2022年11月、大阪に精神疾患を専門にした訪問看護ステーション「くるみ」が誕生しました。精神科に特化した訪問看護はごくめずらしいといいますが、その設立に尽力した代表の中野誠子さんには、並々ならぬ思いがありました。(全2回中の1回)

【写真】こんなラフな看護師さんいるの?精神疾患専門の訪問看護の意外な実態 ほか(全12枚)

「こころがしんどいけど通院できない」人が圧倒的に多い現実

中野誠子さん

── 2022年11月、精神疾患を専門にした訪問看護ステーション「くるみ」を設立されました。訪問看護で、精神科に特化しているところは珍しいのでは?

中野さん:コロナ禍で「こころがしんどい」と訴える方がすごく増えましたが、精神科に対応した訪問看護ができる事業所は、多くはありません。最近では、精神科や小児科を専門にした訪問看護の事業所も少しずつ増えつつありますが、やはり全体数から見れば、かなり少ないのが実情です。

── なぜ精神科に特化した訪問看護ステーションを起ち上げようと思われたのでしょう?

中野さん:20歳で看護師になって以来、病院の精神科や重症心身障害者施設で働き、看護学校の教員も務めました。「くるみ」を起ち上げる前には、訪問看護の事業所に勤務していたのですが、「精神疾患の患者さんのニーズに応えられていない」と感じていたんです。

──「ニーズに応えられていない」というのは…?

中野さん:スタッフの働く環境を守るため、ほとんどの事業所では9時から16時半か17時までの対応になっています。ですが、今は精神疾患を抱えながら働く方も多い。そうした方たちが、メンタルのつらさを抱えながら1日働いて帰宅すると、その日の悪いことばかりが頭をよぎって眠れない。その結果、睡眠不足になって朝起きられず、仕事に行けなくなってしまうといった悪循環に陥ることは少なくありません。

── こころが疲れていると、ネガティブ思考のループから抜け出せなくなるというのは理解できます。精神疾患を抱えながら働いていれば、なおさらですよね。

中野さん:そうなんです。とくに夜は、不安に襲われて症状が出がちになります。ですが、帰宅後に訪問看護を受けて気持ちを整えてから1日を終えることができれば、翌日もまた元気に過ごすことができますよね。ですから、夜間に対応できるようにしたいというのは、ずっと思っていました。

「あんた今しんどいやろ」患者に言い当てられて号泣

── そもそも中野さんご自身もメンタル不調に悩まれた時期があるとか。どんな状況だったのでしょうか。

中野さん:看護師になって2年目、神戸の精神科病院に勤めていたときのことです。精神疾患は、本人の価値観や性格が大きく影響しているので、同じ病気でも人によって症状やその出方はさまざま。教科書で習ったことがまるで通用せず、毎日壁にぶつかっては落ち込む日々でした。まだ新人で自分の引き出しが少ないので、患者さんへの対応に戸惑うことが多かったんです。しかも当時は、熊本から神戸に出てきたばかりで、関西弁のニュアンスや距離感がつかめず、周りとのコミュニケーションにも苦労していました。

そんな私の様子に気づいたある患者さんが、「こっちにおいで」と声をかけてくれたんです。長年うつ病を抱えた年配の女性でした。きっと私が悲壮感漂う顔をしていたのでしょうね。「あんた今、しんどいやろ?見たらわかるよ。私はあんたが生まれる前からこころの病気とつき合ってる、うつのプロやで」と。優しさあふれるその言葉に張り詰めていた気持ちが緩み、患者さんの前で思わず号泣してしまって。看護師が患者さんに慰められて泣いている。そんな光景、見たことないですよね(笑)。

訪問看護の現場にて。中野さん(左)は明るい雰囲気のユニフォーム姿

── たしかに(笑)。

中野さん:でも、そのときにわかったのは、私たちが患者さんを観察するのと同じぐらい患者さんからも見られているんだということ。「あんたの顔がどんどんしんどそうになってきていたよ」と言われました。私はもともと完璧主義なところがあって、「看護師はこうでなければ」という思考にとらわれて、しんどくなっていたんですね。この出来事をきっかけに、「肩ひじを張らず、もう少し人間同士として接してもいいんだな」と気づき、こころがラクになりました。

