「もういい。1人で帰って」同棲中の彼女をタクシーに残して、去った彼。怒りの理由とは?
東京…特に港区は、ウソにあふれた街。
そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。
ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。
乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。
けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。
「せめて乗車中はウソ禁止です」
乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。
▶前回:タクシー・ドライバー 〜柊舞香〜:港区女子を辞め、運転手に転職した美女。きっかけは?

六本木〜三軒茶屋 京子と慎太郎
― ああ、今日も楽しかった!ちょっと飲みすぎたなぁ。
日中の暑さがウソのように涼しくなった9月の、金曜の夜。
京子は、六本木のバーで女友達と3人で飲んでいた。
腕時計は午後10時50分を指し、ふわふわした心地いい酔いが回っている。
京子はスマホを取り出すと、家で待つ慎太郎に「迎えに来て」と電話をかけた。
― 別に、体調が悪いわけじゃないよ。甘えたいだけ。
京子と慎太郎は、付き合って4年。今は三軒茶屋で同棲している。
飲みに出かけて夜遅くなるのは、いつも京子のほうだ。
「大丈夫?飲みすぎたの?」
慎太郎は、タクシーで駆けつけてくれて、京子の会計を代わりに支払ってくれた。
六本木通りにあるヒルズの入口の交差点で、京子は慎太郎にしがみつく。
頬を彼の胸に沈めたまま、うっとりとした表情を浮かべた。
「このフィット感、好き。超好き」
「さあ、タクシーが来たから、乗るよ」
やれやれ、といった口調で慎太郎は言った。
まさかこの夜に、京子は慎太郎と喧嘩になるなんて、思ってもいなかった――。
タクシーに乗るとき、京子はいつも無条件で警戒する。
なぜなら、運転手に高確率でイライラさせられるからだ。
京子はよく慎太郎に愚痴っていた。
「タクシー運転手のオッサンって、どうしていつもタメ口なわけ?」
タクシーに乗るときは大体、酔っ払っているときだからか、実際に運転手と口論になったことも1度や2度ではない。
「あいつら、こっちが若い女だからって舐めてんのよ。わざと道を遠回りして料金をズルしようとすんの」
めったなことで怒らない慎太郎は、毎回のように怒る京子をなだめ、そして優しく正してくれる。
「わかるよ、そうだよね。でも『あいつら』なんて言わないほうがいいよ」
だから、この夜に捕まえたタクシーにも、警戒しながら乗り込んだ。
しかし、意外なことに運転手は、京子と同年代くらいに見える美しい女性だった。
ネームプレートによれば「柊舞香」という名前らしい。
運転手が男性ではなく女性で、しかも今夜は慎太郎も同乗している。穏やかな気分で家まで帰れるだろうと、京子は期待した。
だが結局、イライラさせられて、口論にまで発展したのだ。
ただし相手は、運転手ではなく、慎太郎だった。

喧嘩のきかっけは、京子が、友人の彼氏を褒めたことだった。
「サヤカちゃんの彼氏って本当、愛情表現が多いんだよ。いい彼氏だよね、うらやましいな」
京子は、悪気なく言ったつもりだったが、その言葉を聞いた瞬間に、慎太郎が明らかにムッとした表情になった。
横目でそれに気づきながらも京子は、酔いが回っていたせいか話を続けてしまう。
「慎太郎も、もっと『愛してる』とか言ってほしいな〜。感情を出してほしいな〜」
すると慎太郎は握っていた京子の手を離し、そっぽを向くように車窓を見た。
「…口だけなら何とでも言えるだろ」
日頃の慎太郎からは想像できない暗い声に、京子は驚いた。
他の男を褒めたことで機嫌が悪くなったのかもしれない。
― なによ。これぐらいいいじゃん。
京子もまた反射的にムッとする。
「なによ、怒ったの?」
「怒ってないよ」
― 怒っている男は大抵そう返すわ。
「ウソね。怒ってるじゃん」
慎太郎はひとつ溜息を吐いてから、告げた。
「…あのね、俺、今夜仕事してたんだよ。もうすぐ納品なんだよ」
慎太郎はWEBデザインの仕事をしていて、納品日の直前は、深夜に自宅作業することもよくある。
「だから最後の追い込みをしてたのに、深夜飲みすぎて酔っ払って『迎えに来て』って電話してきた彼女のために、こうして迎えに来たんだよ。どう考えたって『愛してる』に決まってるでしょ」
「…でも女は『愛してる』って言葉にされたいの」
酔っていた京子はじゃれあうつもりでそう言った。しかしシラフで仕事中だった慎太郎には届かない。
「いや、なんか、もういいわ。俺、疲れた」
すると慎太郎は「運転手さん、停めてください」と舞香に告げた。渋谷セルリアンタワーの手前だった。
「俺、ちょっと歩くわ。会計はネット決済だから、そのまま降りていいから」
慎太郎は京子に告げ、ひとりでタクシーを降りてしまう。

