結婚3年目、夫からの誘いを断ったら…。孫を催促する義母を巻き込んでの大騒動に
結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?
優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。
それなのに・・・。
私は一体いつから、“妻であること“に息苦しさを感じるようになったんだろう。
◆これまでのあらすじ
“推し”の店員目当てでカフェに通い、夫婦生活で満たされない気持ちを癒していた麻由。彼とLINE交換し、浮かれて連絡を取り合っているうちに、夫が帰ってきて問いただされるが…。
現実
「ずいぶん楽しそうにLINEしてたみたいだけど。誰と連絡してたの?」
目の前で、浩平が不機嫌そうな表情で腕を組んで立っている。
圭吾くんとLINE交換した夜。早速彼から連絡が来て、やりとりが盛り上がってしまった。
夫が帰宅していたことにも気づかずに…。
“夫からの質問になんと答えるべきか”を、ものすごいスピードで考える。そして……。
「大学の後輩なの」
「後輩?」
彫刻のように彫りの深い顔立ちの彼に睨まれると、緊張して思わずスマホを持つ手が、震えそうになる。
― 大丈夫。圭吾くんは実際に、私のゼミの後輩だもの。
そう自分に言い聞かせると、すらすらと次の言葉が出てきた。
「うん、まだ学生。このまえのOB・OG会で知り合ったんだけど、就活の相談で、連絡がきたの。ほら」
圭吾くんとのLINEのやりとりを見せる。
彼とはかれこれ30分ほどラリーが続いていたが、たまたま直近の5分間は就活の話題になっていた。
「三田会って、就職した後も縦の繋がりが強いからさ」
ダメ押しでそんな説明を重ねる。
実際のところ、私は三田会の名を冠する同窓会には出入りしておらず、そこでの人脈なんてない。しかし、他大卒の夫にはそんな細かいことなどわからないだろう、という打算が働いた。
祈るような気持ちで、夫の返事を待つ。
麻由の言い訳に、浩平の反応は…
「ふうん。たしかに“ミタカイ”って結束強そうだもんな。そういうもんなんだね」
案の定、夫は納得したようにうなずき、それ以上追及してこなかった。
私はほっとして、こっそりとため息をつく。
そんな私の様子に気づかない夫は、隣で背広を脱ぎながら、気を取り直したように「そういえばさ」と明るい声で話しかけてきた。
「今週末、おふくろたちを家に呼ぼうと思ってるんだ。いいよね?」
「え、今週?なんで、いきなり」
「いいじゃん。麻由、予定ないって言ってたろ?おふくろが、『久しぶりに麻由さんに会いたいわぁ』って言ってるんだよ。だから日曜の昼に呼ぶね」
― 『久しぶりに』って…。1ヶ月半前に会ったばかりじゃない。
ゴールデンウィーク中、義両親と浩平と私の4人で1泊2日の箱根旅行に行った。食事の場で「子どもはまだか」と義両親からチクチク言われ続け、嫌な思いをしたのは、記憶に新しい。
― 当分会いたくないと思っていたのに…。
でも、義父が所有しているこの家に住まわせてもらっている立場上、文句は言いにくい。
「…わかった。準備しておくね」
気持ちを抑えて、そう告げた。
◆
それから週末までの数日間は、義両親に会わなければならないことが常に頭の片隅にあった。
だからだろうか、せっかくLINE交換したけれど、圭吾くんに連絡する気にはなれなかったし、向こうからも連絡は来ない。
彼のシフトの関係からか、お店に行っても会うことはなく、接点のない日々が続く。
彼と帰り道が一緒になったあの夜は、なんだかときめいちゃって、自分が“女”であることを意識したけれど、現実に戻ってしまえば、そんな感情は、すぐに忘れてしまう。
私は、“妻”や“嫁”という役割を、果たさなければならない。
そう思うと、10歳年下の男への浮ついた感情が自然と引き締まり、現実の方に目が向く。
― 顔を見ていないと、こんなものなのかな。
なんだか寂しいような、ホッとしたような不思議な気持ちだった。
◆
義両親の来訪
日曜のお昼。
「麻由さ〜ん!お久しぶりぃ、元気だった?ゴールデンウィークの旅行から、ずいぶん経つわよねぇ」
「なかなかウチにも来てくれないからさ、こちらから出向いちゃったよ。ハイこれ」
義父は、そう言って、『末廣屋喜一郎』の“井の頭どら焼き”を手渡してきた。
井の頭公園近くに住む義両親は、うちに来る時、必ずコレを買ってくる。
1枚1枚丁寧に焼き上げた生地と北海道産の小豆が織りなすハーモニーが絶妙で、初めて食べた時はそのおいしさに言葉を失ったものだ。
― この人たちがウチに来る時の楽しみといったら、コレだけだわ…。
2人をリビングに通しながら、「どら焼きだけ置いて帰ってくれたら最高なのになぁ」なんて、考えてしまう。
気が進まない義両親との昼食に臨む麻由は…
「あらぁ、麻由さん素敵。これ、全部あなたがつくったの?」
「ええ、まあ」
「お会いしていない間に、ずいぶんお料理の腕を上げたのねえ!」
和風サラダに照り焼きチキン。グラタン、キッシュ風オムレツに冷製スープ、そしてナポリタンスパゲッティ。
― これだけつくれば、さすがに満足するよね?
