「もう無理…」スキンシップがないのも、女遊びも許してきたけど…。妻が離婚を決断した決定的瞬間
お金も時間も自由に使える、リッチなDINKS。
独身の時よりも広い家に住み、週末の外食にもお金をかける。
家族と恋人の狭間のような関係は、最高に心地よくて、気づけばどんどん月日が流れて「なんとなくDINKS」状態に。
でも、このままでいいのかな…。子どもは…?将来は…?
これは、それぞれの問題に向き合うDINKSカップルの物語。
◆これまでのあらすじ
年上のアーティストを夫に持つ万里子は、広告代理店で働く管理職。部下から好意をほのめかされる一方、夫に浮気疑惑が…?
万里子・38歳。芸術家との夫婦関係【後編】
「なによ、これ」
夫の書斎で見つけた大量のスケッチブックのページをめくりながら、私は愕然とする。
何枚めくっても、出てくるのは同じ女性の絵ばかり。遠くを見つめている横顔や、こちらを見て微笑んでいる明るい表情。後ろ姿の全身絵もある。
― 昔付き合ってた女性……ってこと?
10冊以上はある他のスケッチブックも夢中で開いてみたが、見たところすべてこの女性の絵のようだ。
よく見ると少しずつ、絵の中で彼女が年を重ねているのがわかる。
それで気がついたのだが、どのページも、右下に日付が記されている。
最初に手に取ったスケッチブックには、2008年8月3日と書かれていた。そして、いちばん奥にあるスケッチブックに手をのばしてその日付を確認した瞬間、私は悲鳴を上げた。
「2022年10月20日…」
つい10日前だ。
陽の光が差し込む部屋で、ソファに寝そべって本を読む女性の姿。その横顔はとても美しく、どこか神々しくて、描いた人の慈愛が伝わってくるような絵だった。
― すっごく、ステキな絵。夫が描いたものじゃなければ、素直にそう思ったけど…。
美しい絵を抱きしめながら、気づけば私は、ポロポロと涙を流していた。
口論
どれくらい、そこにいただろうか。
なにしろ本当にたくさんの絵があるのだ。
「見たくない気持ち」と、「知っておかなければならないという使命感」のあいだで葛藤しつつも、私は改めて、1冊ずつスケッチブックを開き、現実を直視していた。
― そうだ。優香から、『もし浮気の証拠を見つけたら、ちゃんと写真に撮っておきなさいよ』と言われたんだった…。
正直、ただの人物絵が不貞の証拠になるとは思えなかったけれど、念のために写真に収めていく。
シャッターの音が鳴るたびに、鈍い痛みが胸を突き刺した。
「あれ?万里子、なんでこんなところに。てか、まだ起きてたの?」
背後で和樹の声が聞こえる。
力なく顔を上げて時計を確認すると、朝5時を指していた。もう6時間近く、ここにいたようだ。
けれど、そんなことはどうでもよかった。私は震える手でスケッチブックを広げる。
「ねえ、この人、誰なの?」
和樹の表情がこわばる。そこから、彼の“言い訳”が始まった。
「彼女は、美大時代の後輩だよ。年齢は1つ下。学生時代から卒業後まで、5年ほど付き合ってた」
「それで、今も付き合ってるってわけね」
「そういうわけじゃないけど」
大量のスケッチブックをリビングのローテーブルに移して、私たちはソファで話し合いを始めた。
言い逃れできない状況に、和樹は素直に、彼女の存在について話すことを決意したようだった。暗い表情で淡々と、話を続ける。
「25歳くらいで別れたんだけど…30歳手前くらいの時期かな、再会したんだ。大学時代の仲間の集まりで。それをキッカケに会うことが増えて、彼女の絵を描くようになった」
― なによ、『大学を卒業したら学生時代の仲間とは縁が切れた』って言ってたけど、ウソじゃない。
和樹がこれまで、自分の友人に私を会わせたがらなかった理由を確信した。
きっと、絵の女性は仲間うちのグループの1人なのだろう。そして、まだ定期的に会っているからこそ、友人たちを私とを引き合わせたくなかったのだ。
「そう。それで、絵を描くだけの関係を15年近く続けてきたの?それ以上のことは?」
「うーん、それは」
歯切れの悪い和樹。「誓って言うけど、万里子と結婚してからは、“そういうこと”はしてないよ」などとゴニョゴニョ言っている。
「でも、絵は描き続けてたんでしょう」
「それくらい、いいだろ。ただでさえ“一般人”と結婚してしまったせいで、インスピレーションが枯渇してるんだから」
「え!?」
聞き捨てならない言葉に、思わず大きな声が出た。
一瞬、和樹が「しまった」という顔をするが、ヤケになっているのか、そのまま言葉を続ける。
「万里子がやっているのは、“誰にでもできる仕事”だ。
クライアントの要望を社内のクリエイターに流して、そのクリエイターが僕らデザイナーにさらに流す。君はただ伝書鳩をするだけで、なにも生み出しちゃいない」
「なにそれ…今まで、そんなことを考えてたの?」
「そうだよ。だから、万里子と話したって、僕の中に何も生まれない。それよりも、“こっちの世界”の仲間と話していた方が、よほど創作意欲が湧く」
吐き捨てるように言う和樹。
出会った時は、「代理店は、僕らにとってお客様だから」「代理店営業の方の意見は参考になる」と、真摯に私の話を聞いてくれていたはずなのに…。
