東京で生きる、孤独な男女。

彼らにそっと寄り添い、時には人生を変えてくれるモノがある。

ワインだ。

時を経て熟成される1本は、仕事や恋、生き方に日々奮闘する私たちに、解を導いてくれる。

これは、ワインでつながる男女のストーリー。

▶前回:“結婚できない男女”を多くみてきた相談所カウンセラーが本音を暴露。恋愛なんて…




Vol.9 スーツをまとったシンデレラ


〈プロフィール〉
名前:可奈(27)
職業:大手広告代理店 営業
住まい:八丁堀

「どうした可奈、死んだ魚みたいな目してるぞ」

『GINZA MUSIC BAR』で隣に座っている同期の翔平が、声をかけてきた。

転職する上司の送別会が終わり、同期数人で2次会に来ている。

「もう、うるさいなあ」

翔平は、超がつくほど口が悪いが、仕事は同期の中で1番できる。私も営業成績は悪くはないが、花形案件の多くは彼が担当しているので、勝手にライバル視している。

― 翔平は、イケメンだし、口が悪くなければ良いやつなんだけどね…。

するとそこに、桜が会話に入ってくる。

「可奈、今日も仕事中、部長に怒られてたよね。部長、可奈に当たり強くない?」

部長は30代後半の独身男性で、今日は新入社員のミスを私の指導不足だと怒られた。

半年ほど前、部長のプレゼン資料のミスを指摘した時あたりから、急に私に対して当たりが強くなった。それが原因かはわからないが、「かわいくない部下」と思われている気がする。

桜は、その部長のお気に入りだ。

彼女はいつの間にか、口紅を塗り直して、ジャケットを脱ぎ、ノースリーブから細い腕を覗かせている。

160センチ、58キロのポッチャリ体型の私に比べて、桜の腕は、私の半分くらいの細さだ。彼女は、スタイルもいいし、目がパッチリしていて小動物のような顔立ちだ。

最近、10歳上の経営者の彼と別れた彼女は、どことなく翔平に対してボディータッチが多い気がする。

23時を過ぎていたが、店内は賑わっていている。BGMは、ジャズからヒップホップまで幅広く、今はNazの『I can』が流れている。

背が高く整った顔立ちのバーテンダーがシェイカーを振る音と、『エリーゼのために』のメロディーに乗せたヒップホップが頭の中で混ざり、いつもより、お酒が回るのが早い。

― 私って、この会社に必要なのかな…。


自信喪失気味の可奈の身に、さらに嫌な出来事がふりかかる…!?




「ねぇ、可奈、今日空いてる?」

木曜日18時。そろそろ退勤しようと帰り支度をしている私に、桜が話しかけてきた。

「実は、おじいちゃんが急に入院して、今日お見舞い行きたいの。

インターン用の資料作成、最後のエクセルに入力するところだけお願いできないかな…」

「えっ、おじいちゃん大丈夫?やっておくよ」

本当ごめんねぇ、と目を潤ませた桜は香水の香りを残して、足早に帰っていった。




― 最後のところだけ、って言っていたのに。この資料、全然終わってないし…。

「お、要領悪いねぇ、残業?」

翔平が、小バカにしながら近づいてきた。

「うるさいなぁ。ちょっと急な頼まれごとで」

「ふうん?手伝おうか?」

「大丈夫、このくらい余裕です〜!」

「あっそ、じゃ、頑張って」

― 翔平って、意外と気遣いができるのよね。

素直に手伝いを頼めばよかったと少し後悔をしながら、資料の山に向き合った。




「はぁ〜疲れた!」

22時半過ぎに八丁堀にある自宅に着いた瞬間。

大学のジャズバンドサークルで一緒だった男子からLINEが届いた。

『今日の食事会で、桜ちゃんって可愛い子に出会ったんだけど、可奈と同じ会社じゃない?どんな子?』

― えっ、どういうこと?

