右手欠損「客が驚く」とバイト面接40社連続落ち。「腫れ物」扱いに直談判で返した女性の「答え」
「右手、見せて見せて」。幼い好奇の目にさらされ、面接では「客が驚く」と40社連続で拒絶される──。生まれつき右手の指がない「右手五指欠損」のむろいのぞみさん。「かわいい手だね」と慈しむ両親に育てられ、高い自己肯定感を持っていた彼女を待っていたのは、社会の「腫れ物」扱いという冷たい壁でした。絶望の淵で彼女を救ったのは、母の言葉と「推し」への情熱。みずからの行動で偏見の風向きを変えていった、彼女なりの歩み方に迫ります。
【写真】指のない右手の愛称は「ぐーちゃん」両親の愛に包まれた幼少期のむろいさん (全14枚)
右手の愛称は「ぐーちゃん」コンプレックス知らずに育った少女時代
── 生まれつき右手の指がない「先天性四肢障害」を持つ、むろいのぞみさん。改めて、ご自身の障害について教えていただけますか。
むろいさん:「先天性四肢障害」は生まれたときから手足に何らかの異常がある障害で、私の場合、右手の指がすべて欠損した「右手五指欠損」になります。母のお腹の中にいたとき、へその緒が右手に巻きついて指の形成の妨げになってしまい、指の発達が止まってしまったのが原因だそうです。
ただ、私自身は生まれたときからこの手だったので、不便だという認識はなくて。料理なら、左手で包丁を持って右手で食材を押さえたり、ハサミなどの道具も左手用を使います。お風呂で髪を洗うときなどは、道具を使わずに両手でできます。
── むろいさんが生まれたとき、ご家族は右手のことをどのように受け止めたのでしょうか。
むろいさん:驚きや不安はあったでしょうが、母は福祉の仕事をしていて障害への理解があり、私を隠すことなくいろいろな場所へ連れて行ってくれました。両親は私の右手に「ぐーちゃん」という愛称をつけて、「かわいい手だね」と褒め続けてくれました。だから私自身も、「私は特別なものを持ってるんだ」と誇らしい気持ちすらありました。
── ご両親のポジティブな姿勢が、むろいさんの自己肯定感を支えていたのですね。
むろいさん:そうですね。基本は放任で「まずは自分でやってみて、できなかったら手伝う」というスタンス。そのおかげで不便だとは感じても、コンプレックスに感じることは、幼少期はなかったんです。
「腫れ物」のように扱われたプリクラ。初めて知った孤独
── そんなむろいさんが、周りとの「違い」をはじめて意識したのはいつごろだったのでしょう。
むろいさん:幼稚園の出し物でダンスを踊ったときでした。みんなは右手でテープを持って踊るのに、私だけそれができなくて。先生が工夫して、テープを貼った私専用のリストバンドを作ってくれました。そのときに「私はみんなのようには掴めないんだな」と気づきました。みんなが「見せて見せて」と私の右手に興味を持ってくれたのはうれしい反面、毎回言われると正直「ちょっと面倒くさいな」とも(笑)。
小学校に入ると、さらに鉄棒の逆上がりや音楽のリコーダーなど、指がないことで苦戦する場面が出てきました。中学では先生が手のことをみんなに説明してくれたおかげで「手伝おうか?」親切に接してくれました。ただ、ありがたい反面、「自分でもできるのにな」という思いや、親切にどう返せばいいかわからない戸惑いもありました。
── 高校に入ると、今度は逆に孤独を感じた瞬間があったそうですね。
むろいさん:高校ではみんなが気を遣って、今度は私の手についていっさい触れなくなりました。配慮だとはわかるのですが、自分の右手が「腫れ物」のように扱われているように感じていて。
ある日、友人たちとプリクラを撮りに行ったときのこと。「両手でハートポーズを作ろうよ」と友人が何気なく呼びかけたんです。できずにいる私を見て友人は、ハッと言葉に詰まってしまい。あの瞬間の、凍りついたような気まずい空気…。
悪気はないことはわかっています。でも気を遣われるたびに、手のことばかりを考えるようになって、大学に入るころには人との関わりを避けるようになっていきました。
今思えば、当時は「みんなと同じように自分でやりたい」「障害があるからできないと思われたくない」。そんなプライドがあって、困り事があっても「できないから助けて」と言えませんでした。できなくても無理やり工夫するか、「できなくてもいい」と平気なフリをして、家に帰ると落ち込むんです。手のことで悩んでも周りに相談することができませんでしたが、人前では暗い顔をしているわけにもいかず、無理に笑って過ごしていた時期もありました。
「お客さんが驚くから」不採用40社の衝撃と、母の言葉
── さらに、社会に出ようとした矢先、新たな壁に直面したそうですね。
むろいさん:大学時代にアルバイトに応募したのですが、面接で40社ほど落ち続けたんです。カフェの面接では「お客さんがびっくりする」と右手を理由に断られ。一度は採用が決まったのに、後から「上の確認を取ったらダメになった」と覆されたときは、さすがにショックで泣きながら帰りました。社会から「必要とされていない」と言われているようで。
── 40社も断られ続ければ、普通なら心が折れてしまいます…。
むろいさん:実は、当時熱心に「推し活」をしていて、握手会に行くためにどうしてもお金が必要だったんです(笑)。だから、落ち込んでいる場合じゃない。稼がなきゃ!って。そんなとき、母の「できないことより、できることを具体的に伝えなさい」という言葉が転機になりました。
「一回やらせてください」直談判で勝ち取った扉
── お母さんの言葉を受け、向き合い方を変えたそうですね。
むろいさん:言葉だけで説明しても相手の先入観は崩せないので、実際に自分ができることを見せるようにしたんです。あるときは荷物を持ったり、物を運んだり。それでも面接に落ちましたが、私もその都度見せ方をブラッシュアップしていったんです。
あるとき、スーパーの品出しの面接で、ペットボトルが詰まった重い段ボールを実際に運んで見せました。それを見た面接官が「偏見を持っていてすみませんでした。こんなに動けるとは知らなかった」と謝ってくださり、無事に採用が決まりました。
── これを機に、大学時代はアルバイトのほか、ボランティアなど、さまざまな経験を積み重ね、現在は憧れていた福祉業界で働かれているそうですね。
むろいさん:はい。今はグループホームで知的障害のある利用者さんの生活支援員をしています。利用者さんはすごく純粋で、素直に「手、どうしたの?かわいいね」と右手に触れてくれるんです。言葉でのコミュニケーションが難しい方でも、私の手を握って「ニコッ」と笑ってくれたりして。私は指がないからこそ、他の支援員にはない距離の縮め方ができている気がして、現場ではむしろ「ぐーちゃん」に助けられる場面が多いですね。
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かつては「お客さんが驚くから」と、働くことさえも拒まれた右手。しかし今、その手は福祉の現場で、言葉を超えた絆を結ぶかけがえのない存在となっています。
「助けてあげなきゃ」という善意が、時に相手を「腫れ物」のように遠ざけてしまう。私たちは目の前の人の「できないこと」だけを見て、その人の可能性を勝手に決めつけてはいないでしょうか。相手の本当の姿を知るために、一歩踏み込む「想像力」を、私たちは持っていますか?
取材・文:西尾英子 写真:むろいのぞみ

