20代後半から30代にかけて訪れる、クオーターライフ・クライシス(通称:QLC)。

これは人生について思い悩み、若さだけが手の隙間からこぼれ落ちていくような感覚をおぼえて、焦りを感じる時期のことだ。

ちょうどその世代に該当し、バブルも知らず「失われた30年」と呼ばれる平成に生まれた、27歳の女3人。

結婚や仕事に悩み、揺れ動く彼女たちが見つめる“人生”とは…?

▶︎前回:西麻布にある、入り口も見つけられないような会員制バーの奥で…。27歳女が目撃した、衝撃の世界




夫の顔色を窺いながら暮らす妻・遥(27)の場合


月曜の朝7時30分。自宅キッチンで目玉焼きを作りながら、先週金曜日の楽しかった会のことを私は思い出していた。

今まで、当たり前に幸せだと思っていた私の日常。けれども最近、昭和世代のお姉さん・亜希さんに出会ってから、これでいいのかなと悶々とすることが多くなってしまった。

「遥、どうした?目玉焼き、もう完熟になってそうだけど」
「えっ…?ヤダ、本当だ!ごめん!」

違うことを考えていたせいか、黄身にはすっかり火が通っている。夫の翼くんは、半熟の目玉焼きが好きなのに…。

「ごめん〜。これは私が食べるね。翼くんの分は今から焼くから」
「いいよ、完熟でも。俺はどっちでも平気だから」

彼は、こんなことでは怒らない。優しくて愛する夫。だけれども、本当はもっと違う選択肢があったのかもしれないと考えてしまう自分が嫌になる。

身支度を終え、出社する翼くんを見送るために玄関まで行くと、ドアノブに手をかけた彼が急に振り返った。

「そういえば遥。先週金曜の夜、遅かったね」
「ご、ごめん。前に話したけど、葵と美咲と飲んでいて…」
「ふーん、そっか。高い店とかには行ってないよね?」
「もちろんだよ!行ってらっしゃい」

ドアがバタンと閉まる音がする。最後だけ、声が高くなってしまった自分を悔いた。


ランチ代すら、夫の顔色を窺う日々。自由にお金を使えない遥は…


夫を見送った後、慌ててリビングに戻ってお財布の中のレシートを取り出す。

「葵と美咲と飲んだ」とは伝えていたものの「派手な亜希さんや、その周りにいた男性たちと一緒に飲んだ」とは言いづらくて、翼くんには黙っていた。

あの場は亜希さんが奢ってくれたけれど、気がつけば終電を逃してしまい、結局タクシーで帰ってきたのだ。

西麻布から、自宅がある江東区までは結構遠い。だがタクシーに揺られながらフワフワとした楽しい気持ちに包まれていたから、後悔はしていない。

でもそんな気持ちになったことも、高額なタクシー代のことも…。翼くんには言えなかった。

― この領収書、見つかる前に処分しないと。

お財布の中から8,000円弱もしたタクシーの領収書を抜き、私は細かくビリビリに破いた。ただそのレシートの残骸を見て、妙に虚しい気持ちが込み上げる。

どうして、隠さないといけないのだろう。

とはいえ翼くんのお給料で生活させてもらっている以上、何も言う権利はない。

「私も、何かしたいな…」

ただ何がしたいのか、わからない。机の上に散乱したバラバラの紙切れが、気持ちの不安定さを表しているかのようだった。

でもこういう日に限って、落ち込む出来事は続くらしい。

今日は友人・萌ちゃんとランチの約束があったのだけれど、その席で私は“自分らしさ”というものを、嫌でも考えさせられることになったのだ。



彼女が予約してくれていた『リナストアズ表参道』は英国で人気らしく、海外初出店がこの店なんだとか。

そんな素敵なお店で、バターとトリュフの濃厚な風味が絡み合った『フレッシュトリュフとバターを使ったタリオリーニ』を食べようとした矢先。萌ちゃんの発言に、私は耳を疑ってしまった。




