誰もが憧れる「理想の夫婦」など、本当に存在するのだろうか。

雑誌から抜け出したかのような、美男美女。

豪邸に住み、家事や子育てはプロであるハウスキーパーに任せ、夫婦だけのプライベートタイムを満喫する。

そんな理想の夫婦のカタチを追求し、実現させているふたりがいる。

世間は、華やかな暮らしを送るふたりを「プロ夫婦」と形容し、羨望のまなざしを送っている。

法律上の契約を不要と語り、「事実婚」というスタイルをとる、ふたりの行く末とは?




Vol.1 理想の夫婦


「私の顔、見すぎじゃない?」

妻にそう言われて、慎一は、すぐ目を逸らす。

― 今日も綺麗だな。チクショウ…。

フォトグラファーの森谷慎一は、愛する妻と過ごすその時間が、なによりも至福の時だった。

慎一と妻の美加は、“デートタイム”と銘打って、週に1回ふたりきりで出かけることに決めている。

5月にもかかわらず、照り付ける太陽が真夏のようなある日。

家からも近く、心地よい雰囲気あふれる代々木上原のイタリアン『カーサ ヴェッキア』にふたりはいた。

「うん!おいしい!」

目の前にいる妻・結城美加はメインディッシュである「カジキマグロのソテー」の味わいを、満面の笑みで表現している。

慎一は、彼女のぽってりとした唇に吸い込まれていく食べ物にさえも嫉妬していた。

美加は、慎一より5歳年上の35歳。早稲田大学を卒業後、大手企業を渡り歩き、ヘッドハンティングされ、現在は新興人材派遣企業の代表をしている。

公私ともに輝く姿は、女性雑誌の目にも留まり、現在は人気読者モデルとしても活躍。慎一にとって自慢の妻だ。

出会いは3年前。

バツイチのシングルマザーでありながらも、自身の数倍の年収を稼ぎ、奔放に生きている彼女に、慎一はすぐ心を奪われた。

その頃から今に至るまで、気持ちは変わらないばかりか、想いは増すばかりだ。

慎一は、その想いを行動に移すように、自分のカメラを構え何気ない美加の表情を切り取った。

「もう…」

写真を生業とする夫の日常行為に、美加はやれやれといった表情だ。

ラブラブな夫婦、そのもののふたり。

誰が見ても、疑う余地は、一切ない。


バツイチ子持ちの女と結婚して、理想の生活をおくる慎一だったが…


『今日も綺麗なボクの相方』

慎一は、仕事へ向かう美加を会社まで送った後、その日撮った彼女の写真を自身のSNSに投稿した。

すると、瞬く間に多くの「いいね」と高いリーチを獲得する。

― よしよし…。今回も、いい感じ。

慎一が称する“相方”が、経営者兼人気読者モデルの“結城美加・通称ユキミカ”であることは、10万人を超えるフォロワーにとって周知の事実。むしろ、その半数以上が美加のファンである。

