中卒で職を転々と「普通になれ」と周囲に言われ続けた写真家・ヨシダナギが占い通り29歳で人生が好転するまでの軌跡
学校に通う意義が見出せず、不登校の末に中卒で社会に出たフォトグラファーのヨシダナギさん。職を転々としながら23歳のときに「カルチャーショックを受けたら人生が好転した」という話を思い出し、アフリカへ渡ったことが、その後の大きな転機に繋がっていきました。
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「カルチャーショックを受けたら人生が好転した」
── 集団生活に馴染めず、学校に通う意義が見出せないと、中学生で不登校を選択し、高校にも進学しなかったヨシダさんですが、中学卒業後はどんな生活を?
ヨシダさん:ファミリーレストランでアルバイトを始めました。でも私だけ周りとテンポが違うし、マニュアル通りに動けなくて。半年ほどでクビになりました。しかもクビを告げられたこと自体を理解していなかったんです。父に近況を話したら、父が青ざめて「お前、それクビになってるぞ」と言われ、初めて知った感じで。店からしたら、クビになった私が出勤を続けていたので、さぞ不気味だったと思います。
── 一方で、中学の頃からブログを書いていたことが、仕事に繋がったことがあったそうですね。
ヨシダさん:中学生のときに開設してもらったHPがキッカケで、事務所からグラビアアイドルのスカウトの連絡がありました。芸能事務所に入り、活動をしてみましたが、すぐに合わないと気づき、早々に辞めたいと思ったんです。でも他にやれることがなかったので、売れないアイドルをグダグダと続けていました。
ただ、20歳になる頃に「このままではまずい」と思い、知り合いに相談したところ、イラストレーターの仕事をすすめられたんです。子どもの頃から絵を描くのが好きでしたけど、自分が自由に想像して描く絵と、仕事で頼まれて描く絵はまったく違います。不安を抱きながらも、グラビアを抜け出したい一心でイラストレーターへの挑戦を決めたんです。でもしばらくしてやっぱり思うように描けずにつらくなりました。
そのとき、誰かが「カルチャーショックを受けたら人生が好転した」と話していたことを思い出したんです。私も同じ体験をしたいと考えたときに浮かんだのが、5歳のときにテレビでたまたま観たアフリカの光景でした。それが20年近く経っても印象に残っていて、ひとりでエチオピアに行くことを決めました。23歳のときです。
現地を訪れたのはもちろん初めて。飛び交う言語はまったくわからないはずなのですが、なぜか懐かしく感じました。不思議な感覚なのですが、なんとなく理解できるというか。
集落の村長から「ワシの5番目の妻に」と求婚も
── 現地の人とコミュニケーションはどのように?
ヨシダさん:当時は英語も話せなかったので、自分の思いは全然、伝えられませんでした。私はそもそも日本でもコミュニケーションが苦手で、友達作りは得意ではなかったんです。でもアフリカではなぜか「この人たちと同じ格好をすれば、仲良くなれる」って思ったんですよね。絶対的な自信というか。
ある年、カメルーンに行ったときに、カメルーンの山岳民族であるコマ族は、腰の前と後ろを葉っぱで覆うだけのスタイルで暮らしていました。それを見て、「みんなと同じ格好がしたい」と告げると、現地のお母さんたちはすごく喜んでくれました。でも私が服をどんどん脱いでいって下着を取ろうとした瞬間、手を弾かれたんです。「脱がなくていい」って。彼らは自分たちと私の文化が違うことを理解していて、人が肌をさらすのは勇気がいると、わかっていたんです。
でも、私としては現地で中途半端に下着だけつけているほうが恥ずかしい気がして、無理やり脱いでみんなと同じ格好になったら、すごく喜んでくれました。みんなが一斉に笑顔になって、私を取り囲んで歌って踊り出したんです。しかも私の潔さを気に入ってもらえたのか、集落の長老から「ワシの5番目の妻に」とプロポーズまでされて。その瞬間、言葉が通じなくても相手との距離を縮めるには、相手の文化を好きだと伝えることなんだって気づいたんです。
その後は現地で暮らす人たちと過ごすなかで、会えばお茶をご馳走してくれたり、ハグをしてくれたり。人って優しいなって思いました。私は学生時代にいじめられた経験があって、今でも感情を出すのが苦手ですが、アフリカの人の言葉やハグは素直にスッと入ってきましたね。アフリカの文化って、下町よりも距離感が近い感じがあって、それが心地いい。
── 現在は少数民族の写真を撮るフォトグラファーとして活躍されていますが、積極的に写真を撮るようになったのはこの頃ですか?
