出会うが、彼の父親から「2人で会おう」と誘われ…。

▶前回:大手メーカー人事部の25歳女が混乱。新卒採用の活動中、学生の父親から“お誘い”が…?




Vol.6 少年のような人


レストランの前にいた拓人の父親に「明日時間作れます?」と言われ、未来は困惑する。

― この人、どういうつもりなんだろう。

出張先で初対面の男性と2人で会う。しかもその男性は、選考途中の学生の父親で、既婚者。

― いや、普通にダメでしょ。

「えーっと、ちょっとそれは難しい気がします。それに若い人の意見なら、息子さんの方が適任では?」

未来が捻り出した答えに、父親は笑った。

「長田さん、面白いですね。代官山の店の世界観に共感してくれる長田さんとディスカッションができれば、面白いシナジーが起きそうな気がしていたんだけどなあ」

拓人の父がタバコを揉み消した。

「それに、拓人が『長田さんとは、踏み込んだ話ができた気がする』って言っていたので、どんな人かゆっくり話してみたくなったんです」

「そ、そうですか…。たしかに学生さんとは、上辺だけじゃない話をしようと心がけていましたが…」

― ボスキャリで意識して取り組んでいたことが、ちゃんと伝わっていたんだ。

「もし良ければ、拓人に、そちらの会社への熱量をそれとなく聞きますよ。それで、長田さんにシェアします」

― うーん…学生さん側の本音は、聞いてみたい。

『海外から優秀な人材を採用する』というウィッシュリストを確実に達成したいので、未来は必死だった。

「…ボスキャリは、日曜日は早く終わります。そのあとなら時間を取れると思います」

戸惑いながらも2人で会うことを承諾し、名刺を交換する。父親の名前は『笹崎達也』だと知った。

― あれ?小林くんのお父さんなのに、名字が違う。

名字が違うことに触れて良いのか考えていると、拓人の父親がタクシーを止めてくれた。

「では、日曜日に」

拓人の父親は、笑顔を見せる。

その笑顔が、意外と若々しいことにドキっとしながら、未来はタクシーに乗り込んだ。

― 会う約束して、よかったんだよね?

ボストンの街並みを見ながらぼんやりと考えていると、会社のスマホが次々とメールの受信を知らせた。

― 日本はこれから始業か。今のうちに出張報告を送っておこう。

未来は笹崎達也のことを頭から追い払うと、チャット画面を開いた。




日曜日の15時。

未来は、ボスキャリで最後の学生との話を終え、大きく息をついた。

― やり切った。

自分にできることはすべてやった。

拓人を含めた何人かの学生とは、すでに本社とのリモート面接も済ませ、内々定を出している。

― 内々定者の中では、やっぱり小林くんが一番優秀だったな。ぜひうちに来て欲しい。

早く笹崎に会って、拓人の感触を聞きたい。未来は急いで待ち合わせ場所のプルデンシャル・センターに向かった。

「長田さん!時間作ってくれてありがとう」

待ち合わせのブルーボトルコーヒーに到着した未来を、笹崎は迎え入れる。

「こちらこそ、ありがとうございます。ええっと、笹崎さん…」

未来がもらった名刺の通り呼びかけると、笹崎は笑った。

「拓人と名字が違うの、気になりました?僕は学生の頃に拓人を授かって結婚したんですけどね、数年で離婚しちゃいました」

「それは、なんというか…」

未来は答えに困ってしまう。




「当時、学生起業したばかりだった僕は、自分のことしか考えてなかった。事業が正念場だったし、あの時は元妻に対して『お金は渡すから、家庭はそっちでなんとかしてくれ』って思ってたんです」