“バリキャリ美人妻と年下フォトグラファー夫”の恋人同士のような日常を、コンテンツとして楽しんでいる人々も多い。

つまり、ふたりはインフルエンサーと呼ばれる立場にいる。

『相方さん、今日もおしゃれですね』

『二人のような夫婦になるのが、私の夢です』

寄せられた多くの好意的なコメントに、慎一の頬も緩む。

大手広告代理店を後先考えず退職し、フリーカメラマンになった慎一に、多くの仕事依頼が来るようになったのもSNSのおかげだ。

今では広告案件を手掛けたり、夫婦で雑誌インタビューを受けることもある。

知名度が上がったことで、彼女の会社イメージも上昇して業績もうなぎ上りらしい。

そして、慎一は高めあう夫婦の象徴になるべく、自ら生み出した言葉で自分たち夫婦を形容していた。




「お互いに作用し合って、高めあえる関係。僕ら夫婦はつまり、シナジーを体現しているんです。ネオ・シナジーなカップルというんでしょうかね」

「ネオ、シナジー…?」

取材に訪れたwebマガジンのライターは、キョトンとしている。

「シナジー、つまり互いの相乗効果によって個々の活動でも良いパフォーマンスを発揮できることで、互いにリスペクトが高まるんです。

それが、夫婦円満の極意かな。僕と彼女の新しいシナジー。要するに、“ネオ・シナジー婚“だね、って僕らは呼んでいるんです」

ライターに向けて、得意げに語る慎一。

彼の隣にいる美加の圧倒的な存在感に、ライターは突っ込むことをためらっているようだった。

共働き、核家族が一般的になってきているとはいえ、女性は男性の家に入り、家事を主に担うという昔ながらの価値観はいまだ根強い。

慎一は、広告代理店仕込みのプレゼン力を存分に発揮し、「自分たちは最先端の価値観の中を生きている」ことを積極的にアピールしする。

「では、美加さん。慎一さんが提唱される、ええと…“ネオ・シナジー婚”についてはどうお考えでしょうか」

苦し紛れに、ライターは慎一の横でニコニコしている美加に助けを求めた。

「もちろん共感しています。会社を共同経営するような感覚ですね。不満があれば、お互い納得いくまで話し合うのが、私たちのスタイルです」

「…なるほど、互いの価値観を尊重しあっているということですね」

慎一が何度も同様の説明をしたはずだが、美加の説明でライターはやっと合点がいった様子。

「やっぱり彼女にはかなわない」と、慎一は微笑んだ。

そんな平和な空気感の中だったが、次の瞬間、それを切り裂くように彼らにとって耳の痛い質問を投げかけられた。

「では、そんなおふたりが、事実婚状態のままなのはなぜでしょう?」


実は事実婚同士の慎一と美加。その意図とは…


唐突な質問に、慎一は面食らった。

― はぁ……。やはり、僕らは理解されないのか。

ふたりは籍を入れていない。事実婚を選んだ理由は、一度結婚に失敗している、美加の希望からだった。

「すでに経験して感じた結婚のデメリットを味わいたくなかったんです。家同士の付き合いや名字変更など行政手続き…などですね。

家計も個々に独立していますし、事実婚のデメリットと言えば、世間体くらいかしら」

美加は淡々と説明をし、ライターも大きくうなずいた。

当初、慎一は籍を入れることを希望していた。それが、一緒に生活を共にする条件だったからだ。

しかし、紙切れ1枚の手続きが必要ないと感じるのは時間の問題だった。

事実、これだけ愛と充実感にあふれた日々を過ごしているのだから、と。

結局、その後もインタビューは事実婚についての質問が中心だった。

憧れのインフルエンサー夫婦の日常についての取材、という名目で申し込まれたものにもかかわらず…。




「やっぱり、事実婚って腫れ物扱いなんだな」

ライターらが去った後、慎一は美加と初台のカフェ『HOFF』を訪れ、お茶がてら反省会をした。

「うん。理由を説明するのも疲れた。私たちは、十分幸せなのにね」

「別姓もそうだけど、それぞれの事情があってそうしているだけなのに…。なぜ、型にはめようとするんだろう…」

美加は、有名な経営者兼読者モデル。さらに、この目立つ肩書に加えて、慎一と子連れ再婚をした。

興味を持たれるのは喜ばしいが、取材はもちろん、知人と接していても、毎回そのことを探られるのはたまったものではない、と慎一は思う。

「だからこその、ネオ・シナジー婚。いいだろ?型にはまらない夫婦だってイメージを付ければ、とやかく言われないだろうし」

「興味を引きやすいインパクトはあるけど、ブランド化しなくても…」

苦笑いをしているが、彼女はまんざらでもなさそうだ。

すでに彼女自身、読者モデル “ユキミカ”として30代のワーキングマザーのアイコン的な立ち位置なのだ。キャッチコピーを付けられるのは、多少慣れているのだろう。

「新しい常識を一般化するには、ロールモデルと、刺さるキャッチコピーが必要なんだ。それをプロダクトするのが僕らに求められる役割じゃないかな」

慎一の自信満々にキラキラ輝く瞳を、美加はうっとりと見つめている。

そんなとき、美加のスマホにハウスキーパーの江間里実から連絡が入った。7歳になる娘・華が英会話スクールから帰宅したという連絡のようだ。

「あら、里実ちゃんから連絡。華が帰ってきたって」

「じゃあ、早く帰らなきゃね。彼女も予定があるだろうし…」

「そうね。今日のゴハン、なんだろうー」

美加は、少女のような無邪気さで、慎一の右腕に自分の腕を絡ませ、店を出る。

街ゆく人々は、雑誌から出てきたようなふたりを見て、誰もが一度は目を止める。彼らの存在を認識して指さす者も多い。

― 僕らの関係をとやかく言うなら、この幸せを見てから言ってほしいもんだ…。

我慢しない、強要しない、個人を認めること。

この3つは、慎一と美加夫婦の決まり事だ。

だからこそいい関係が成り立ち、絵に描いたような夫婦像を表現することができているのだ、と慎一は思った。

「―あれ?」

慎一のスマホが振動した。

美加のスマホに業務上の連絡が入ったと同時に、慎一のスマホにもハウスキーパーの里実からメッセージがあったのだ。

「…」

慎一は、その文面を目にし、美加には画面が見えないよう、慌ててスマホをポケットにしまった。

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