「私、留学するんだ」
「りゅ、留学!?」
「そう。パリに2年間ほど行ってこようかなと思って」

私たちは大学時代、第2言語のクラスが一緒で仲良くなった。そして当時、2人が選択していたのはフランス語。

だからこそ萌ちゃんから“パリ”という地名を聞いて、急に胸がグワっと掴まれたような、大きな衝撃が走る。

「でも、でも。仕事はどうするの?結婚だって、しなきゃいけないでしょ?」
「仕事は辞めるよ。そのために一生懸命働いて貯めたから。留学するって決めてから、実はかなり節約してたんだよね〜」

萌ちゃんは現在、小さな出版社に勤めている。文学が好きで大手出版社を狙っていたけれどダメで、結果として今の会社に入社した記憶がある。

「せっかく入れた会社じゃない。辞めたらもったいないよ」
「そういう遥だって、辞めてるじゃん(笑)」
「私は結婚したから…」

ただここまで言いかけて、私は思わず口をつぐんだ。結婚したから、何だと言うのだろう。

考え込んでいると、萌ちゃんはあっけらかんと言い放った。

「私、挑戦してみたいんだ。自分の好きなことをして、自分の好きな場所で生きてみたいの」


友人の一言に、一歩踏み出す勇気のない女は…


「でも、もう27歳だよ?そろそろ落ち着かないと」
「…どうしてそんなこと言うの?遥なら『頑張ってね』って、応援してくれると思ったのにな」

本当は、応援したい。友人の新たな門出を、笑顔で送り出してあげたい。

でも素直に喜べない。

「だって萌ちゃんの話を聞いていると、あまりにも無計画な感じがして…。もっと石橋を叩いて渡るタイプじゃなかった?貯金も今はいいけど、なくなったらどうするの?」
「大丈夫。最初は語学留学だけど、向こうで仕事を見つけるか、もしくは帰ってきて再就職すればいいから」

大学時代、一緒に肩を並べて勉強していた萌ちゃん。あのとき私たちの前には、無限の可能性を秘めた輝かしい未来しかなかった。

でも今は違う。私たちの間には、明確な差がある。

萌ちゃんが羽ばたこうとしている未来は、果てしなく広がっている。一方で私の未来はとても狭く、大体の予想がついてしまう。

それはまるで、結末がわかっている小説のようだ。きっと大して面白くもない、短編小説…。




「いいな…」

ため息にも似た羨望の声が、思わず漏れる。すると萌ちゃんは、そんな私に対してまたあっけらかんとした笑顔を向けてきた。

「遥も、挑戦すればいいじゃん。自分のやりたいことを見つけて」
「やりたいこと?」

世の中のみんなが、やりたいことをちゃんと見つけられているのだろうか。

夢や目標のない自分は、大丈夫だろうか。

「私って、何ができるんだろう…」
「遥はお料理も上手だし、家事も完璧じゃない。とりあえず自分の好きなことを、今一度見直してみたら?」
「好きなこと、かぁ…」
「遥。私たち“まだ”27歳だよ。可能性は無限大なんだから。自分の好きなように、生きてみなよ」

もう27歳。だけど、まだ27歳。

「それに翼くんだったら、遥のやりたいことを応援してくれる気がするけどな」

たしかにその通りだと思う。今は夫に遠慮しているけれど、きっと私が「何かやる」となったら、彼は絶対に応援してくれる。

たぶん、世界イチの味方でいてくれるはずだ。

「そうだよね。何をするかはわからないけれど、動きながら考えればいいよね」
「そうだよ。遥、まずは行動しないと」

萌ちゃんと解散した帰り道。

彼女の強い言葉のおかげで、少し軽くなった心を抱えながら「まだ27歳だ」と、何度も頭の中で繰り返した。

▶︎前回:西麻布にある、入り口も見つけられないような会員制バーの奥で…。27歳女が目撃した、衝撃の世界

▶1話目はこちら:26歳女が、年収700万でも満足できなかったワケ

▶NEXT:6月27日 月曜更新予定
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