愛とは、与えるもの。

でも、与えすぎる愛は時に、相手を押しつぶしてしまうことがある。

愛情豊かなお嬢様・薫子(26)は、そんな“重すぎる愛”の持ち主。

「適度な愛の重さ」の正解とは……?

その問いに答えを見いだすべく、改めて恋愛と向き合った女の、奮闘物語である。

▶前回:早く結婚して子供が欲しいけれど…。27歳女が、彼に本心を打ち明けられない深いワケとは?




「薫子、本当に送らなくて大丈夫?」

「うん、大丈夫。タクシー乗ったらすぐだし。また時間できたら連絡してね」

「わかった。電話するよ」

水曜22時の白金、四の橋交差点。

薫子はタクシーに乗り込むと、明るい笑顔を浮かべて、窓越しの純一郎に手を振った。

タクシーは、明治通りを渋谷方面へと向かって走り出す。

窓から見える純一郎の姿がどんどん小さくなり、やがて見えなくなると、薫子はようやく強張る笑顔をほどいて小さくため息をついた。

「純一郎さんの、バカ」

運転席にも聞こえないほどの小さな声でそうつぶやいたものの、すぐに心の中で自分自身に反論する。

― ううん、バカなのは私だよね。純一郎さんはなんにも悪くない。

暗澹とした気持ちが、薫子の胸に重くのしかかる。

その重さに耐えかねてズルズルと座席に深くもたれながら、薫子は今夜のデートで目撃してしまった、純一郎の奇妙な態度を思い返していた。


デート中の純一郎が見せた、おかしな様子とは…?




「え…?」

今夜のデートが始まって、すぐのことだった。

ふたりのお気に入りの店『ロッツォシチリア』で、席につくなり純一郎が言った言葉に対して、薫子は思わず聞き返す。

「ごめんね。今週と来週はちょっと用事で、週末どっちも会えなさそうなんだ。だから、今日はこうして少しでも会えて嬉しいよ」

「そう、なんだ…。私も会えて嬉しい。ね、何食べる?パネッレとカポナータは頼むよね?」

まったく気にしていないフリでメニューに目を通すも、薫子の気持ちはどん底だ。

― 「ちょっと用事」ってなに?私と会うよりも大切なこと?

決して確約しているわけではないけれど、普通であれば、毎週土曜日はデートの日になっていたはず。それを、さらっと2週も会えないと伝えられているのだから、ガッカリしないわけがない。

ましてや今夜は、多忙な純一郎からこうして平日デートに誘われたことに舞い上がっていたから、その落差に薫子は、思わず落ち込んでしまうのだった。

その後も、薫子への試練は続いた。

それは、食事がひと段落ついた頃。薫子が化粧室に立つも、使用中だったためにすぐに戻ると、それに気づいた純一郎が、取り出したばかりのスマホを慌ててポケットの中にしまったのだ。

「電話?してもらって大丈夫だよ!」

そう促す薫子に、純一郎はぎこちない笑顔を浮かべる。

「いや、いいよ。せっかく薫子と一緒にいるんだし」

「そう?気にしなくていいのに」

軽く流しながらも、薫子の中で疑惑はほぼ確信に変わりつつあった。

― 純一郎さん、何か隠してる。

いつもの純一郎なら、薫子が聞かなくても週末の予定を具体的に伝えてきたり、少しの電話なら「ちょっとごめんね」と言いながら目の前で済ませるはずだ。

だから今日の態度には、違和感しかない。

終始こんな調子のデートを終えた薫子は、タクシーの中でモヤモヤとした気持ちを持て余す。

そしてついに耐えきれなくなると、ヴァレクストラのバッグの中からスマホを取り出して、おもむろにLINEを打ち始めた。




『純一郎さん。週末会えないなんて寂しいよ。
誰と何するの?
少しだけでも会えないの?
誰に連絡しようとしてたの?
私には言えない人?』

思いのままに打ち込むと、躊躇なく送信の三角マークをタップする。

送り先は、純一郎ではない。

To doメモ代わりに使っている、自分自身に向けたトークルームだ。

― こんなLINE。純一郎さんに送るなんて、絶対できない。

永遠に既読にならないひとりぼっちの孤独なトークルーム。でも、ここに想いをぶつけることで、ほんの少しだけ気持ちを発散してくれるような気がする。

「縛られない関係でいましょう」

そう提案した側である自分からは、どれだけ不安でも追求できないのがもどかしい。

その一方で、こうして自分を偽る毎日には、だんだんと慣れつつもある。

薫子には、それがなぜだか無性に悲しく感じられるのだった。



「食事会、ですか?」

「うん。土曜日、暇なんでしょ?行こうよ。1人足りなくて困ってるの」

まだモヤモヤが払拭しきれない翌日のランチで、キョトンとする薫子にそう詰め寄るのは紀香だ。

ついに今月末に退職を控えた紀香は、時間に余裕があるのか、最近はこうして頻繁に薫子とランチを共にする。

「でも、食事会なんて…」

煮え切らない薫子に、紀香は言葉を続ける。

「純一郎さんが怒る?でもあなたたち、そういうの気にしない約束なんでしょ?彼氏がいたって、食事会くらいきてもバチ当たらないよ。

私も来月結婚するまでのあと少しの間、思いっきり楽しむつもりなの。別に出会いが目的なわけじゃなくて、楽しく飲みましょうってだけだから大丈夫!