でも…それを口にすると、彼は鼻で笑った。
「そりゃ、最初は万里子の話も勉強になったし、新鮮に聞こえたよ。でも、本当に最初だけ。
万里子は昇進して管理職になったし、自分自身で企画書を作ることも減っただろ。マネジメント、とやらに時間を割いてさ」
くだらない、とでも言いたげな和樹。
― あ、ダメだ。この人無理。
その瞬間、私は「もうこの男とは付き合っていけない」と確信した。
夜の誘いを拒否されるのも、元恋人の絵を喜んで描き続けているのも。
どちらもツラかったけれど、それ以上に……。
自分が大切にしている仕事を、真っ向から否定されたこと。それが、本当に我慢ならなかったのだ。
半年後
「それで、あっというまに離婚に至ったってわけ?」
「はじめは和樹が『離婚したくない』って言って聞かなかったけどね」
私は久々に優香に会っていた。
「そういうときって、どうするの?私の周りでも、奥さんが『離婚はしない』って突っぱねて、もう何年も離婚できてない夫婦がいるけど」
「私の場合はね…“元カノの絵”っていう、動かぬ証拠があったから」
離婚協議を始めてから3ヶ月ほど経った頃。
業を煮やした私は、和樹の書斎にあった大量の元カノのスケッチを持ち出した。十数年分の絵を1枚1枚コピーして、部屋じゅうに並べたのだ。リビングの床に収まりきらないほどの数だった。
そして、帰ってきた和樹に言ったのだ。
「私が元カレの絵を何年も描き続けていたら、和樹はどんな気持ちになる?」
と。
和樹は一瞬、ハッとしたような顔をして――そこからは、比較的スムーズに離婚への話が進んでいった。
「正直、元カノのことよりも、仕事をバカにされたことの方がずっとイヤだったんだけどね」
「わかる。アラフォーでバリバリ働いてる女性ってさ、みんなプライド持ってやってるんだよね。でなきゃ、15年以上もフルタイムで頑張り続けられないよ」
「そうそう。でも結局、結婚生活もずっとすれ違いのままだったから…和樹には全然伝わってなかったんだろうね」
そう思うと、「自分ももっと努力すればよかったのかも」という気持ちになってくる。
不規則な生活も、スキンシップの少なさも。和樹を“芸術家”として扱うのではなく、1人の人間として向き合い、自分の希望を素直に伝えていれば、もう少し違った結果になったかもしれない。
「まあ、それはそれで、次の結婚に活かすとして。今日は思いっきり飲もうよ!職場の若い子とイイ感じなんでしょ?そっちの話をもっと聞かせて!」
「イイ感じ、とかじゃないんだけど…」
そう言いつつも、明るく盛り上げてくれる優香の優しさに、心がフッと軽くなる。
40歳を前にして、友人の有難みを、私は改めてかみしめていた。
◆
「万里子さん。僕に言わなきゃいけないこと、あるんじゃないですか?」
優香と会った翌週。私は、“職場の若い子”――藤田くんと飲みに来ていた。
「えっと…そうね。先日、離婚が成立しました」
「ですよね?僕、事務の人から噂で聞いたんですよ。どうしてすぐ教えてくれないんですか。こんなに頻繁に飲んでるのに、なんか寂しいですよ」
いつもはスマートな彼が、珍しく少し酔っている。顔をほんのりと赤くしてうなだれる姿は、彼を普段より若く見せた。
この半年、藤田くんとは相変わらず飲み友達みたいな関係だった。
彼に対して惹かれる気持ちもあったけれど、必要以上に近づきすぎないように注意して接してきたのだ。離婚成立前に、異性と近い関係になりすぎるのは良くないと思ったから。
それに…。
― 藤田くんは、直属の部下だし。何かあって関係がこじれたら、仕事に支障が出るから…。
「万里子さんは、僕が部下だから恋愛対象として見られないんですよね」
「えっ」
私の考えを見透かしているかのような発言に、思わず変な声が出てしまった。彼は「やっぱり」と腕を組む。
「万里子さんのそういう、真面目でプロ意識の高いところを、僕は尊敬しているし、好きなんですよ」
真剣な目に見つめられて、私もなんだか吸い込まれるように、藤田くんの薄く茶色がかったキラキラした目に見入ってしまう。
― 藤田くんなら…お互いを尊敬し合いながら、前に進んでいけるのかな。
そう思った瞬間。
“一般人”と私を揶揄した時の和樹の表情が頭に浮かんだ。
― でも、飲んで酔った勢いで付き合っちゃ、ダメね。今度はもうちょっと、慎重に…。
こんな時でも、頭の中で冷静に色々と考えてしまう自分に、なんだか笑ってしまうけれど。
「じゃあ今度、2人でどこかに出かけてみる?飲みじゃなくて、昼間に」
私の提案に「えっ?いいんですか!?」とパッと顔を輝かせる藤田くんに、私も自然と、口元がゆるんだ。
前よりも慎重に。でも、石橋を叩きすぎて、叩き割らないように――。
2人にとって良い案配を探していこう。
そう決めたら、急に目の前が開けたような気がした。
▶前回:妻からの夜の誘いを断り続ける、5歳上の夫。彼の書斎から出てきた“信じられないモノ”とは
▶1話目はこちら:「子どもはまだ?」の質問にうんざり!結婚3年目、32歳妻の憂鬱
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外資系パワーカップルの悩み