── 患者さんとの向き合い方に影響を与えた出来事だったのですね。

中野さん:意識が変わりましたね。25歳まで精神科で働いた後、脳性まひや知的障害が重い子どもなどを対象にした重症心身障害児施設に勤務し、専門性を高めるために認定看護師の資格を取得しました。ですが、看護について学び直すなかで、「自分の知識や考え方は、本当に合っているのだろうか」と疑問がわいてきたんです。

年代によって教育の内容は少しずつ変わりますし、キャリアを重ねると自分の経験で決めつけて物事を語ってしまうことも。現場でスタッフの指導をしていたので、自分の知識や考え方が曖昧だと、スタッフに対しても失礼だなと。悩んでいた時期に先輩から「看護学校の教員になって生徒と触れ合うことで、自分も学べるよ」とアドバイスをもらったのをきっかけに、8年勤めた障害児施設を退職して看護学校の教員になりました。

看護師でありながら「病院が苦手で」

── 教員として働いた後、訪問看護師として、ふたたび医療の現場に戻られました。どんな思いがあったのでしょう?

中野さん:学生と一緒に実習の現場で患者さんと関わるうちに、看護師としての楽しさや喜びをあらためて実感し、現場に戻りたいと思ったんです。ただ、病院で働くという選択肢はまったくありませんでした。

看護専門学校の教員として勤務していたころの中野さん

── 病院で働くのは嫌だった?

中野さん:看護師である私がこんなことを言うのも変ですが、病院の雰囲気が苦手で(笑)。白衣も苦手です。なんだか緊張しちゃうんですよね。それに、精神疾患について学べば学ぶほど、その方の日常生活に関わりながらサポートしていくことが大事だと感じていました。病院は治療するところなので、看護師が患者さんの生活まで考えてケアするのは難しい。自分が患者さんとどう関わりたいかを考えたときに、その人のライフスタイルに合わせて在宅で支えていく「訪問看護師」として働くことを決めました。

ですが、その後40歳で転職した訪問看護ステーションでは、経営陣との考え方の違いなど、中堅ならではの悩みにぶつかり、モヤモヤすることも。長年の友人2人と飲んでいたとき、仕事の愚痴を漏らしたら、「そんなに職場が不満なら、自分で起業してみたらどう?」と言われたんです。その言葉をきっかけに起業を決意し、半年後にはその3人で法人を起ち上げました。

訪問看護ステーション「くるみ」の創業メンバー。一番右が中野さん

── わずか半年で。すごい行動力ですね。

中野さん:1人は20年来の看護師仲間で、もうひとりはIT企業の経営者。彼が経営のスキルを活かして、緻密な事業計画を練るなど、率先して導いてくれたおかげです。

現在は、専門知識やスキルを持った看護師を含む18名のスタッフで、うつ病などの精神疾患を持つ患者さん約200名のケアをしています。2歳半から90代の高齢者まで幅広い年代の利用者さんがいらっしゃいます。丁寧に話を聞きながら、その方が望む生活が実現できるようにサポートし、必要に応じて、家族のケアも行います。

── 2歳半?そんな小さなお子さんもいるのですか?

中野さん:発達障害の診断が確実につくのは3歳以降ですが、病院で「疑いあり」という結果が出たお子さんに対し、生活を整えて「療育」を行い、早めにフォローしていきます。

── 利用者さんの家に伺うときには、ナース服ではなく、カジュアルな服装で出向くようにしているそうですね。

中野さん:利用者さんのなかには、「訪問看護のケアを受けていることを周囲に知られたくない」という人も少なくありません。本人が望む環境を整えることが、私たちの役割です。それに、看護師と話すと思うと、つい身構えてしまったり、何をしゃべったらいいかわからなくなってしまう方もいらっしゃいますから、ナース服は着ません。距離を感じてほしくないので。利用者さんには、「私たちはあなたの一番近くにいる仲間です。味方が一人増えたと思って、安心していろんな話をしてくださいね」とお伝えしています。

PROFILE 中野誠子さん

なかの・せいこ。1980年、熊本県生まれ。高校卒業後、精神科の看護師として5年勤務。その後、重症心身障害児施設、看護学校の教員を経て、訪問看護ステーションで働く。2022年7月に仲間と共同で「Make Care」を創業し、代表取締役社長に就任。同年11月、大阪市内全域を対象に、精神科に特化した訪問看護ステーション「くるみ」を立ち上げ、運営。

取材・文/西尾英子 写真提供/中野誠子