愛とは、与えるもの。

でも、与えすぎる愛は時に、相手を押しつぶしてしまうことがある。

愛情豊かなお嬢様・薫子(26)は、そんな“重すぎる愛”の持ち主。

「適度な愛の重さ」の正解とは……?

その問いに答えを見いだすべく、改めて恋愛と向き合った女の、奮闘物語である。

▶前回:「知らないほうがいい」と忠告されたものの、女が彼の“元妻”の名前を検索してみたら…?




美しく盛り付けられたデザート。

そのプレートには、チョコレートを用いた優美な筆記体で「Happy Birthday Kaoruko」と記されていた。

今日は、薫子の27歳の誕生日。

「薫子、おめでとう!」

ホテルオークラの『ヌーヴェル・エポック』でそう言って小さく拍手をするのは…、誕生日を一緒に過ごすことを約束していた純一郎ではなく、薫子の両親だった。

「お父さん、お母さん、ありがとう」

薫子も両親の優しさに応えるように、楽しげな表情を浮かべてロウソクを吹き消す。

予定がなくなった誕生日の夜を、急遽こうしてあたたかくお祝いしてくれる家族の気持ちは嬉しい。

けれど、どうしても打ち消すことのできない寂しさを胸の奥に感じながら、薫子は思うのだった。

― 私、27歳にもなって何してるんだろう…。やっぱり純一郎さんからのお誘い、断ったりしなければよかったのかな…。

誕生日の当日に自分から友人を誘う気にもなれず、かといって一人で何かする意欲も湧かない。家族にお祝いしてもらうほかは、ただ家でぼんやり過ごす普通の日。

しかし、せっかくの純一郎からの誘いを断ったのは、薫子自身の選択なのだった。


なぜ薫子は、大好きな純一郎からの誘いを断ったのか




<追われる恋愛をしよう!>

Webマガジンのコラムの中でそう語っているのは、医師兼タレントとして人気を誇る片瀬詩織…通称“シオリ先生”だ。

純一郎のかつての愛妻が、この美しく、賢く、自立した女性のアイコンとも言えるシオリ先生と知って以来、薫子は彼女の連載する恋愛系コラムを、穴が開くほど繰り返し読み続けた。

<男性と付き合ってもフラれてしまう…。そんなあなたは、追いかける恋愛ばかりしていませんか?>

<尽くしすぎてしまう女性は、実は自らの価値を低くしてしまっています>

<男性は、追いかけて追いかけて、苦労の末に手に入れた女性こそ、大切にするものなのです>

薫子には、思い当たることばかりが書いてある。

そして、「男性から本気で追われるための方法」としてシオリ先生が自信満々に提案しているのが、次のようなことだった。

<気になる彼からの誘いを、時にはきちんと断っていますか?

誘われれば、いつでも尻尾を振って出向いてしまう。何をおいても彼を一番に優先してしまう。そんな態度を取っているようでは、いつまでも彼に追ってもらうことはできません!

「あなた以外にも相手はいるのよ」という雰囲気を出しつつ、時には誘いを断ってみる。

そんな風にしてみると、男性はいてもたってもいられなくなって、あなたのことを追いかけてくるものなのです>

好きになったら彼がすべて。どんな時だって恋人を最優先してきた薫子にとって、頭を殴られたような衝撃だった。

― 好きな人からのデートの誘いを、断る?そんなこと…。

自分には、できない。

そう思ってスマホのブラウザを閉じようとした薫子だったが、ギリギリのところで踏みとどまり、もう一度記事を読み直した。

デートを断るなんて失礼なことをしたら、両親のように気持ちを通い合わせることなんてできない。

薫子にはどうしてもそう思えてしまう。けれど…。

このアドバイスをしているのは、他でもない。純一郎本人がかつて深く愛した元妻、その人なのだ。

― 純一郎さんに本気で愛されるためには、こんな駆け引きが必要なのね…?

