「今の人間関係を断とうと」内覧もせず屋久島に移住したヨシダナギ。濃密な人付き合い経て「人間不信」を恥ずかしく思い
「誰が味方で敵かわからなかった」。ひどい裏切りにあい、人間関係を断つために逃げるように屋久島へ移住したフォトグラファー・ヨシダナギさん。当初は身分も明かさず暮らしていたそうですが、東京よりも濃密なご近所付き合いを通して、心境に次第に変化が生まれたそうです。
【写真】撮影とは違う表情も。屋久島で近所の農家の手伝いをするヨシダナギさん(12枚目/全14枚)
内覧もせずに屋久島に移住した理由
── 人生に行き詰まりを感じ、訪れたアフリカで現地の方々の写真を撮り始めたところ、29歳でTBSの紀行バラエティ番組『クレイジージャーニー』から出演オファーを受けることになったヨシダさん。放送後はフォトグラファーとしての仕事が殺到し、現在はアフリカをはじめとする少数民族などを撮影、発表しています。住まいはずっと東京だったそうですが、2023年に屋久島に移住されていますよね。どんな経緯だったのでしょうか。
ヨシダさん:もともと知り合いが屋久島に移住していたので遊びにいったんです。現地を訪れると期待以上にいい場所で、初めて東京以外に住んでもいいかなと思えるくらいの衝撃でした。
── どんなところが衝撃でしたか?
ヨシダさん:日本語が通じるアフリカの田舎のような、ちょっと異国のような雰囲気がありました。そのとき出会った人たちは移住者の方が多かったのですが、すごくぜいたくな暮らしをしているなと思ったんです。
食べるものは新鮮だし、時間の使い方にしても、東京ではあり得ないくらいのんびりしていて、「人間の生活って本来これじゃないかな」って。将来、おばあちゃんになったときでもいいから、こんな環境に身を置いて過ごせたらって思ったんです。
── しかし、その年に移住をすることになるんですよね。
ヨシダさん:はい。2月に遊びに行って、同じ年の7月に家を探し、8月に家を契約、11月に引っ越しをしました。実は当時、信じていた人に立て続けに裏切られてしまって。「東京って怖いな」と心底思い、今の人間関係をほとんど断とうと思ったんです。もはや誰がいい人で、誰が悪い人なのかわからなくなっちゃって。
とりあえず、両親とマネージャーにだけ移住することを告げ、屋久島へ逃げるように向かいました。屋久島に行けばなんとかなるって思ったんです。
ただ、移住を決めても屋久島はほとんど物件が出ていないんです。屋久島の町役場を訪ねて移住の相談をしたところ、「1件だけ物件があって、これから情報が掲載されるから、不動産屋に聞いてみてください」と教えてもらいました。すぐに現地の不動産会社に向かったんですけど、「すでに2件申し込みがあるから3番手」と言われてしまって。でも、ダメ元で申し込みして。まだ何も決まっていなかったんですけど、この時点で住んでいた都内のマンションの管理会社には退去する旨を伝えました。それだけ、東京から離れたい気持ちが強かったんです。
しばらくして不動産会社から「1週間以内なら内覧できる」と連絡が来ました。ただそれ以降は次の人に譲ると言われたので、内覧することなく家を決めました。
人を疑っていた自分を恥ずかしいと思えた
── かなりの行動力というか、決意を感じます。
ヨシダさん:一刻も早く東京を出たかったことが大きいですけど、引っ越し自体には慣れていたんですよね。21歳で初めてひとり暮らしをしてから、今まで20回いかないくらいは引っ越しました。一か所に2年以上住んだことはあまりないかもしれません。「気分が変わった」「飽きた」という理由から、新築なのに雨漏りするとか、古いマンションだったので取り壊しになり、引っ越さざるを得なかったときもありました。
ただ、屋久島はこれまでと違って離島ですし、さすがに多少の不安はありました。でも、それ以上に期待が大きかった。屋久島に行けば人間関係の不信感も払拭されるような、根拠のない自信もありました。
── 実際、移住してみていかがですか?
ヨシダさん:東京では見たことのない虫が毎日出るし、大雨になると停電することもあるし、悪天候が続いて島のスーパーから食糧が数日消えることもあります。でも、アフリカやアマゾンでは、1週間以上荷物が届かないこともあるし、船が出ないこともあります。それに比べたらインフラはしっかり整っているので快適に過ごせています。
それに、屋久島在住ですが、仕事では東京に行く機会が多いんです。今は東京に家はないですけど、2拠点生活みたいな感じです。屋久島では自然豊かでのんびりとした環境に身を置いて、心を静めたり、集落の人たちと話をしながら心を癒してもらってます。近所で仲良くなった人の農作業の手伝いをすることもあります。東京ではフォトグラファー・ヨシダナギとして真摯に仕事に取り組む。私にはこの環境が、すごく合っていると思います。
活動の仕方は東京にいたときとあまり変わらないかもしれません。もともと東京に住んでいたときから、仕事で国内外飛び回っていたので。
── 移住してしばらくはフォトグラファーという身分を明かさずに過ごしていたそうですね。
ヨシダさん:当時、人間不信だったのもありますが、今住んでいる集落は年配の方が多いですし、そもそも私のことを知らないだろうと思ったんです。でも、あるとき隣に住む女性から「なんで言わんの?」と聞かれ、なんのことかと思ったら、ほかの住民から「最近よくこの子を見かける」とスマホの画面を見せられたらしいんです。「隣のヨシダさんだよ」というと私について説明をされ、一瞬で広がりました。
── 警戒心は抱きましたか?
ヨシダさん:いえ、一瞬気まずいかなと思いましたが、杞憂でした。思っていたより集落の人たちが好意的に捉えてくれたんです。「わざわざ屋久島を選んで来てくれた」「屋久島のよさを伝えてもらえたら」「頑張っている人がいるのはすごく誇らしい」みたいに言ってもらって。私がしばらく島を離れるときは餞別をくれたり、家の観葉植物を預かってくれたり、すごく温かいなって感じますね。
── 人間不信がきっかけで屋久島に移住されました。東京より近所付き合いは濃密そうですが…。
ヨシダさん:そうですね。そもそも東京より人付き合いしなければいけない集落に引っ越した時点で、人との関係を断つことには無理があったんです。でも、屋久島に住んだおかげで人嫌いを克服したというか。「ご近所付き合いも悪いものじゃない」って思えたんですよね。
一度は人を疑い、心を閉ざしてしまうことがありましたが、屋久島でおじいさんやおばあさんたちとしゃべっていると温かい気持ちが戻ってきました。親しくなったおじいさんの農作業を手伝うようになって、屋久島名産の柑橘類「たんかん」をつくってるんですけど、その収穫作業を手伝って、お裾分けしてもらったものを、お世話になっている出版社さんに贈らせてもらったり。
私の肩書きとか関係なく、ひとりのヨシダさんとしてかわいがってくれて、娘のように接してもらえる。今まで人を疑っていた自分が恥ずかしいと思うようになりました。
── 人への向き合い方は変わりましたか。
ヨシダさん:変わったと思います。今はどこかで何かあっても、島に帰ってきたらリセットされる安心感がありますし、何かあっても前向きに捉えられるようになりました。集落の人たちの温かさに触れながら、人に対して身構えること、不信感も減ったと思います。この先も理不尽なことで傷つくこともあるかもしれませんが、心が落ち着く場所ができたことは生きていくうえで大きいと思っています。
取材・文:松永怜 写真:ヨシダナギ