浩平の両親は、60代中盤に差し掛かってもかなり食欲旺盛だ。
先日の箱根旅行でも、朝のビュッフェで何度もおかわりしていた姿が印象的だった。しかも、2人とも子どもが好きそうなメニューが好みなのだ。
だから、大量の洋食を用意したが、どうやらお気に召したようだ。2人ともニコニコしながら食べてくれているし、そんな両親を見て浩平も嬉しそうにしている。
― このまま、穏やかに時間が過ぎますように。
そう願ったものの、義母からの質問で、私は一気に血の気が引いた。
「それで、麻由さん?以前から何度も聞いているのだけど、子どもについては、いつを予定しているのかしら?」
「…」
やはり、この質問だ。
コレさえなければ、そう悪い人たちではないのに…。
私はなんと返すべきかわからず、思わず浩平の方を見る。しかし、彼は私に目を向ける気配はなかった。
「浩平から聞いたのだけれど、あなたに“その気”がないみたいじゃない?」
「え?」
「今までは、あなたが『子どもは授かりものですから』なんて言うから、欲しくても授かれないのかしらと思って、とやかく言わずにきたけれど。
“子どもはいらない”ということであれば、これは説得しなくちゃと思ってね。それで今日、浩平にお願いして場を設けてもらったのよ」
― なにそれ……。
あまりのことに絶句する。
先日、浩平からの誘いを拒否した時のことを言っているのだろうか。
それを、さも私が悪いかのように、浩平は義母に話したということなのだろうか。
怒りで震える手を、ぎゅっと握りしめる。そうでもしなければ、憤りのあまりテーブルをひっくり返してしまいそうだ。
ひきつる口元をなんとか持ち上げ、笑顔をつくる。
「お義母さん。心配しないでください、私は、子どもを欲しいと思ってます。最近、浩平さんとは忙しくて、あまり話せていなかったので。2人で、しっかりと話し合ってみますね」
言いながら、もう一度浩平の方に目を向ける。しかし、彼は気まずそうに、今度ははっきりと私から目を逸らした。
「あら、そーお?なーんだ、浩ちゃんの早とちりじゃないの!」
「麻由さん、すまんねえ。年寄りが余計な茶々を入れて!」
義両親の快活な笑い声が、乾いた空気の中で、妙に大きく響いていた。
「麻由、ごめん。俺が余計なことをおふくろに言ったばかりに」
「うん、そうね。正直、嫌な気持ちになった」
義両親が帰宅した後、ソファに座り浩平と2人で、コーヒーを飲む。
普段は心を落ち着かせてくれるこの香りも、さすがに今日は、気休めにもならない。
私は、浩平に逆らったり、反論したりすることはほとんどない。
彼は、一度機嫌を損ねてしまうと立て直すまでに時間がかかるタイプ。だから、反論すると面倒なことになるだけなのだ。
けれど、今回ばかりは、私が折れるわけにはいかない。
「俺、子ども欲しいんだよ。だから、誘った時に拒否とかしないでくれよ。わかるだろ…?」
浩平が私の腰に腕を回し「仲直りしようよ」と耳元でささやく。
「やめてよ!」
思わず彼を突き飛ばす。予想以上に強い力が出て、自分でも驚いた。
彼は、一瞬驚いたような顔をする。
そして…その目は、みるみるうちに怒りを帯びていく。
― ヴヴッ。
そのとき握っていたスマホの振動音が鳴る。
誰かからLINEが来たようだが、それを確認する余裕なんてなかった。
私は身じろぎもせずに、浩平を見つめていた。
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浩平を拒否してしまった麻由。夫婦の関係はこじれていき…