「女は所詮、金やステイタスでしか男を見ていない」

ハイステータスな独身男で、女性に対する考え方をこじらせる者は多い。

誰も自分の内面は見てくれないと決めつけ、近づいてくる女性を見下しては「俺に釣り合う女はいない」と虚勢を張る。

そんなアラフォーこじらせ男が、ついに婚活を開始。

彼のひねくれた価値観ごと愛してくれる"運命の女性”は現れるのか―?

◆これまでのあらすじ

経営者の明人は、婚活アプリでマイと出会う。

東大卒の経営者という彼女の高スペックさに拒否反応を示していた明人だが、彼女の真っすぐな想いに心揺さぶられ…。

▶前回:「こんな女、大嫌いなはずなのに…」ムードあるバーで2人きり、こじらせ男をオトした女の一言とは




Vol.8 きのうの夜は…


明人は愛宕の高層タワーレジデンスの一室で朝を迎えた。

そこは、マイの自宅の寝室である。

広々としたシモンズのベッドは明人の部屋にあるものと同じ。彼女と体を重ねたあとも、ぐっすりと熟睡することができた。

こんなに深く眠ることができたのは、社長就任が決まって以来のことだ。

重たい鎧を脱ぎ捨てたような解放感にひたっていたのもつかの間。

― 俺は…なんということを…。昨日の夜はどうかしていた。

目覚めてはっと我に返るが、マイと一夜を過ごしてしまったのは抗えない事実だ。

隣には彼女が寝ているだろう。どんな顔で対面したらいいのかわからず、起き上がるどころか寝返ることもできない。

「…起きてる?」

明人はあえて普通に声をかけ、何事もなかったかのようにやり過ごそうとした。

しかし…。

マイはもうそこにいなかった。


一夜を共にした翌朝、隣にマイの姿はなく…?


今日もどうかしている


『気持ちよさそうに寝ていたのでそのまま仕事に行きますね。今日は広島に日帰り出張なので…。鍵はコンシェルジュに預けておいてください。(持ち帰ってもいいですよ)』

高層階の強烈な日差しがまぶしい開放的なリビング。その中心にある大理石のテーブルの上に、ポストイットで書き置きがあった。

やけに馴れ馴れしい文面に、明人は頭をかく。

― 彼女ヅラされてもな…。

改めて、昨夜は間違いだったのだと自分に言い聞かせる。

なぜああなったのかは明人自身も分からない。おそらくアルコールと失恋による寂しさのせいだろう。

幸い、まだマイとは連絡先を交換していない。フェイドアウトしようと思えばいつでもできる。もちろん鍵はコンシェルジュに預け部屋を後にする。

こうすれば、彼女は察してくれるだろうか。




「ハァ…」

朝イチの定例会議。明人の脳裏にはどうしても昨晩のことがよみがえってきてしまう。

そんな明人のことを、社員たちは不思議そうに見つめていた。

「どうされたんですか?」

久保の心配そうな顔で、明人は自分の状態に気づく。

「え、いや、ちょっと体調が…」

どうやら、何度も何度もため息をついていたらしい。

「じゃあ、休んでください。社長のため息で議論が止まるんです」

リモートで参加していた絵理沙が突然割ってきた。

「あっ…」

当然、その一言は会議室を凍り付かせる。次の瞬間、慌てて口を押える彼女の姿が画面に映った。だが…。

「それもそうだな…。今日はもう休むことにするよ」

そう言って明人が会議室から出て行った途端、社員たちはざわめいた。

(あの社長が休むなんて)

(部下の意見にすぐ従うなんて、相当辛いんじゃ…)

