「今夜は無理…」結婚3年目、夫の誘いを妻が断る本当の理由とは
結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?
優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。
それなのに・・・。
私は一体いつから、“妻であること“に息苦しさを感じるようになったんだろう。
◆これまでのあらすじ
商社マンの夫と結婚3年目の麻由。“推し”のカフェ店員から勧められたお菓子を片手に、夜の1人時間を満喫しようと思っていたら、思いのほか早く夫が帰宅して…。
結婚3年目の夫婦関係
1人でおうち時間を満喫しようと目論んでいた月曜の夜。
夕飯はいらないと言っていた夫の浩平が、予定より早く帰宅した。少しガッカリしたものの、私は急いで食事の支度を始めた。
― あ〜あ。今夜はゆっくりしようと思ってたのになあ。
年収1,500万円を稼ぐ東大卒エリート商社マンの彼と、慶應を出て損保で働く、年収750万円の私。
私だって、女性にしてはそれなりに稼いでいる方だけれど、彼とは倍の収入差がある。それに、この部屋も浩平の父のおかげで格安で住めているのだ。
そんな経緯もあり、結婚当初から当たり前のように家事のほとんどを私が担っている。
今日も、浩平は「なんか適当につくってくれない?」と要求するなり、さっさとお風呂に入ってしまった。
― 『適当に』なんて言うけど。新婚の時に真に受けちゃって、親子丼とお吸い物だけ出したら、さんざん文句言われたのよね。
以来、浩平に出す食事には、気を使っている。
今夜だって、急ごしらえながらそれなりにきちんと品数を揃えた。豚の生姜焼きに、海藻たっぷりのサラダと筑前煮。それに大急ぎで炊いたごはんと、かつお出汁をとったお味噌汁…。
食卓に並べ終えると、タイミングよく浩平がお風呂から戻ってきた。
「お、今日は生姜焼きか。サクッとつくれていいよね」
「う、うん…」
― いや、結構頑張ってつくったんですけど。
彼には、こういうところがある。
悪い人ではない。真面目で誠実だし、感情に波がなく、常に落ち着いている。
けれど、彼は不意に、無神経な発言を繰り出してくるのだ。厄介なのは、彼にまったく悪気はないところだ。
ツッコんで色々と言い返されるのも疲れるので、私は心の中に浮かんだモヤモヤを、口には出さないようにしている。
麻由の様子に気づかない浩平が求めてきた、今夜2度目の要求とは?
食事開始から、15分。浩平は、テレビの旅番組に釘付けになっている。
「あー、いいなあ沖縄。俺も仕事を忘れてのんびりしたいな〜」
「これからの時期なら、北海道もいいんじゃない?」
「いやあ、どうせなら南の島でしょ」
彼の言葉に適当に相づちを打ちながら、ふと気づく。
浩平とは、長らくこういう、当たり障りのない話しかしていないような気がする。
結婚する前はもっと、彼は私に興味を持ってくれていた。
私が今、どんなことに興味があるのか。今日、どこに行く予定か。仕事の調子はどうか。何か食べたいものはないか。将来やりたいことは何か…。
小さなことから少し漠然としたトピックまで、彼は私の話をなんでも聞きたがった。少なくとも新婚1年目くらいまでは、彼は私に関心があったと思う。
― これが、マンネリってやつなのかな。
そもそも彼とは、大恋愛の末に結婚したわけではない。
私自身、浩平のことが好きで好きで仕方なくて結婚したというわけではなくて、結婚適齢期に彼が現れたから、その手を取っただけのこと。
だから、彼の私に対する興味が日に日に薄れていくことに対して、文句を言えるような立場ではないのだけれど。
「ああ、うまかった。ごちそうさま」
食事をきれいに平らげた浩平は、「うーん」と満足げに伸びをする。たまの早い帰宅にテンションが上がったのか、缶ビールも1本開けていて、いつになく上機嫌に見えた。
彼がスマホをいじりはじめたので、私はさっさと食器の後片付けをしてしまおうと立ち上がる。
すると、不意に浩平が腕を伸ばしてきて、私の腰をぐいと抱き寄せた。
「なぁ…麻由。今日、いいだろ?」
「…」
ねっとりとした目で見つめられると、つられて私の気持ちも高揚していく。
さっきまで、「彼は私に関心がない」と拗ねた気分になっていた。だからか、こうして彼から求められることに対して、思った以上に喜びを感じている自分がいる。
しかし…。
「おふくろもさ、『早く孫の顔が見たいわ』って言ってるし!」
輝くような笑顔で言い放たれた一言に、私は絶句する。
以前から、折に触れて義母に「麻由さん、子どもはまだなのぉ」とチクチク言われていた。
そのたびに、「子どもは授かりものですから」と微笑んでやりすごしてきたけれど、実際のところ義母からの“孫ハラ”にはかなり頭を悩まされているのだ。
