離婚で8,000万の財産分与を主張する妻が、夫の“ある策略”にハマり…
何不自由ない生活を送っているように見える、港区のアッパー層たち。
だが、どんな恵まれた人間にも小さな不満はある。小さな諍いが火種となり、後に思いがけないトラブルを招く場合も…。
しがらみの多い彼らだからこそ、問題が複雑化し、被害も大きくなりやすいのだ。
誰しもひとつは抱えているであろう、“人には言えないトラブルの火種”を、実際の事例から見てみよう。
記事最後には弁護士からのアドバイスも掲載!
Vol.1 すれ違う夫婦の現実…。金の切れ目が縁の切れ目?
「いくらなんでも、8,000万円はないだろう…」
港南のベイエリアに建つタワーマンション32階のある一室で、白井弘道は、呆れたように言った。
窓の外に望むオーシャンビューは、陽の沈みかけた紅色の空を、鏡のように水面に映し出している。
そんな幻想的な風景に似つかわしくない、金銭トラブルに関する会話が夫婦のあいだで交わされていたのだ。
「いいえ、譲るつもりはないわ」
妻の悠香は、膝にのせた愛猫のレノンを労るように撫でながらも、強気の姿勢を崩さない。
「君に借りたのは、起業したときの500万だぞ。いくら会社の株式価値が上がったとはいえ、欲を出し過ぎだ」
「今の会社の価値なら8,000万円ぐらいが妥当のはずよ。財産分与として私が半分受け取るのは当然じゃない?」
悠香は同意を求めるように、レノンの顔を覗く。
2人は現在別居中であり、離婚に向けて話し合いを行っていたが進捗は芳しくなかった。
「でも、2年間の別居期間があるじゃないか。その間に伸ばした業績の分の支払い義務はないだろう」
この言葉に、悠香は何も言い返せない。
予想通りの展開に、弘道は内心安堵していた。
…実はこの展開、弘道が予め思い描いていたものであり、プラン通りに会話は進んでいるのだ。
離婚までのプランとは…?愛し合っていた2人の誓いと現実の狭間で、夫が突きつけられたもの
弘道は視線を落とし、悠香の膝の上で安心して眠っているレノンを見つめた。
― いつからこんなに関係がギクシャクしてしまったのだろう…。
レノンを飼い始めたのは、もう10年以上も前になる。お互いにレノンを溺愛し、それこそ愛猫の一挙一動に反応しては微笑み合っていた。
悠香とは大学時代からの付き合いだ。
大学卒業後しばらくして、1LDKのマンションを借りて同棲をスタート。家具選びでインテリアショップを巡っている途中、偶然入ったペットショップで淡いグレーの毛並みのいいスコティッシュフォールドにひと目惚れして、飼い始めたのだった。
レノンへの愛情が、2人を結婚へと導いたとも言えるかもしれない。
同棲から1年後に、弘道は悠香にプロポーズをした。場所は、ザ・リッツ・カールトン東京の45階にある『ザ・ロビーラウンジ』。
「俺についてきてくれ。絶対に幸せにするから」
歯の浮くようなセリフも、ラグジュアリーな空間にはよく馴染んでいた。「ありがとう」と涙をこらえながら答える悠香を見て、一生かけて守っていこう、と心に誓った。
結婚から2年後、悠香に500万円を借りて出資金にあて、ベンチャー企業を立ち上げた。悠香は起業には乗り気ではなかったようだが、会社は順調に売り上げを伸ばし成長していった。
そして、弘道の憧れであった海の見えるタワーマンション高層階に引っ越しをする。
会社が業績を上げていくにつれ忙しさも増し、悠香を部屋でひとりにさせる時間が増えていった。「早く子どもが欲しい」という悠香の希望に向き合うことさえしなくなった。
そんなある日、会社で部下に声をかけられた。
「これって、社長の奥さんじゃないですか?」
スマートフォンを差し出され、画面を覗く。
SNSの1ページで、小動物を模したぬいぐるみを何匹か集め、中央に焚火を置いてはしゃいでいるように見せたコミカルな写真だった。
「ほら、ここ。奥さんですよね?」
部下が画面をスクロールさせ、指でさし示した先に、確かに『悠香』の名前がある。“羊毛フェルト作家”という肩書を名乗っているようだった。
「これ…全部手作りってことか?」
「ニードルフェルトっていうらしいですよ。ずいぶん人気があるみたいですね」
確かに悠香は昔から細かい作業が好きだった。大学で被服学を学んだこともあってか、友人の結婚式がある度に、嬉しそうにコサージュ作りに励んでいる姿をよく見かけた。
さらに画面をスクロールすると、次々と作品が現れる。どれも、マスコットの動物たちが集まり、楽しそうにしているワンシーンが切り取られていた。しかも、「いいね」が2,000件以上も付いているものもあった。
― 悠香のやつ、いつの間にこんなに…。
マスコットたちの楽しげな様子が、海の見える部屋で、ひとり寂しく製作に取り組んでいる悠香の願望を映し出しているように感じた。
― 今日は早く帰って悠香とゆっくり過ごそう。
弘道がそう思って家に帰った夜だった。悠香に別居を切り出されたのは…。