今日、商社に就職した友人たちと、桜の大学時代の友人が主催した食事会があったらしい。つまり、桜のおじいちゃんの話は、嘘だったということになる。



「おじいちゃんのお見舞いに行くって話、嘘だったの?」

翌朝、駅から会社に着く道で桜を見つけて尋ねると、彼女は何も言わず泣き出してしまった。会社の人も通る中で、まるで私がいじめているかのように見えてしまう。

「本当にごめんねえ…断れなくて」

そう言ってぺろっと舌を出した桜の涙は、とっくに乾いていた。

その後、女子トイレの前で、桜が、誰かと話しているのを聞いてしまったのだが…。

「今日、ぽちゃ子にバレて怒られちゃったぁ〜」

“ぽちゃ子”が誰かというのは、確認するまでもないだろう。

追い討ちをかけるように、ミーティングで部長が言い渡したことが、さらに私を落胆させる。

広告費をかなりかける大型のオーガニック化粧品イベントのPRチームに、桜と翔平が抜擢されたのだ。

成績優秀な翔平が選ばれたのは、納得できる。

桜の抜擢理由も、化粧品のイベントで、担当が美人のほうがよいということもわかっているけど…。

いや、選ばれなかった以上、私が何を言ってもひがみになる。

桜は、部長に「頑張ります♡」と、笑顔を向けていた。

怒りや、悲しみが混ざった気持ちのまま仕事を終え、ボロボロな私が向かったのは…。


銀座の夜へ、女が駆けつけた先は…


「お兄ちゃん!」

優しくて、かっこいい自慢の兄は、アメリカの大学を卒業後、そのままシリコンバレーの一流IT企業に就職したエリート。




「可奈!見ない間に大人っぽくなったな。年齢確認されないくらいには…」

「もう!」

私は、兄の腕を思いっきり叩く。

仕事の関係で日本に一時帰国している。

数週間前から、今夜会えることを楽しみにしていた。

「俺のアメリカ人の上司から、日本でお気に入りのワインバーを教えてもらったんだけど行ってみない?」

軽く食事をしたあと、兄は、銀座の地下に佇む老舗ワインバーに連れて行ってくれた。

1杯目のグラスシャンパーニュを飲みながら、私は兄につい愚痴をこぼしてしまう。

「同期の女の子にはバカにされるし、エースの男の子にはかなわなくて…この仕事、向いてないかも」

うん、うんとうなずきながら兄はワインリストを見て、あるワインを注文した。

「マスター、このワイン、開けていただけますか?」

それは、アメリカ・カリフォルニア州の『S.L.V. カベルネ・ソーヴィニヨン スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ』という赤ワインだった。

1976年にパリで行われた品評会で、ワイン会の絶対王者であるフランスを抑えて、カリフォルニアワインが優勝した。そのときのシンデレラワインだという。

アメリカワインがフランスワインに勝つというのは、ワイン界では、歴史的な出来事だったらしい。

「シンデレラって言っても、日々、このワイナリーが、トライ&エラーを繰り返した努力の結果なんだよな」

乾杯をしてそのワインを口に運ぶと…。

初めに飛び込んでくるのは、大好きな、濃厚なチョコレートケーキのような味。

でも、その後に、深煎りのコーヒーを飲んだように、程よい苦味が広がり、ワインの印象を一気に上品にする。

まるで、悩みを一掃するかのような、甘い優しさと力強さのあるワインだ。

「努力がすべて報われる、なんて無責任なことは簡単に言えないけど、可奈はそう言いたくなるぐらい努力家だからさ」

兄はワインを一口飲んで、続ける。

「大学で始めたジャズサークルで、大きい大会で優勝してたじゃん?あの時のサックス吹いてる可奈も、かっこよかったな」

「懐かしい…」

「評価は後からついてくるから。今はやるべきことをたんたんと」




バーを出た後、兄と銀座の街を歩いていると、前方に桜と翔平の姿が見えた。桜の腕が、翔平の腕に絡んでいる。

― 翔平も、桜みたいに可愛い子になびいちゃうんだな。

胸の痛みとともに、自分の翔平への想いに気がついた。

しかし、その気持ちを押し殺し、私は、ある決意をした。

「お兄ちゃん、私、頑張る」

何かを察した兄は、私の背中を叩いて、また銀座の街を歩き始めた。




半年後。

『今月の営業成績、第1位 横溝可奈』

― 結果がすべてではないとはいえ、張り出されてみると、気持ちいい。

おめでとう、と部長が声をかけてきた。

部長が、ここ最近、急に私に優しくなったのだけれど、それは営業成績だけが原因ではないかもしれない。

兄とワインを飲んだ翌日から、私は生活に張りを持たせようと、トレーニングと、食事管理に目覚めた。

それから、半年で10キロ近い減量に成功したのだ。

痩せるのがすべてではないけれど、自分に自信を持てるようになった。それが、仕事にも良い影響を与えたのかもしれない。

仕事を終えて、会社を出た瞬間、翔平の声がした。

「可奈、おめでとう。今日飲みに行かない?お祝いに奢るよ。あ、でも…彼氏に悪いか」

「う、うん。ていうか彼氏?いないけど…」

「彼氏いないの?半年くらい前にイケメンと歩いてたから…」

「半年前…?それ、多分お兄ちゃん。そっちこそ、桜と歩いてたし…」

「桜?仕事の相談に乗ってた時かな?あー、前飲んだ時、変にぐいぐいくるからちょっと困ったな…そっか。彼氏じゃなかったのか。俺、てっきり…」

そう言いながら、嬉しそうに店を探す翔平。なんだか彼の横顔が、可愛く見えた。

現代のシンデレラは、ドレスを着て王子様を待っているだけじゃダメ。

スーツをまとい、ローヒールのパンプスをしっかり履いて脱げないように…。

自分で汗を流しながら、輝く機会をつかまなくちゃね。




◆今宵の1本


S.L.V. カベルネ・ソーヴィニヨン スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ
(S.L.V. Cabernet Sauvignon/Stag's Leap Wine Cellars)
アメリカ カリフォルニア州 ナパ・ヴァレー

カベルネ・ソーヴィニヨン、マルベック、プティヴェルドのブレンドの赤ワイン。

1976年、全くの無名であったスタッグス・リープ・ワイン・セラーズ は、パリ万博で開催されたワインの品評会にて、名だたるフランスワインを抑え、赤ワイン部門で第1位の栄誉に輝く。

審査員も全員フランス人で、カリフォルニアワインがフランスワインに優るという評価になるとは、誰も予想していなかった。

この事件は全世界に衝撃を与え、ギリシャ神話に準えて『パリスの審判』と呼ばれている。

S.L.V.は、Stag’s Leap Vineyardsの略。1970年に初めにワイナリーが植樹した畑から造られている。



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