「部屋に誘われるかも」年下男と急接近し浮かれる32歳女。しかし予想外の展開に…
結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?
優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。
それなのに・・・。
私は一体いつから、“妻であること“に息苦しさを感じるようになったんだろう。
◆これまでのあらすじ
夫との結婚生活にマンネリ気味の麻由。“推し”の店員目当てで会社近くのカフェに通い、満たされない気持ちを癒していた。そんな時、会社の帰り道で推しメンと偶然出会い…
偶然の帰り道
推しのカフェ店員・圭吾くんと偶然出会った夜。
「麻由さん。駅までの道、ご一緒してもいいですか?」
「う、うん」
私は流されるように、彼と肩を並べて歩き始めていた。
「麻由さんって、お家はどちらなんでしたっけ」
「三鷹に住んでるよ」
「えっ!僕、実家が三鷹なんですよ。なんか嬉しいな」
― その笑顔は、反則でしょ…。
お店で会話するよりも、彼が近くに感じられて、ドキッとしてしまう。
「圭吾くんは、一人暮らしなんだっけ?どのあたりに住んでるの?」
平静を装い、会話を続ける。
「今は、品川周辺に住んでますよ」
「わあ、素敵。私も学生時代に一人暮らししてみたかったなぁ。私の家、下にも2人妹がいたから、一人暮らしまでは許してもらえなくて」
学生時代、私は逗子にある実家から三田キャンパスに通うのに、片道1時間以上かけていた。田町や品川で一人暮らしをしている友達が、心底羨ましかったものだ。
「でも、この2年くらいって、ほとんどオンライン講義だったんじゃない?それなのに大学の近くに住んでたんだね」
「あ、えーっと…品川に住み始めたのは、ここ最近なんです。就活するのに、都心の方が便利かなって」
微妙に口ごもりながら答える彼。
駅に着くと、圭吾から意外な“お願い”が…?
駅までの道中は10分程度だったけれど、圭吾くんのことを以前よりも知ることができた。
三鷹で生まれ、父親の仕事の都合で幼少期をドイツで過ごした彼は、帰国後にICU高校へ進学。
大学は慶應の経済学部に入学後、2年生の時から新宿にあるIT系ベンチャー企業でインターンシップで働いてきたそうだ。その関係で、アルバイト先も新宿のカフェを選んだのだという。
― さすが圭吾くん。キラキラな経歴…。
中高は、鎌倉にある女子校でのほほんと過ごし、大学時代は、フットサルサークルとは名ばかりの“飲みサー”でゆるゆる遊んできた私とは、全然違う学生生活だ。
「私、学生時代は圭吾くんみたいにしっかりしてなかったな。友達と遊んでばかりで…なんか、恥ずかしくなってきちゃった」
すると、彼は「そんなことないですよ」ときっぱりと言った。
「麻由さんの学生生活も、素敵じゃないですか。たくさんの友達と充実した青春時代を過ごして。だから、こんなに魅力的な女性になったんだと思います」
「えっ!?」
最後の一言に動揺して、思わず立ち止まる。
10歳も年下の男性から“魅力的な女性”と言われて、嬉しくないわけがない。
平静を装う余裕などなくなってしまい、反射的に彼の目を見る。
目が合うと彼は、静かに微笑んだ。
「麻由さん」
先ほどまでよりも一段低い声で、圭吾くんは私の名前をゆっくりと呼び、こちらの方に一歩、また一歩と近づいてきた。
このまま腰に手を回されたとしても、なんらおかしくない距離感だ。
― もしかして『うちに来ませんか』とか言われちゃう?