交渉を有利に進めた夫の胸によぎるものは…
別居後の弘道は、頻繁に悠香のSNSを覗くようになった。
すると、手芸関連の店を開くようなニュアンスの投稿があることに気づいた。財産分与の請求に関する話題を持ち出してきたのは、そのあたりの時期である。
― 悠香はきっと開店資金を集めているんだろう。
弘道は、ひとつため息をつき、「これならどうだ?」と新たな提案を持ちかけた。
「8,000万円は無理だが、5,000万円ならキャッシュで払える。それで手を打ってもらえないか?」
弘道の言葉に、悠香がパッと表情を明るくした。予想した通りの反応だ。
実は今回の件を、会社経営をしている友人に相談していた。そこで、弁護士を立てずに話し合いをしていくほうがいいと勧められたのだ。
なぜなら、弁護士を立てられると、会社の正確な株式価値が把握されてしまう。実際の価値は、悠香の見越した額よりも高額であった。それが判明すれば、さらに高い金額を請求されかねない。
とはいえ、8,000万円でもかなりの額だ。少しでも支払いを抑えたかった弘道は一芝居うつことにしたのである。
まずは請求を拒み、別居期間の話を持ち出す。悠香が旗色の悪さを感じたところで“キャッシュ”という言葉を出して話をまとめたのだ。
もちろん、十分な額を支払いたいという思いもあった。起業するのであれば応援したい気持ちだってある。
だが、自分から離れようとしている人間に対して、それほどの恩情をかけられるほどお人好しにはなれなかった。
「…うん、分かった。それでいいよ」
悠香は平静を装っているが、高揚感は隠し切れない様子だった。
― キャッシュであれば、今後分割支払いなどは発生しない。これで夫婦の繋がりは完全に断たれる。繋がりがあるとすれば、レノンだけか…。
すると、悠香のバッグからスマホの着信音が聞こえた。悠香が一瞬弘道の顔を見る。
「振り込みについてはあとで連絡するから、出なよ」
悠香が電話を取るため立ち上がると、レノンが膝から滑り落ちた。
「あ、もしもし…?」
さっきまでの会話より、随分と悠香の声のトーンが上がった。男か…とも思ったが、畏まった口調から仕事関係であると察した。安堵している自分がどこかにいた。
悠香はそのまま部屋をあとにした。
いつもなら、レノンは妻…元妻を玄関まで見送り、しばらくドアを見つめているが、その日は追いかけもせず、じっと弘道を見つめるのだった。
◆
弘道の対応は果たして、正解だったのだろうか。実は払い過ぎて損をしたのか…?もう少しうまくやる方法はあったのだろうか…。
弘道は気になって、銀座に事務所を構える青木聡史弁護士のもとへ向かった。
〜青木弁護士からのコメント〜
「別居前の企業価値から考えると、5,000万円は妥当な線です」
財産分与の際の割合は、基本は半々となります。
今回のケースのように会社の株価評価における分配においては、会社の資産価値向上への夫の“寄与度”、妻の“寄与度”がどれほどだったかが重要となります。
もし、不倫などで相手側に責があっても、財産分与において分与割合が変わることはほとんどありません。ただ、このケースのように別居期間があった場合、別居前までの財産が財産分与の対象となります。
今回のケースでは、夫側が8,000万円の請求額を5,000万円のキャッシュで支払うということで帰結しましたが、手元にキャッシュで払えるだけのお金があったので、比較的穏便に済ませることができたと言えるでしょう。
別居前の企業価値から考えると、財産分与した“5,000万”は妥当な線だと思います。キャッシュ一括払いで相手も納得し、財産分与の合意ができれば、早期に離婚をすることができるため得策でしょう。
キャッシュをそこまで持っていないときは・・・?
ベンチャー企業の経営者の場合、収益は多くても、キャッシュをそこまで持っていないというケースもあります。
その場合は最初に半額を支払い、残りを分割にしたり、購入したマンションを譲ったりといった方法を取ることもあります。
財産分与は、離婚時からも2年以内は請求可能です。ですから、すぐに離婚して夫婦の縁が切れたとしても、全てが終わったわけではありません。そのあと改めて請求されることもあります。
離婚時に財産分与に関し合意をしていれば、離婚後に後から請求されたり、請求する必要もないので、しっかりと話し合って協議書を作成しておくと良いでしょう。
監修:青木聡史弁護士
【プロフィール】
弁護士・税理士・社会保険労務士。弁護士法人MIA法律事務所(銀座、高崎、名古屋)代表社員。
京都大学法学部卒。企業や医療機関の顧問業務、社外役員業務の他、主に経営者や医師らの離婚事件、相続事件を多数取り扱っている。
【著書】
「弁護士のための医療法務入門」(第一法規)
「トラブル防止のための産業医実務」(公益財団法人産業医学振興財団)他、多数。
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