いつもの明人なら男の意地と責任感でその場にとどまっていたはずだ。明人の中で何かが変わっているのを誰もが感じていた。



社長室で帰り支度をする明人に、久保は心配そうに声をかけた。

「大丈夫?ちょっと雰囲気違うけど」

「え、どこが?」

「素直に意見を聞き入れていたから…」

普段の明人は、負けず嫌いのひねくれもの―久保はそう言いたげだ。しかし、それは間違いではない。昨晩もマイに同様のことを言われたような気がする。

― また、彼女のことを思い出してしまった…。

明人は咄嗟に頭を抱える。久保は彼のその様子に目を丸くした。

「…ま、今日は、あとは僕に任せて」

「じゃあ、お願いするかな…」

背中に添えられた手が温かかった。心がじんわりほぐれ、肩の力が抜けていく。

“素直になる”ことで触れられる人の優しさを実感し、プライドと意地を張る意味について考える。

― 素直、か…。

明人の胸の奥底から、何か熱いものが沸き上がってきたのだった。


一方、朝一で広島出張したマイは…


18:22 広島駅発・のぞみ号


夕方、マイは急いで東京行の新幹線に飛び乗った。

広島での商談はスムーズに終えることができた。達成感が体中に満ち溢れ、グリーン席に深々と身を沈める。

同行した社員たちは宿を取り、広島の夜を楽しむという。

うにクレソンの鉄板焼きや、ビールスタンド重富の究極の生ビールにも惹かれたが、マイはどうしてもその日のうちに東京へ帰りたかった。

発車後、すぐに車窓から臨むことができるナイターライトに照らされたスタジアムに、むさしのお弁当。マイはつかの間の広島を堪能しながら、ふと朝のことを思い出した。

― 明人さん、あの後どうしたんだろう。

マイはおにぎりを頬張りながら頬を赤らめた。

交際してもいないのに、ベッドを共にするとその恋は成就しないという。

帰りのタクシーの中で口づけを交わし、その先を予感したときも、多少のためらいはあった。

「安い女だと思われる」と。

しかし、安いか高いかなんて、誰が決めるのか。その考え自体、男性主体だ。

自分はその時、本当に彼と体を重ねたいと思った。抱かれたんじゃない、自分が彼を抱いたのだ、と心を強く持つ。

昨晩のことを、マイは一切後悔していない。

彼は10年以上、気になっていた人だったのだから―。

明人との出会いは18歳。大学に合格し、仕事で国内外を転々とする親元から離れ、不安を抱えながらひとり暮らしを始めようとした時のことだった。

彼は当時20代後半くらい。電気量販店のネット加入窓口で接続機器の配布や申し込みを担当する仕事をしていた。

マイはおかしいと思ったことや、疑問をすぐに口に出してしまう性格だ。

しかもその頃は若かった。電気製品を買うにせよ、申し込み手続きをするにせよ、細かく質問をする上に痛いところを突く彼女は、店員にしてみれば嫌な客だったはずだ。

「なんでもお答えします。ADSLと光回線の違いはですね…」

しかし、マイの対応に困り、適当に答えたり、コールセンターに丸投げする店員も多い中、明人は違った。

料金体系から、ネットワークの理論、機器の仕組みまで、納得するまで説明をしてくれたのだ。

最終的に利用環境の関係で他社サービスを勧められたが、彼のことが気になって名札を見ると、アルバイトだということに衝撃を受けた。

― こんな聡明な人が、バイトなのか…って、思ったの。

高見堂明人という仰々しい名前も印象に残っていた。

そして、彼を見て、その時の日本は就職氷河期で、多くの若者が就職難にあえいでいる現実を実感した。

この経験が、会社に身を委ねない生き方をしようと、起業家になることを決心した理由のひとつ。つまり、マイの今があるのは明人のおかげなのだ。

マイは、彼のその後がずっと気になって、時折、名前を検索したりしていた。そして、同じ経営者として名を聞くようになり、胸が高鳴った。

― あのアプリで彼を見つけた時、飛び上がるくらい喜んじゃった…。

彼からアプリでメッセージがあった日も、1日中サービスのリリース対応で慌ただしかったが、時間をやりくりして駆けつけた。絶対にこのチャンスを逃したくなかったから。

その経緯を昨晩、明人に話すと、明らかに彼の様子が変わったことに気づいた。

目にきらりと光るもの…でも、必死でこらえている。

女の前で涙は見せない―彼は今も昭和の男なのだ。よくも悪くも。

でも、そういう意地っ張りで負けず嫌いで、ひねくれたところもかわいいと思っている自分がいる。

マイは隣の空席に置いたお土産の紙袋をちらりと見た。

中には新幹線の待ち時間に試食して、美味しさに感動したにしき堂の生もみじが入っている。

渡す約束はしていない。だが、彼にも食べてもらいたいと、思わず買ってしまった。

― 私、自分の想像以上に明人さんが好きなんだな…。

彼のことを考えていたら、あっという間に品川に到着していた。マイは慌てて新幹線から降り、改札口を出る。




改札口で東京の異常な人波を眺めながら、ふと気づく。考えてみれば、明人と連絡先を交換していなかった。

その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「マイさん!」

振り返ると、声の方向にはあの人がいた。

幻なのか?マイは目を疑った。

「明人、さん?」

真っすぐに近づいてきた明人は、彼女を強く抱きしめたのだった。

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ついに心も結ばれた明人とマイ。調子にのる明人だが…。