早く結婚して子供が欲しいけれど…。27歳女が、彼に本心を打ち明けられないワケ
愛とは、与えるもの。
でも、与えすぎる愛は時に、相手を押しつぶしてしまうことがある。
愛情豊かなお嬢様・薫子(26)は、そんな“重すぎる愛”の持ち主。
「適度な愛の重さ」の正解とは……?
その問いに答えを見いだすべく、改めて恋愛と向き合った女の、奮闘物語である。
▶前回:27歳の誕生日。意中の彼からのデートの誘いを断り、女が両親と過ごすことを選んだ理由は…
「じゃあ、薫子。行ってくるね。鍵は持っててくれてもいいし、いつもみたいに郵便受けに入れておいてくれてもいいから」
日曜日の早朝。薫子は、ゴルフへと出かける純一郎を、ダブルベッドの中から見送る。
純一郎と付き合い始めてから、もう3ヶ月が経つ。
特にルールとして決めたわけではなかったけれど、土曜日の夜に純一郎が住む目黒のマンションに泊まって、日曜日はそれぞれ好きなことをするのがお決まりになっていた。
時刻はまだ6時。
特に予定も入っていない薫子は、もう一眠りしてしまおうかとも考える。しかし、純一郎のいないベッドの冷たさに目が冴えてしまい、起きることにした。
まだ寝ぼけ気味の目で冷蔵庫を開けて、簡単な朝食を作る。
― 今日の夜の純一郎さんの夕飯、作っておこうかな。
一瞬そう思ったが、頭を振ってそんな考えを振り払った。
― ダメダメ。付き合う時、私の方から“あんな条件”を出したんだから…。
告白された薫子が純一郎につきつけた“条件”とは
◆
「純一郎さん、すごく嬉しいです。でも…ひとつだけ、条件を言ってもいいですか?」
純一郎が告白してくれたあの日。薫子が返事と一緒に突きつけたのは、こんな条件だった。
「私も純一郎さんのことが好きです。一緒にいたいですし、彼女になりたいです。
でも…お付き合いしていても、お互い縛られない関係でいられませんか?」
「縛られない関係?」
「はい。束縛しすぎたり、べったり依存するような関係は、お互いだんだん苦しくなるじゃないですか。二人ともいい大人ですし、自分の時間も大切にしたいなっていうか…」
きょとんとする純一郎に、薫子は持論を語り続ける。
純一郎はじっくりと耳を傾けていたが、薫子が話し終わるとホッとしたように微笑み、嬉しそうに答えた。
「うん、そうだね。お互いのペースを大切にしていこう。OKしてもらえてすごく嬉しいよ。これからよろしくね」
「はい、よろしくおねがいします」
そう言い合うとふたりは、目を合わせてやっと微笑み合う。
しかし、喜びで潤む薫子の瞳の奥には、やはりかすかな切なさが潜んでいるのだった。
― きっと、これでいいのよね…?こういう私を、純一郎さんは好きになってくれたんだよね?
心の中で自問自答しながら、貰ったばかりのルージュ・エルメスを握りしめる。
これまで純一郎の前では、必死に経験豊富な重くない女性を演じてきた。そして純一郎は、そんな薫子を好きだと言ってくれたのだ。
甘えん坊で、尽くし体質で、…重すぎる本当の自分ではない。それが事実であることは、このリップの大人びた色味が何よりも声高に物語っていた。
「縛られない関係でいましょう」
とっさに口から出た言葉だったが、それがどんな関係なのか、当の薫子にも皆目検討がつかない。
ただひとつ確かなのは、シオリ先生のアドバイス通り、駆け引きをして“追わせた”ら、純一郎に告白してもらえた。
それはつまり…純一郎の元妻・シオリ先生のような女性を目指すべき。
そういうことに他ならないのだと、薫子は確信していた。
◆
純一郎の部屋でひとり朝食を終えた薫子は、自分が使った食器を洗う。
彼のために手料理を作ったり、洗濯物を畳んだり、部屋を掃除したりもしない。
ただ…どうしても気になってしまい、切れかけていたハンドソープだけは詰め替えておいた。純一郎が帰宅した時、思うように手が洗えなかったら…と思うと、我慢ならなかったのだ。
この程度であれば、彼も気づかないだろう。
小さな仕事を終えて、しばらく手持ち無沙汰な時間を過ごした後、薫子は鏡に向かって純一郎から貰ったリップをつけた。
書き置きなども残さずに部屋を出て、純一郎から預かっている鍵をロビーの郵便受けに入れる。
― そういえば…。すぐ近くの東京都庭園美術館で、お気に入りの女性写真家の展覧会が始まってるんだっけ。