私だって、そろそろ子どもがほしいと思っているから、浩平と一緒にタイミング法を試しているけど、なかなか授からない。
その辛さを、苦しみを…。一緒に頑張ってくれている彼なら理解してくれていると思ったのに。
「ごめん。疲れちゃったから、今日はもう寝ようかな…」
絞り出すような声でそう告げるので、精一杯だった。
◆
翌朝
「はあ…」
昨日の浩平とのやりとりに意気消沈し、一夜明けてもまだブルーな気分を引きずっている。
対して浩平は特に気にもしていない様子で、「今日も遅くなるから」とさっさと家を出て行ってしまった。
1人家に残された私は、いつも通り家事をしながら出社前の時間を過ごすものの、どうも気持ちが上がらない。
― こんな時は、圭吾くんの顔でも見て癒されよう。
顔を見るだけで元気をもらえるのだから、“推し”の存在はありがたい。
私は手早く準備を済ませると、そそくさと家を出たのだった。
お店に顔を出した麻由に、圭吾は…
“彼”の不在
― あれ?圭吾くん、今日はいない。
出社前、いつものカフェに立ち寄ったものの、ほとんど毎日のようにレジで接客してくれる圭吾くんが、今日に限ってなぜかいない。
彼に会うことで落ち込んだ気持ちを一掃したかったのに、アテがはずれてしまった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
圭吾くんの代わりに、今まで見たことのない若い女性バリスタに声をかけられる。
「あ、はい…ホットコーヒーをお願いします」
「かしこまりました。銘柄をお選びいただけるのですが、いかがされますか?」
「ええと…」
私が口ごもっていると、彼女はいつも圭吾くんがしてくれるように、なめらかな口調でコーヒー豆の説明をしてくれる。
その話を聞きつつ、私はこっそりと彼女の背後――カウンターの奥を観察する。
もしかしたら、ドリンクをつくっているスタッフの中に圭吾くんがいるかも…そんな淡い期待を抱いていた。けれど、他のバリスタの中に圭吾くんの姿を見つけることはできなかった。
「それでは、こちらのキリマンジャロブレンドでコーヒーをご準備しますね」
「お願いします…」
彼女のイチオシだという銘柄のコーヒーを手に、私は肩を落としてお店を後にしたのだった。
その夜。
出社前こそ圭吾くんの不在に心を乱されていた私だが、出勤して仕事を始めるとなんだかんだで忙しく、バタバタしているうちに1日が終わってしまった。
残業して20時半に退社し、いつものようにサザンテラスの遊歩道を歩いて新宿駅まで向かう。
いつものカフェが近づいてくると、頭に浮かぶのは圭吾くんの笑顔だ。
― 圭吾くん、また違うお店に移っちゃったのかなぁ。それとも、シフトの時間を変えたとか?
どうか、時間帯を変えただけであってほしい――そんなことを念じながらゆっくりと歩く。
カフェの前を通り過ぎる瞬間、「彼がいないかな」という淡い期待をこめて、お店の中をちらりと見た。すると…
「あれ、麻由さん?」
「け、圭吾くん…!」
なんと、圭吾くんその人がお店から出てきたのだ。
私は驚き、少し大きな声を上げてしまった。
そして次の瞬間、彼が私服を着ていることに気づく。ワイシャツにエプロンの店員としての服装を見慣れているから、そのギャップにドキドキしてしまう。
― い、イケメンすぎる…。
シンプルな白いTシャツとジーンズが、スタイルの良い彼によく似合っている。ノーブランドと見える大きな黒いリュックも、彼が背負っているとなぜかオシャレに見えてくるので不思議だ。
「今、お仕事帰りですか?」
「う…うん。圭吾くんもバイト終わり?今日、夜番だったの?」
「はい、午前中に就活の面接が入っちゃって。シフト交換してもらったんです」
そうだったんだ、とつぶやきつつ、お店を移ったわけじゃないことがわかって、私は心底ほっとする。
一方で、彼の口から出た“就活”というワードが、なんとなく耳に引っかかった。
― そうよね、圭吾くんって、まだ大学生なのよね…。
改めて歳の差を突き付けられたような気がして、微妙にショックを受けている自分がいる。
そんな私の気持ちなど知る由もない圭吾くんは、ゆっくりとこちらに歩いてくる。そして爽やかな笑顔で、私に微笑みかけてきた。
「麻由さん。よかったら駅までの道、ご一緒してもいいですか?」
「う…うん」
ほんの5分ほど、一緒に歩くだけ…。そう、わかっているのに。
何かが起きてしまいそうな不安と、ほんの少しの甘い期待に、私の胸は揺れていた。
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圭吾との帰り道、思わぬ展開に…。