「起業したばかりなら、それも仕方のないことのような気もしますけど…」

結婚も出産もしたことのない未来には、『仕事に邁進する夫を応援しない妻』のイメージがわかない。

「長田さんは優しいですね。そうだ、せっかくだから上に昇りませんか?ここは50階に展望台があるんですよ」

笹崎は、笑って戸惑う未来をいざなった。

「わあ、すごい!」

専用のエレベーターで50階に上がると、1フロア全体を使った広い展望エリアが広がっていた。

ボストンのランドマークを見下ろしながら、笹崎ととりとめのない話をする。

20歳で授かり婚をした笹崎は、現在43歳だということ。飲食事業を売却し、今は新事業の立ち上げに集中しているところだということ。

未来も、キャリアのこと、恋人の悠斗のことをぽつりぽつりと話した。

笹崎の話題は、会社勤めの未来にとっては新鮮なものばかりだ。

それなのに、笹崎が時折見せる少年っぽい笑顔を見ると、不思議と長年の友達と話しているような気になってくる。

暗くなりはじめた外を見ながら、笹崎が言った。




「あれ、もうこんな時間だ。なんか長田さんとの時間は、古い友達との時間みたいです」

「私も同じことを考えていました」

「嬉しいな…僕は、まだ話し足りない気分なんだけど、長田さん、このあと一緒に夕食でもいかがですか?」

「えっ」

2人で食事となると、事の重みが違う気がする。

― 悠斗、なんていうかな。

未来が躊躇していると、笹崎が言った。

「あ、男と2人で食事するのは気が引ける?今、日本は早朝だよね?彼氏さんに電話して聞いてみたら?」

「そ、そうですね」

― 悠斗が止めてくれたら、食事には行かない。

笹崎と離れ、悠斗の携帯を鳴らす。

― 5秒、6秒…。

呼び出し音はなるが、応答はない。未来は電話を切ると、笹崎の元に戻った。

「食事、行きます」

「よかった!嬉しいなあ。今ちょうど、宿泊先のラッフルズのレストランが取れたんです。行きましょう」

笹崎がまた、少年っぽい笑顔を見せる。

「はい、ぜひ!」

その笑顔を見ると、未来は自分の選択が正しかったと感じた。




― 悠斗には、後から言えば良いよね。

未来が悠斗の携帯を鳴らした時間は7秒間。

早朝の日本で、寝起きの恋人に電話を取らせる時間としては、長いのか、短いのか。未来にはわからない。

ただ、本当は10秒鳴らそうと思っていたのに、7秒で切ってしまった。

― 心のどこかで、悠斗に電話に出てほしくなかった…?

自分の感情の整理ができないまま、未来は沈黙して展望台のエレベーターを降りる。

「そうだ」

笹崎が沈黙を破った。

「ちょっと買い物でもしようか。近くにヴァレンティノがあるから、そこでいいかな?」

― 買い物?笹崎さんの買い物に付き合うっていうこと?

軽い気持ちでタクシーに乗り込んだ未来は、ヴァレンティノの店内で、笹崎がまっすぐレディースコーナーに向かうのを見て、慌てて言った。

「あの、笹崎さん、これはどういった買い物で?」

「食事に付き合ってもらうお礼ですよ。うーん、そのワンピースは素敵だから、ジャケットと、靴かな」

あれよあれよという間に、目に留まったジャケットと、パンプスを試着させられ、会計まで済まされてしまう。

金額はざっと5,000ドル、日本円にして約80万円だ。

「こんなにお高いもの…」

戸惑っていると、笹崎は「プレゼントだよ」と微笑む。

「せっかくラッフルズで食事するから、もし良ければ着てほしいと思ったんだけど、迷惑だった?」

「いえ、迷惑では…」

正直言ってジャケットも靴も、素敵すぎる。




「長田さん、プレゼントはもっと気軽に受け取ってよ」

未来の頭に、姉の美玲の姿が浮かぶ。気軽にこんなに高額なものを贈る、港区の経営者たち。それに囲まれていたかつての美玲。

― 私も知らず知らずのうちに、そんな世界に足を踏み入れていたのかな。

未来は、スタッズ付きの華奢なパンプスを見ながら、なんとなく自分を納得させた。



― ここがラッフルズ…。

笹崎と一旦別れ、ラッフルズホテルのレストランで再度待ち合わせをした未来は、ヴァレンティノでの買い物に心底感謝していた。

どの客もスマートにドレスアップしていて、先ほどまで未来が身につけていたビジネスカジュアルはどう見ても場にそぐわない。

ハワイで美玲に買ってもらったカプシーヌを、どこかで使うかもと持ってきていたのは正解だった。バッグのハンドルをぎゅっと握りしめると、未来は店内に足を踏み入れた。

「長田さん!来てくれてありがとう。ジャケットと靴、とても似合っています。そのバッグもとても素敵ですね」

「あ、ありがとうございます」

悠斗から服装を褒められたことなどなかった未来は、思わず赤面してしまう。

「さあ、食事を楽しみましょう」

シャンパンで乾杯する。笹崎おすすめの白ワインのボトルが空く頃には、2人はすっかり打ち解けていた。




「未来ちゃん、ウィッシュリストなんて作っているんだ。面白いね」

「いえ、笹崎さんの最初の起業失敗談のほうがずっと面白いです」

会話を楽しみながら、次々と運ばれてくるコース料理を堪能する。

「ああ、どれも本当に美味しい!」

笹崎はそんな未来を微笑ましそうに見ている。

「ボストンでこんな素敵な思い出ができて、東京で現実に戻れるかしら…」

未来の言葉に、笹崎はイタズラっぽく笑った。

「じゃあさ、東京でも会おうよ。未来ちゃん、もうすぐ誕生日なんでしょ?お祝いさせて」

「ええっ、良いんですか?」

未来が思わず言うと、笹崎は嬉しそうに言う。

「どこの店にしようかな。あ、今度は彼氏さんの許可、ちゃんと取ってね」

― 許可取ってなかったの、見透かされていたんだ。

「もちろんです!楽しみだなあ。また笹崎さんと会えるなんて」

言ってしまってから、自分の言葉にドキッとする。

「その言葉が聞けて、嬉しいよ。そうだ、この後、バーで1杯飲まない?」

ホテルのバーで飲もうと誘われる。しかも、男が泊まっているそのホテルで。

さすがにそれはまずい気がする、と未来は思う。

「彼氏さんの話、もっと聞かせてよ。僕が成し遂げられなかった学生時代からの純愛話、聞きたいなあ」

― なあんだ、下心はないのね。

「そんな話で良ければ、聞いてください」

食事を終えた未来は、笹崎にエスコートされて、ラッフルズホテルのバーに向かった。

【未来のWISH LIST〈2年後の結婚までにしたい10のこと〉】
☑ビールのおいしさを知る
□一人でカウンターのお寿司を食べる
☑ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□一人暮らしをする
☑英会話教室に通う
☑ハワイのハレクラニに泊まる
□100万円単位の衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する

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