開館の10時まで、少し散歩でもしていればすぐに時間も経つだろう。
そう思い立った薫子は、目黒から白金に向かう途中のコーヒーチェーンでアイスのカフェラテを買い、時間を潰すために美術館にほど近い公園をのんびり散歩することにした。
いい天気ということもあってか、公園には多くの親子連れで賑わっている。
― いいなぁ。子ども、かわいい。私も早く結婚したいな。子どもは2人以上は欲しいな。
賑やかな声がそこかしこで聞こえる中、薫子は寂しげに微笑み、ぼんやりと考えるのだった。
― 純一郎さんは、子ども好きかな。私、純一郎さんと将来の話ってまだ一回もしたことないなぁ…。
薫子の脳内には、ふと“過去のトラウマ”が蘇り…
純一郎の前。秀明と付き合っていた頃には、ことあるごとに将来の話をしていた。
結婚したらどこに住みたいか。式はどこでしたいか。子どもは何人欲しいか。
付き合って2週間が経つ頃には両親にも紹介していたし、早く結婚を意識してほしくて、秀明の家でも家庭的に尽くしていたのだ。
以前の薫子だったら、きっと今日だって純一郎の部屋を隅から隅までピカピカに掃除し、帰宅後の食事を作るための買い出しに出かけ、1日かけて凝った料理を作り、帰りを待っていただろう。
日曜日に別行動をすること自体、「寂しい」といって涙を浮かべ、週末をべったり二人一緒に過ごしていたかもしれない。
それが今。せっかくの日曜日だというのに、恋人とは別行動でこうして一人で美術館に行こうとしている。
― 私、今のところ重くない女になれてる…よね?
薫子は冷たいカフェラテを一口飲みながら、そっとスマホを取り出し日付を確認する。
スマホの画面に浮かび上がる今日の日付。それは薫子にとって、大切な意味を持っている日だった。
「あーあ、ひとりぼっちの3ヶ月記念日…かぁ」
純一郎と薫子が付き合うことになってから、今日でちょうど3ヶ月目。
本当ならば盛大にお祝いをしたいほど嬉しい日だったが、薫子にとってはそれ以上に、気持ちが引き締まる日でもあった。
― 今日で3ヶ月。本当は一緒にお祝いしたかったけど、大人は普通そんなことはしないし…。ガマンガマン。
薫子は再び、秀明とのことを思い出す。
「お前、重いんだよ」
そう言われてこっぴどく振られた、あの3ヶ月記念日。トラウマは時間とともに癒えるどころか、ますます強まっていくようだ。
純一郎への気持ちが深まれば深まるほど、絶対にあんな思いはしたくないという恐怖も比例していく。
同時に、ますます本来の自分から遠ざかっていく気がするけれど、薫子にはもう、どうしようもないのだった。
いつのまにか、プラスチック製のカップは空になっていた。身を削り溶けて小さくなった氷の粒が、強がるようにガラガラと耳障りな音を立てる。
久しぶりに嫌な思い出に浸ったことで落ち込む薫子だったが、もう一度スマホを見ることで、すぐに気を取り直す。
というのも、ちょうどこのタイミングで純一郎からのLINEが届いていたのだ。
『見て見てー、リス!笑』
そんな文面とともに、男性3人の乗ったカートと野生のリスが映り込んだ画像が送られてきている。
その呑気さに思わず笑ってしまった薫子は、近くのゴミ箱にカップを捨てると、開館時間を迎えた美術館へと向かった。
― 別々に過ごしていても、離れていても、純一郎さんとだったら大丈夫。
実際、純一郎は連絡がマメで、こうして下らないことでもこまめに連絡をくれたりする。薫子がドライな付き合いを続けていられるのも、純一郎のこんな性格に助けられているからなのだろう。
― 私、きっと成長してる。こうして、一人で美術館を楽しむことだってできる。その成長を喜ばないと!
どうにか気分を持ち直した薫子は、鼻歌を歌いながら美しい写真の展示を堪能した。
そう遠くない未来。心の底から信頼する純一郎に、とんでもない隠し事をされることになるなんて…。
この時は、まったく予想すらしていなかったから。
▶前回:27歳の誕生日。意中の彼からのデートの誘いを断り、女が両親と過ごすことを選んだ理由は…
▶1話目はこちら:記念日に突然フラれた女。泣きながら綴った、元彼へのLINEメッセージ
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順調に付き合いを続ける2人。純一郎が薫子に隠れてしていたこととは…