結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?

優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。

それなのに・・・。

私は一体いつから、“妻であること“に息苦しさを感じるようになったんだろう。

◆これまでのあらすじ

夫との結婚生活にマンネリ気味の麻由。“推し”の店員目当てで会社近くのカフェに通い、満たされない気持ちを癒していた。そんな時、会社の帰り道で推しメンと偶然出会い…

◆前回:「今夜は無理…」夫は知らない。結婚3年目、妻が誘いを断るワケ




偶然の帰り道


推しのカフェ店員・圭吾くんと偶然出会った夜。

「麻由さん。駅までの道、ご一緒してもいいですか?」

「う、うん」

私は流されるように、彼と肩を並べて歩き始めていた。

「麻由さんって、お家はどちらなんでしたっけ」

「三鷹に住んでるよ」

「えっ!僕、実家が三鷹なんですよ。なんか嬉しいな」

― その笑顔は、反則でしょ…。

お店で会話するよりも、彼が近くに感じられて、ドキッとしてしまう。

「圭吾くんは、一人暮らしなんだっけ?どのあたりに住んでるの?」

平静を装い、会話を続ける。

「今は、品川周辺に住んでますよ」

「わあ、素敵。私も学生時代に一人暮らししてみたかったなぁ。私の家、下にも2人妹がいたから、一人暮らしまでは許してもらえなくて」

学生時代、私は逗子にある実家から三田キャンパスに通うのに、片道1時間以上かけていた。田町や品川で一人暮らしをしている友達が、心底羨ましかったものだ。

「でも、この2年くらいって、ほとんどオンライン講義だったんじゃない?それなのに大学の近くに住んでたんだね」

「あ、えーっと…品川に住み始めたのは、ここ最近なんです。就活するのに、都心の方が便利かなって」

微妙に口ごもりながら答える彼。


駅に着くと、圭吾から意外な“お願い”が…?


駅までの道中は10分程度だったけれど、圭吾くんのことを以前よりも知ることができた。

三鷹で生まれ、父親の仕事の都合で幼少期をドイツで過ごした彼は、帰国後にICU高校へ進学。

大学は慶應の経済学部に入学後、2年生の時から新宿にあるIT系ベンチャー企業でインターンシップで働いてきたそうだ。その関係で、アルバイト先も新宿のカフェを選んだのだという。

― さすが圭吾くん。キラキラな経歴…。

中高は、鎌倉にある女子校でのほほんと過ごし、大学時代は、フットサルサークルとは名ばかりの“飲みサー”でゆるゆる遊んできた私とは、全然違う学生生活だ。

「私、学生時代は圭吾くんみたいにしっかりしてなかったな。友達と遊んでばかりで…なんか、恥ずかしくなってきちゃった」

すると、彼は「そんなことないですよ」ときっぱりと言った。

「麻由さんの学生生活も、素敵じゃないですか。たくさんの友達と充実した青春時代を過ごして。だから、こんなに魅力的な女性になったんだと思います」

「えっ!?」

最後の一言に動揺して、思わず立ち止まる。

10歳も年下の男性から“魅力的な女性”と言われて、嬉しくないわけがない。

平静を装う余裕などなくなってしまい、反射的に彼の目を見る。

目が合うと彼は、静かに微笑んだ。

「麻由さん」

先ほどまでよりも一段低い声で、圭吾くんは私の名前をゆっくりと呼び、こちらの方に一歩、また一歩と近づいてきた。

このまま腰に手を回されたとしても、なんらおかしくない距離感だ。




― もしかして『うちに来ませんか』とか言われちゃう?