いや、さすがに早すぎるよね。まずは「これから飲みに行きませんか」と誘われるのかな。
夫の浩平と出会ってから4年、男と女の駆け引きなんてご無沙汰だから、次の展開が予想できない。
― でも、いずれにせよ断らなきゃ。私は浩平の妻なんだもの。
いくら夫とマンネリになっているとはいえ、不貞を働くのは許されない。
なんて、爆走ともいえる妄想をしながら、20センチ以上も上にある圭吾くんの目をじっと見つめる。
すると…。彼は不意に、子犬のように無邪気な笑顔で言った。
「麻由さん。よかったら、LINE交換しませんか?就活のこととか、色々教えてください!」
「え、ええ。もちろん」
私は、なんだか気が抜けて、二つ返事で了承する。
今の今まで頭をフル回転させていたからか、ぎゅっと縮こまっていた脳が急にゆるんだような感じだ。何も考えずにスマホを取り出し、LINEのQRコードを彼に見せる。
「ありがとうございます!帰ったら連絡しますね」
「う、うん」
「じゃあ、僕はここで。麻由さん、気をつけて帰ってくださいね!」
彼は、そう言って山手線のホーム方面に向かっていった。
― なんだったんだろう、今の感じ。
圭吾くんの背中を見送りつつ、私も中央線のホーム方面へと歩き始める。
拍子抜けしたものの、「圭吾くんと連絡先を交換した」という喜びがじわじわと湧いてくる。
ホームへの階段を下りる直前、もう一度圭吾くんの姿が見たくなり、彼が去っていった方を振り返った。
― あれ?あの女性って…。
圭吾くんの後ろから歩いてきた女性が、彼の肩を叩くのが見えた。振り向いた彼は笑顔になり、2人は何か話しながら楽しそうに歩いていく。
目を凝らして女性の顔を見てみて、気づいた。今朝、カフェで私に接客してくれた店員だ。
― ただのバイト仲間、よね。
そもそも既婚者である私が、彼の女性関係に対してどうこう言う権利はない。
抱いてしまった小さな嫉妬心をかき消すように、私は足早にホームの階段を下りた。
帰宅すると、さっそく圭吾から連絡が来て…
中央線の豊田行きは少し混んでいた。私は車両の隅に立ち、イヤホンを取り出す。
会社の帰り道、私はいつもお気に入りの音楽を聞く。
音楽アプリを立ち上げて、自作したプレイリストを自動再生すると、スマホはバッグにしまって音だけに集中することにしている。
でも、今日は――。圭吾くんから連絡が来ないか、妙に気になってしまう。
気づけば、LINEアプリを無駄に立ち上げたり閉じたりしていた。
― 『“帰ったら”連絡しますね』って言ってたけど、それって“家に着いたら”ってこと?新宿から品川って、どれくらいで着くんだっけ?
そわそわして、Google Mapで新宿から品川までの所要時間を調べてみたり…。
どうにも圭吾くんの姿が、頭から離れない。
ついさっき、間近に見た彼の薄い唇。くっきりと出ている喉仏に、急に低くなる声。
思い出すだけで、体の奥が熱くなる。
― あの時、もしも『うちに来ませんか』って、聞かれてたら…。私は、ちゃんと拒否できていただろうか。
窓の外に移り行く景色を眺めながら、いつの間にか、妄想を繰り広げていた。
◆
21時30分。
駅前のスーパーで買い出しをしてから家に着いたが、浩平はまだ帰宅していなかった。
なんとなくホッとする。
落ち着かない気持ちでシャワーを浴び、寝室に戻ると、時刻は22時を回っていた。
その瞬間。
バッグの中で、スマホの振動音が聞こえた。
「…!!」
反射的にスマホをつかみ、LINEを開く。
予想通り、彼からの連絡だった。
『圭吾:麻由さん、さっきはありがとうございました!麻由さんとお話しできて嬉しかったです!』
「お話しできて嬉しい」だなんて、社交辞令でもよくあるフレーズだ。
それなのに、口元が緩んでしまう自分がいる。
『麻由:連絡ありがとう。私も、圭吾くんのことを色々知れて楽しかった!』
『圭吾:なんか僕の話ばかりしちゃったような気がします、すみません』
『麻由:そんなことないよ!それに、お店では普段こんなに話せないし』
何の気なしに送ったこの一言が、圭吾くんを刺激したのだろうか。
『圭吾:じゃあ、LINEではお店で話せない話をしましょう(笑)』
圭吾くんからの返信に、私の胸は大きく高鳴る。
気づけば私は、彼とのLINEに没頭していた。
「お店で話せない話」と彼は言ったけれど、内容は普通の日常会話だ。今日話したことの延長線。
でも、テンポよく続くラリーに、「この流れを止めたくない」という思いが強く働く。
ドレッサーの前で髪を乾かしつつ、夢中で彼に返信を打った。
「…おい。おいってば!」
大きな声にハッとして、我に返る。
見上げると、不機嫌そうな表情の浩平が、腕を組んで立っていた。
ドライヤーをかけながらLINEに夢中になっていたので、夫の帰宅に気づかなかったのだ。私は慌てて、手元のスマホを裏返す。
「ずいぶん楽しそうにLINEしてたみたいだけど。誰と連絡してたの?」
冷たい目で放たれた質問に、私はゴクリと唾を飲んだ。
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浩平からの詰問に、麻由の返答は…