自由気ままなバツイチ独身生活を楽しんでいた滝口(38)。

しかし、離婚した妻との間にできた小6の娘・エレンを引き取ることになり、生活が一変……。

これは東京に住む男が、男としての「第二の人生」を見つめ直す奮闘記である―。

◆これまでのあらすじ

同じひとり親であるママ友が手料理を差し入れてくれるようになった。だが、あまりにも頻繁な差し入れに、滝口は悩み始めて…。

▶前回:「どちらの大学ご出身?」ママ友からの質問。笑顔の裏に隠された恐ろしい意図とは




Vol.7 バツイチ男を助ける伝説の家政婦現れる


水曜17時。

そろそろ会社を出ようと、滝口が帰り支度をしていると、スマホが震えた。

『沙織:滝口さん、ハンバーグが美味しくできたので、マンションのコンシェルジュに預けておきますね』

ママ友、沙織からのLINEだ。

『滝口:ありがとうございます』と返信した後、滝口はじっと考え込んだ。

― 2日前も夕飯差し入れてくれたんだけどなぁ。

ここ2週間で、6回ほど沙織から夕飯の差し入れがあった。

最初は「厚意」だと思って、ありがたく受け取とっていた。

そして先日、お礼にと『ラデュレ』のマカロンを渡した。その時の沙織とのやりとりが、なんとなく滝口の中で引っ掛かっている。

「お好きな食べ物ってあります?」

「いえ、好き嫌いないんですよね。いただいた食事は、いつも娘と美味しくいただいています」

「嬉しい!じゃ、また何か作って持っていきますね」

「ありがとうございます。でも、無理のない範囲で」と答えた滝口。だが、ふと思ったのだ。

― もしかして「厚意」じゃなくて「好意」?いや、まさかね。

子ども同士が同じ小学校で、家もご近所、お互いひとり親という状況も同じ。

本当なら、子育てで困ったことをいろいろ相談し、助け合えるはずなのだが、滝口は違和感を感じていた。

お互いが忙しい時に“協力し合う”というのは、ありうる話だ。

だが、滝口は沙織のために、協力できることは何もない。一方的に世話を焼かれているだけ。沙織の意図はなんだろう?と考えてしまう。

― ま、ハンバーグはエレンが大好きだし、ありがたくもらっておくか。

スマホをジャケットの胸ポケットにしまうと、滝口は席を立った。


この日もまた食事を差し入れてくれるママ友。断りたいが強く言うことができず…


滝口は通りで手を上げ、目の前に止まったタクシーに乗り込んだ。自宅の場所を伝えると、シートに身を預ける。

タクシーは5分ほどで、松濤にある自宅マンションに着いた。

エントランスの扉が開いた瞬間、ちょうどコンシェルジュと目が合う。

「おかえりなさいませ、ちょうどよかったです。今、お客様がお届け物を…」

コンシェルジュの視線の先を見ると、ホールのソファで、なにやらメモを書いている沙織が見えた。

彼女は、滝口の姿をとらえるや否や、慌てて立ち上がった。

「滝口さん!おかえりなさい。今、お夕飯を届けに来たところなんです」

沙織は、手にしていた紙袋を滝口に渡す。

滝口は、そのまま帰すのも申し訳ない気がした。

そして「わざわざすみません。もし良かったら、コーヒーでも…」と自宅に誘った。

沙織の目がパッと輝く。

「いいんですか?そんなつもりじゃなかったんですけど」

そう言いつつも、どことなく嬉しそうな沙織。

「じゃ、ちょっとだけ…」

沙織を自宅のリビングに招き入れ、滝口はキッチンに立った。




「ご自宅、とっても素敵。シンプルで洗練されていて」

彼女は、きょろきょろと部屋の中を見回している。

滝口は、その様子を気にも留めず、挽きたての豆をドリップした。

豆は、代々木八幡の『やなか珈琲』で焙煎してもらったばかりのキリマンジャロ。すっきりとした飲み口が、気に入っている。

「おうちの中は、全部ご自分で?」

コーヒーをカップに注ぎ、沙織の前に差し出すと滝口は答える。

「ええ、不動産投資の仕事をしているせいか、インテリアとか雑貨が好きなんですよ。男なのに、変ですね」

「全然そんなことないです。それで、エレンちゃんを育てて、会社も経営してるなんて、素敵すぎます」

「エレンからは、いつも文句ばかり言われるんですけどね…」

滝口は、いい機会だから食事の差し入れについても釘を刺しておこうと思う。

「いつも食事を差し入れてくれてとても助かってます。でも、こんな頻繁にだと費用もかかるし、時間も取られちゃうので…」

滝口がここまで言うと、沙織が不安そうな声で遮った。

「迷惑ですか?」

「いや、えっと、そんなことは全然」

さすがに、困っているとは言えない。

すると、瞬時笑顔に戻った沙織が言った。

「じゃあ、何も問題ないですね。私がやりたくてやってるんですから」

そう言うと、沙織は「ごちそうさまでした」と言って立ち上がり、颯爽と帰っていった。

「ここで大丈夫です」と彼女が言うので、下まで見送らず玄関先で別れた。

― 結局、差し入れを断れなかったな…。

もやもやした感覚だけが、滝口の中に残った。

しかし、「私がやりたくてやってる」という彼女の発言から、わかったことがある。

― やっぱり“好意”を持たれているのかな…。

別にお互いに独身であれば、恋愛も構わないと思う。だが、あいにく滝口から見た沙織は、娘の友達の母親にすぎない。

カップに残った冷めたコーヒーを飲み干し、スマホを手に取る。

見る専用のTwitterを立ち上げ、画面を手繰る。すると、あるリツイートが目に入った。

「伝説の家政婦、ミカ子さんの新刊好評発売中」

― 伝説の家政婦?