いや、さすがに早すぎるよね。まずは「これから飲みに行きませんか」と誘われるのかな。

夫の浩平と出会ってから4年、男と女の駆け引きなんてご無沙汰だから、次の展開が予想できない。

― でも、いずれにせよ断らなきゃ。私は浩平の妻なんだもの。

いくら夫とマンネリになっているとはいえ、不貞を働くのは許されない。

なんて、爆走ともいえる妄想をしながら、20センチ以上も上にある圭吾くんの目をじっと見つめる。

すると…。彼は不意に、子犬のように無邪気な笑顔で言った。

「麻由さん。よかったら、LINE交換しませんか?就活のこととか、色々教えてください!」

「え、ええ。もちろん」

私は、なんだか気が抜けて、二つ返事で了承する。

今の今まで頭をフル回転させていたからか、ぎゅっと縮こまっていた脳が急にゆるんだような感じだ。何も考えずにスマホを取り出し、LINEのQRコードを彼に見せる。

「ありがとうございます!帰ったら連絡しますね」

「う、うん」

「じゃあ、僕はここで。麻由さん、気をつけて帰ってくださいね!」

彼は、そう言って山手線のホーム方面に向かっていった。

― なんだったんだろう、今の感じ。

圭吾くんの背中を見送りつつ、私も中央線のホーム方面へと歩き始める。

拍子抜けしたものの、「圭吾くんと連絡先を交換した」という喜びがじわじわと湧いてくる。

ホームへの階段を下りる直前、もう一度圭吾くんの姿が見たくなり、彼が去っていった方を振り返った。

― あれ?あの女性って…。

圭吾くんの後ろから歩いてきた女性が、彼の肩を叩くのが見えた。振り向いた彼は笑顔になり、2人は何か話しながら楽しそうに歩いていく。

目を凝らして女性の顔を見てみて、気づいた。今朝、カフェで私に接客してくれた店員だ。

― ただのバイト仲間、よね。

そもそも既婚者である私が、彼の女性関係に対してどうこう言う権利はない。

抱いてしまった小さな嫉妬心をかき消すように、私は足早にホームの階段を下りた。


帰宅すると、さっそく圭吾から連絡が来て…


中央線の豊田行きは少し混んでいた。私は車両の隅に立ち、イヤホンを取り出す。

会社の帰り道、私はいつもお気に入りの音楽を聞く。

音楽アプリを立ち上げて、自作したプレイリストを自動再生すると、スマホはバッグにしまって音だけに集中することにしている。

でも、今日は――。圭吾くんから連絡が来ないか、妙に気になってしまう。

気づけば、LINEアプリを無駄に立ち上げたり閉じたりしていた。




― 『“帰ったら”連絡しますね』って言ってたけど、それって“家に着いたら”ってこと?新宿から品川って、どれくらいで着くんだっけ?

そわそわして、Google Mapで新宿から品川までの所要時間を調べてみたり…。

どうにも圭吾くんの姿が、頭から離れない。

ついさっき、間近に見た彼の薄い唇。くっきりと出ている喉仏に、急に低くなる声。

思い出すだけで、体の奥が熱くなる。

― あの時、もしも『うちに来ませんか』って、聞かれてたら…。私は、ちゃんと拒否できていただろうか。

窓の外に移り行く景色を眺めながら、いつの間にか、妄想を繰り広げていた。




21時30分。

駅前のスーパーで買い出しをしてから家に着いたが、浩平はまだ帰宅していなかった。

なんとなくホッとする。

落ち着かない気持ちでシャワーを浴び、寝室に戻ると、時刻は22時を回っていた。

その瞬間。

バッグの中で、スマホの振動音が聞こえた。

「…!!」

反射的にスマホをつかみ、LINEを開く。

予想通り、彼からの連絡だった。

『圭吾:麻由さん、さっきはありがとうございました!麻由さんとお話しできて嬉しかったです!』

「お話しできて嬉しい」だなんて、社交辞令でもよくあるフレーズだ。

それなのに、口元が緩んでしまう自分がいる。




『麻由:連絡ありがとう。私も、圭吾くんのことを色々知れて楽しかった!』

『圭吾:なんか僕の話ばかりしちゃったような気がします、すみません』

『麻由:そんなことないよ!それに、お店では普段こんなに話せないし』

何の気なしに送ったこの一言が、圭吾くんを刺激したのだろうか。

『圭吾:じゃあ、LINEではお店で話せない話をしましょう(笑)』

圭吾くんからの返信に、私の胸は大きく高鳴る。

気づけば私は、彼とのLINEに没頭していた。

「お店で話せない話」と彼は言ったけれど、内容は普通の日常会話だ。今日話したことの延長線。

でも、テンポよく続くラリーに、「この流れを止めたくない」という思いが強く働く。

ドレッサーの前で髪を乾かしつつ、夢中で彼に返信を打った。

「…おい。おいってば!」

大きな声にハッとして、我に返る。

見上げると、不機嫌そうな表情の浩平が、腕を組んで立っていた。

ドライヤーをかけながらLINEに夢中になっていたので、夫の帰宅に気づかなかったのだ。私は慌てて、手元のスマホを裏返す。

「ずいぶん楽しそうにLINEしてたみたいだけど。誰と連絡してたの?」

冷たい目で放たれた質問に、私はゴクリと唾を飲んだ。

▶前回:「今夜は無理…」夫は知らない。結婚3年目、妻が誘いを断るワケ

▶1話目はこちら:結婚3年目の三鷹在住32歳女が、夫に秘密で通う“ある場所”とは

▶Next:6月25日 土曜更新予定
浩平からの詰問に、麻由の返答は…