しばらく考え込んだあと、薫子は自分を鼓舞するように、スマホを持つ手にギュッと力を込めた。

そして、張り裂けそうな胸の痛みを感じながらも、数時間寝かせた純一郎からの誕生日デートのお誘いLINEに、こう返事をしたのだ。

『ごめんなさい。誕生日は別の人と過ごす予定が入ってしまったので、キャンセルさせてください』




しかし、その結果が今日のこの有様だ。

せっかくのケーキは、申し訳程度に一口味見をしただけで、まるまる残ってしまっている。

これまで好きな男性からの誘いを断ったことなどない薫子は、自分のしてしまったことの重みのあまり、食事も喉を通らない。

せっかくお祝いしてくれている両親も心配そうな様子で、申し訳なさからも憂鬱はどんどん深まるばかり。

家に帰って布団に入った後も、幾度も純一郎からのLINEを見返しては、深いため息をつくのだった。

『そっか、残念だけど了解です。楽しい誕生日になるといいね』

この返事を最後に、純一郎からの連絡は途絶えている。

― シオリ先生のコラムなんて、間に受けるんじゃなかった。私はシオリ先生みたいな完璧な女性じゃない。純一郎さんに追ってもらうなんて、私には無理だったんだ。

トークルームを見るたび胸が苦しくなる薫子は、枕に顔をうずめる。

『キャンセルしてしまってごめんなさい。本当は、純一郎さんと過ごしたかった』

今すぐにでも、そう送ってしまいたい。

そんな衝動に駆られてスマホに手をかけた、その時だった。

今まさに薫子からメッセージを送ろうとしたトークルームに、純一郎の方からメッセージが届いたのだ。


純一郎から届いた、追いLINEの内容とは…?


「うそっ」

純一郎からのLINEを見た薫子は、思わず小さな驚きの声をもらした。

『お誕生日おめでとう。今日は楽しい日になったかな?』

『突然だけど明日、仕事の後に少しだけでも会えない?ちょっと話したいことがあるんだ』

― あんな断り方をしたのに、また誘ってもらえた…!

申し訳なさと安堵の気持ちが入り混じり、胸がいっぱいになる。

― でも、話したいことって?「もう会わない」なんて内容だったら…?

ホッとしたのも束の間。さらなる不安が押し寄せ、即返信になるのも厭わず、薫子は『はい』とすぐに返事を送るのだった。



翌日の夜。

薫子と純一郎は、『シャンパーニュカフェ アルベンテ』を訪れていた。

グラスのシャンパンを一口飲んだあと、純一郎が優しく声をかける。

「急に呼び出してごめんね。」

「いえ…」

昨日の夜からずっと緊張しきりだった薫子は、うまく答えることができない。

もしかしたら純一郎は、内心では怒っているのかもしれない。そう考えるだけで、何もかも本当の気持ちをぶちまけて謝りたい衝動に駆られる。

しかし、純一郎の態度は拍子抜けしてしまうほどに普通だ。いつも通りのくしゃっとした、優しげな笑みを浮かべている。

それどころか、一杯目のシャンパンが空きそうになった頃。

「誕生日おめでとう」

そう言って、純一郎はソワソワとした様子で、カバンの中からなにやら小さなオレンジ色の袋を取り出した。

「はい、昨日会えなかったから、これだけでも渡したくて」

「ええっ、ありがとうございます…!」

おずおずと手を伸ばし、薫子はプレゼントを受け取る。

「うれしい…!あの、開けてもいいですか!?」

怒っているどころか、誕生日を祝い直してくれた。そのことに感激した薫子は胸がいっぱいになりながら、小さな包みを開けた。

中身は、ルージュ・エルメスだ。

「わぁ、ありがとうございま…」

お礼を言おうとしてふと純一郎の方を見上げた、その時。薫子は、純一郎がこれまで見たことのないような緊張した表情を浮かべているのに気がついた。

「あの…さ。いままできちんと聞いたことなかったけど、薫子ちゃんは今、付き合ってる相手はいるの?」

ふいの質問に、薫子の心臓がドキッと高鳴る。

「ううん、特にいません」

「そっか」

なんとも言えない緊張感が、二人を包む。

そして次の瞬間。グラスにほんの少しだけ残ったシャンパンを勢いよく飲み干し、純一郎が言った。

「…もし良かったら、僕と付き合ってくれないかな?」




「本当、ですか…?」

信じられない。

好きな人が、自分のことを好きになってくれた。

驚きのあまり少しの間固まってしまった薫子だったが、じわじわと後から追いかけてきた喜びと感激で、思わず瞳が潤みそうになる。

その滲んだ視界の端にふと、今もらったばかりのルージュ・エルメスが飛び込んできた。

深い、深い、ローズ。

品と色気を兼ね備えたその絶妙な色合いは、薫子の目にはいかにも“大人の女性”の象徴のように見えるのだった。

途端に、震えるほどの感動で満たされていた薫子の心に、ほんのわずかな憂鬱が顔をのぞかせる。

薫子はその憂鬱の手触りを確かめるように、胸にそっと手を当てた。

そして…気がついた時には、こんな言葉を発していたのだ。

「純一郎さん、すごく嬉しいです。でも…ひとつだけ、条件を言ってもいいですか?」

▶前回:「知らないほうがいい」と忠告されたものの、女が彼の“元妻”の名前を検索してみたら…?

▶1話目はこちら:記念日に突然フラれた女。泣きながら綴った、元彼へのLINEメッセージ

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夢にまで見た、純一郎からの告白。しかし、薫子が返したまさかの言葉とは