滝口は、早速ググってみる。


沙織を断る口実として家政婦を雇おうと考えた滝口。そして、家政婦はやってきた


― へぇ…。料理本、子育て本がヒットしている家政婦さんなんだ。

年齢は、50歳くらい。

3人の子どもを東大、京大に合格させた教育法や、好き嫌いがある子どもでも、喜んで食べる野菜のレシピでブレイクしたらしい。

そして、執筆の傍ら、今でも家政婦をしているとあった。

― どうせ家に呼ぶなら、こういう人がいいかもなぁ。

家政婦といえば、エレンを引き取ってから短い間だが雇ったことがある。

だが、作り置きされた料理が今ひとつだった。それに、掃除も家政婦を入れたからといって、ピカピカになったという実感がなかった。必要最低限を、決められた通りにやっているという感じだった。

彼女のInstagramを見ると、掃除や料理のコツがポストされていて、フォロワーも10万人を超えている。

― 連絡が来るかわからないけど、聞いてみるか。

滝口は、Instagramにダイレクトメッセージを送ってみることにした。



メッセージを送った翌週、木曜日の14時。

家政婦・ミカ子は、打ち合わせのために、滝口家までやってきた。

現れた彼女は、本やSNSで見たとおりの人だった。

ブルーのリバティプリントのエプロンに、襟をピンと立てた白いシャツ、髪を後ろでキュッと一つにまとめている。

本まで出している人だから、誰かの紹介でもない家政婦の依頼など受けていないと、滝口は思っていたが、意外にもあっさり承諾してくれた。

週2日、1回4時間。料金は1時間につき6,000円で交通費は別。




「じゃあ、私がお手伝いさせていただくのは、お掃除とお食事。立ち入った話ですが、お父様とお嬢様の2人暮らしですか?」

部屋の中を案内している際、ミカ子が尋ねてきた。

「妻とは、だいぶ前に離婚してます。最近彼女が、アメリカに留学するというので、私が娘と一時的に暮らすことになったんです」

「まぁ、それじゃあ、お父様は華の“独身貴族”から、“イクメン”に転身したってわけですね」

“独身貴族”という言葉が、微妙に古臭いところや、妙に丁寧で上品な物言いが、滝口には、面白くうつった。

「ここが娘の部屋です」

「賢そうで可愛らしいお嬢様だこと」

飾ってあるエレンの写真を見て、大袈裟に褒めた後、注意深くあたりを見回した。

「お受験、なさるの?」

「えぇ、まあ。娘がどうしても私立の中学校に行きたいというもので」

ミカ子は、勉強机の上に散らばっている筆記用具を片付けながら尋ねてくる。

「志望校はどちらですか?」

「いや、特に…。娘が行きたいところなら、どこでもいいかなと」

数週間前に学校見学に行ったものの、それっきりで学校選びは、進んでいなかった。

そのとき、玄関でガチャガチャと音がし、エレンが帰ってきた。

「あ、パパいたんだ」

エレンは、ミカ子に対しては、訝しげに軽く会釈をする。

「家政婦のミカ子です。成績がぐんぐん上がるチーズケーキを焼いてきたの。おやつに召し上がる?」

彼女は、にこやかにエレンに声をかける。

「あ、はい…」

明らかに戸惑っている様子のエレン。

― ミカ子さんって、結構キャラが濃いな…。

2人の様子をまったく気にすることなく、キッチンで湯を沸かし始めるミカ子。

「ねえ、パパ。あの人、どこで知り合ったの?」

エレンが彼女に聞こえないよう、小さな声で聞いてくる。

「すごい人なんだよ、ほら」と滝口は、スマホの画面を見せる。

「週に何回か、掃除と食事作りに来てくれるから」

エレンは、何か勘づいたようだ。

「じゃあ、咲希ちゃんのママからの料理のお裾分けは、もういらないってことね。残念がるね。パパのことが大好きみたいだから」

「いや、咲希ちゃんママは、そんなんじゃないよ」

やんわりと否定しながらも、エレンが気づいていたことに驚く。

「お父様も一緒にいただきましょう」

キッチンから、ミカ子が呼ぶ声がする。

「イギリス南西部のコーニッシュ・チーズケーキです」

20年ほど前に夫の転勤で住んだイギリスの田舎町で、教えてもらったレシピだという。

「エレンちゃん、分度器を使わず、このケーキを正確に3等分するにはどうしたらいいと思う?」

意気揚々と問いかけるミカ子に、唖然としているエレン。

3等分ができないからなのか、それとも、ミカ子の強烈なキャラにやられているのか。

― とりあえずは、1ヶ月彼女にお願いしてみよう。継続依頼するかは、その時決めよう…。

▶前回:「どちらの大学ご出身?」ママ友からの質問。笑顔の裏に隠された恐ろしい意図とは

▶1話目はこちら:浮気がバレて離婚した男。6年ぶりに元妻から電話があったので出てみたら…

▶NEXT:6月25日 土曜更新予定
滝口、エレンともにミカ子のペースに巻き込まれ…。そんなとき、あの女性から連絡が