少しずつ気持ちが戻ってきたのは、息子の塾が決まったことも大きな理由だと思います。今まで悩んでばかりで何事もうまくいかず、闇の中でもがいていたけれど、目先のやるべきことが決まったことで、悩むだけでなく具体的な行動が伴うようになったことが良かったのかもしれません。

 やっと息子の塾が決まったので、少し遠い塾までの送迎をするために、ペーパードライバーのわたしは運転の練習を始めました。ものすごく怖がりなので、初心者マークを貼って、ひとりで何度も塾までの道を往復して猛練習。週に3回、息子の塾送迎をするルーティンが始まり、塾が終わるのを待っている最中に、車を停めたショッピングモール内で買い物をして時間をつぶしたり、なんというか「普通の人」っぽいこともできるようになってきました。

◆お惣菜がおいしそうに見えるように

 モールで時間をつぶしていると、食品コーナーのお惣菜もおいしそうに見えてくるようになった自分にも気づきました。「わぁ、おいしそう。食べたいなぁ」と自然に感情が沸き上がってくる自分が不思議でした。だって数か月前まではご飯を食べることさえ面倒で、仕方なくキッチンに立って手づかみで白米をむさぼっていたのですから。

 そうやって徐々に自分の人間らしい「欲」みたいなものが復活してくるのを感じました。わたしは本来あちこちに興味があり、やりたいことも、欲しいものもたくさんある。やりたいことは必ずやる、欲しいものも買っちゃうという性格。悪く言えば浪費家の面があり、我慢ができない自分を責めることもありました。特に夫が倹約家だったので、お金の管理ができないことにコンプレックスや罪悪感を抱いたこともあります。

 けれど乳がんになり治療の途中でメンタルをやられ、どん底の無気力を経験したことで、「美味しいものが食べたい」「旅行に行きたい」「おしゃれがしたい」などの欲が出るのは、心身ともに元気な証拠だと身をもってわかりました。

 それまでの時期は本当に息をするのもつらかったけれど、それを経て、「ご飯をおいしく食べる」といういつもの行動が実は「かけがえのない生」であると気づけたわたしは、もしかしたら幸せ者なのかもしれません。

◆「人って死ぬんだ」と本当の意味で実感した

 そして、乳がんの治療も「生きるため」に取り組んだこと。乳がんを患ったときは確実に「死」を身近に感じました。みんな寿命が来たら確実に死ぬのに、それでも自分が死ぬことを実感するってなかなかできないと思います。けれど乳がんと診断されたとき「ああ、このまま放っておいたら死ぬんだ、わたし。人って本当に死ぬんだな」と思ったのです。

 リアルに死を感じたことで、生きていることの貴重さがわかりました。治療中にメンタルをやられ「生きていることがつらい」と闇をさまよっていた期間は、「せっかく治療をして生かしてもらっているのに」と、自分の中の矛盾を責め、罪悪感もありました。

 だからこそ、動けるようになってきたときに「これからの人生は思い切り楽しんで生きよう」と誓いました。美味しいものを思い切り味わって、やりたいことを思い切りやろう。自分が思い描いていることを叶えるために思い切り頑張って、どこまで叶うかやってみよう、とどんどん意欲的になっていきました。

 やっとごはんを美味しく感じられるようになったのだから、家でも美味しいごはんを食べようと、あれこれレシピを試して料理をしはじめました。闘病で減った10キロを取り戻すどころか上げ止まらず。元の体重を通り過ぎてグングン増加してきました。定期検査で先生に「太りすぎはがんのリスクだから気を付けて!」と言われる始末。