ヨシダさん:そうですね。せっかくきれいな人やすごく親切にしてくれた人がいても、時間が経つと自分が見たものを忘れてしまうのはもったいないなと思ったんです。あと、アフリカのネガティブなイメージを払拭したかったのもあります。
アフリカで現地の人たちの写真を撮ってインターネットにあげていたところ、ウェブメディアの方から写真の掲載依頼がありました。何度かメディアに写真を掲載していただくうちに、今度はTBSの『クレイジージャーニー』から声を掛けていただいて。「アフリカについて行ってもいいですか?」と聞かれたので、深いことを考えずに、快諾しました。
29歳まで「社会不適合者」と扱われた人生が一変
── ヨシダさんが29歳のときですね。
ヨシダさん:はい。数週間の密着取材を経て後日、放送を観たら、私の肩書きが「フォトグラファー」になっていたんです。そもそも写真を仕事にはしていないし、名乗ったこともなかったのですが、ちょうどイラストレーターの仕事を辞めたかった時期で。「番組でそう書いてくれるならフォトグラファーでいいよね」と思って、10年が経ちます。
──『クレイジージャーニー』に出演したことで人生も大きく変わったそうですね。
ヨシダさん:かなり大きな転機だったと思います。番組に出るまで親や親戚、周りの人たちから私の生き方をずっと心配されてきて、「社会不適合者」という扱いを受けてきました。高校に進学せず、仕事を転々としながら29歳まで会社勤めをしたこともなく、誰かと結婚するわけでもない。親族一同から「1回普通になろう」「いったん結婚してくれ」ってずっと言われてきたんです。私も「普通になれるものならなってるよ」と反発しつつ、29歳になる頃にはさすがに自分でも今置かれている環境に焦りを感じていました。
ただ、同時に確信があって。小学校1年生くらいのときに初めて手相を占ってもらったことがあったんです。そのとき「29歳まで花は咲かない。でも29歳になったらなんとかなるから大丈夫」って言われて。それをずっと覚えていたんです。占った当時は29歳まで花が咲かないことに絶望もしましたが、年齢を重ねるうちに「29歳でなんとかなる」という言葉だけを頼りに生きてきた部分がありました。
周りにも「29歳まであと1年あるから。29歳で何も成し遂げられなかったら、いい加減、どこかの会社に勤めるから」と言ってきたんですが、29歳で『クレイジージャーニー』に出て、本当に人生が一変しました。
放送後はフォトグラファーとしてのオファーが急増し、私を取り巻く環境が大きく変わりました。親や親戚からも「普通になれ」とは、もう言われなくなりましたね。
── 今や世界を飛び回って活躍されていますが、振り返ってどんなことを思いますか。
ヨシダさん:私はアフリカに行って救われたし、カルチャーショックを受けたことで、自分自身や人生が大きく変わりました。当時を振り返れば「よくあんな無謀なことを」と思いますし、さすがの私でもいまだったらできなかったかもしれません。危なっかしさはあったけれど、若さゆえの勢いがあったからこそできたことなのかなと思っています。
自分の直感を信じ、深く考えすぎずに動き出してよかったなと思います。
取材・文:松永怜 写真:ヨシダナギ