『いいオンナはいつだって見識を広げろ』って、シオリ先生も推奨してるじゃない?」


紀香からの強引な誘いに、薫子は…


紀香の言葉が胸に刺さる。

そうなのだ。お互いに何をしていようと、別に報告をする義務もない。

シオリ先生も推奨しているのなら、そんなシオリ先生を愛していた純一郎にとっては何の問題もないはずだ。

「ね、おねがーい。私もう、退職して海外行っちゃうんだよ?私の送別会だと思ってさ!ね?」

「うーん、わかりました」

すっかり打ち解けた紀香からは、初対面の頃のよそよそしさはもう感じられない。

そのことがうれしい薫子は、期待に応えたい気持ちもあって、OKの返事をしてしまっていた。




そうして迎えた土曜日の夜。

薫子は複雑な気持ちを抱えたまま、代官山の『アシエンダ デル シエロ』を訪れていた。

「男性陣はちょっと遅れてくるみたい。先に飲み始めてて、だって。乾杯しちゃおっか」

紀香に言われるがままグラスを合わせるものの、薫子は気もそぞろだ。

― あーあ、純一郎さんは今ごろ何してるのかな…。

食事会への参加を決めたのは、紀香に折れたということもあったが、半分は純一郎との関係に対する自暴自棄な気持ちもあってのことだ。

理由も分からず「会えない」という純一郎は、一体何をしているのだろう。

当日を迎えてますます気になってしまう薫子は、つとめて楽しそうにしてみせるけれど、どうしても猜疑心と罪悪感で落ち着かないのだった。

そんな薫子の様子を見抜いたのだろう。今日のもう1人の女性メンバー、が声をかけてくる。

業務が違うので日頃やりとりすることはないけれど、朋子という名前の同じフロアの同僚だ。

「ねえ、薫子ちゃん。今日は一緒に飲めて嬉しい。これまであまり話す機会なかったよね」

「あ、はい!そうですよね。朋子さん、改めましてよろしくお願い致します」

慌ててグラスを置いて頭を下げる薫子に、朋子は「ほんと礼儀正しいよね」と言いながら、人懐っこい笑顔を浮かべた。

「私ね、今日は薫子ちゃんに謝りたくて。

最初は、“社長がつれてきたコネ入社の子”って…、正直あまりいいイメージなかったの。

でも、なんでも一生懸命な薫子ちゃんを見てたら、偉いなぁと思って。今じゃ尊敬してる。

紀香さんが居なくなったら忙しくなるけど、一緒にがんばろうね」

その言葉に、薫子はハッと思い出す。出社初日に、「コネ入社」とヒソヒソ紀香に耳打ちしていたのは、今思えばこの朋子だった。

「朋子さん、嬉しいです…!」

「当たり前じゃない。私が毎日指導してるんだから、デキる女になって当然よ」

感激する薫子に、横から紀香が茶々を入れる。

和やかな笑いに包まれているうちに、いつのまにか薫子の胸にわだかまっていたモヤモヤは、だんだんと晴れていく。

― そっか。恋愛以外にも、嬉しいことってあるんだなぁ。

幸せになるために、重すぎる自分を変えたい。そんな想いから、背伸びをし続ける毎日だった。

自立した女を背伸びして演じている今の自分は、本当の自分じゃないのではないか。憂鬱に苛まれてばかりだったけれど…。

背伸びをしていなければ、美術館に1人で行ける自分にも、仕事で認められる自分にも出会えなかった。

そう思うと薫子は、なんだか今の自分が好きになれるような気がするのだった。

― 食事会なんて絶対に楽しめないと思ってたけど、今日、来てよかったかも。

テラス席を吹き抜ける風が心地よい。

ひさしぶりに満たされた気持ちで、清々しい風を感じながら、薫子はグラスに口をつける。

でも、そんな満たされた気持ちは…。あまりにも予想外の展開に、あっと言う間に押し流されてしまうのだった。

「ごめん、お待たせ!」

聞き覚えのある声に、薫子は思わず目を見開く。そう言って現れた男性陣たちの中に、信じられない相手がいたのだ。

「え…うそ…?」

視線の先に立っている相手も、信じられないという表情で薫子の顔をまっすぐ見返していた。

「あれ、薫子…?」

「ひでくん…!」

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