「お客様は…降りないんですか?」
呆気に取られて一人でタクシーに残っていた京子に、舞香は尋ねた。
「…いいです。行ってください」
京子は完全に機嫌を悪くしていた。
慎太郎が突然怒ったことが許せなかった。そもそもなぜ怒ったのか、理解ができない。
― なんなの、慎太郎のヤツ。腹立つ。
そのままタクシーは三軒茶屋へ向かって、ふたたび国道246号を走り出す。車内は無言になった。
池尻大橋駅を通り過ぎるころ、京子は沈黙に耐え切れず、舞香に問う。
「運転手さん、今のどう思います?」
「…今の?」
「今の私と彼の会話、聞いてたでしょう?どう思います?」
「もしかして、私に相談してますか?」
「はい。客観的な意見が欲しくて」
そう前置きしてから京子は、今夜の経緯や、日頃の慎太郎について説明する。
静かに頷いてくれる舞香に対して、京子は自然と饒舌になった。
「お客様…ひとつ質問があるのですが」
一通り話を終えると舞香は聞いてきた。
「彼に、ご不満があるのですか?」
「不満かぁ…。それは正直あります」
「どんなところが不満ですか?」
「ずっと何となく不満なんです。でも不満の正体が自分でもわからない」
周りの友達は、みんな口を揃えて言う。「あんなに優しい彼氏はいない」と。
しかし京子は、慎太郎に対して、以前から漠然とした不満を抱いていたのだ。
舞香はバックミラー越しに視線を送ってくる。
「では、もうひとつ質問があるのですが」
「なんですか?」
「正直に答えてくださいね。このタクシーに乗っている間だけは、ウソは禁止です」
「へえ、ウソ禁止」
この運転手さんおもしろい、と思いながら京子は答える。
「私は日頃から、ウソは言わないんです。思ったことは何でも包み隠さず口に出すタイプだから」
「良かったです」
バックミラーの中で舞香は微笑む。
「それでは、もうひとつの質問です。『彼はめったに怒らない』とおっしゃいましたが、今日はどうして怒ったのだと思いますか?」
それがわからないから相談してるのに。内心でイラっとしながらも京子は答える。
「たぶん仕事の途中だったから…じゃないかな」
「はたして、本当にそうでしょうか」
「え?…じゃ、運転手さんは何が理由だと思うんですか?」
「私にもわかりません」
「なにそれ!」
「そもそも私は、車内での会話やお客様の話を聞くかぎりでは、彼が優しい人なのか、それとも冷たい人なのか、その判断すらついていません」
「優しい人に決まってます」と即答しようとするが、京子はハッとして口をつぐんだ。
― 本当は私、慎太郎のことを「優しい人」だとは思っていない…。
たしかに、周りからは優しい彼氏だと称賛される。しかし4年も付き合ってきた今、その称賛には違和感がある。
― 慎太郎は優しいんじゃなくて、きっと人に興味がないだけ。ただの冷たい人間なんじゃないか。
それが、漠然とした不満の正体であることに気づく。
京子の心の中を見通すように、舞香は言った。
「『怒らない人間は優しいのではなく、他人に期待をしてないだけ』
そんなこと言う人もいますが、どうですか?お客様の彼もそうですか?」

しばらく押し黙っていた京子だが、タクシーが三軒茶屋駅を通過し、国道246号から世田谷通りへ入るところで、口を開いた。
「運転手さんに言われて、慎太郎に抱いていた不満の正体に、ようやく気づいたかも…」
「…どんな不満ですか?」
「めったなことでは怒らない、私と違って感情的にならない慎太郎が、ずっと不思議だったんです。
もっと怒ってもいいと思う。もっと悲しんでほしいし、もっと喜んでほしいし、もっと楽しんでほしい。
もっとストレートに思ったことを表現してほしい。
…ずっと、そう思ってたんだ」
京子はいつだって良い感情も悪い感情も慎太郎へぶつけてきた。
だから慎太郎にも同じように、自分にまっすぐ感情をぶつけてほしいと思っている。
「だとしたら先ほど彼が怒ったのは、お客様にとっては大正解だったということですね」
「まあ、そうなんですけど…」
歯切れの悪い返事になる。
「けど、急に怒られて、なんか…それはそれで違う気がして…」
「どう違うんですか?」
「わからないです。でも私、悲しかった」
「悲しかったから、お客様は彼に逆ギレ…いえ、怒ったんですか?」
バックミラー越しに舞香と目が合う。
「うん、まあ、そのとおりですね」
「悲しいのは、彼も同じだったと思いますよ」
「えっ」
「さきほど彼は、とても悲しい顔をしてました。失礼とは思いつつ、バックミラー越しに見てしまいました」

「でも…」と舞香は話を続ける。
「でも、いつもは怒らない彼が、悲しかったという理由だけで、タクシーを途中で降りるほどに感情を乱すとは思えません」
カップルが途中でケンカして、片方だけ先にタクシーを降りることは、年に1度あるかないかだと舞香は言う。
「おそらく『悲しい』以外に、なにか怒る理由があったのだと思います」
「それって?」
京子は前のめりになって尋ねる。
「それこそ、私にはわかりかねます。お電話して聞いてみたらいかがですか?」
ぐうの音もでない、と京子は思った。タクシーは環七通り手前にある同棲中の自宅マンション前に到着する。
「料金はネット決済ですませております。どうぞお気をつけて、お降りください」
京子は、軽く会釈してから降車した。
去り際、舞香は言った。
「どうぞ、お幸せに」
タクシーが消えると、京子はスマホを取り出す。時刻は23時半を回るところだった。
迷いながらも、LINEで慎太郎への謝罪文を打ち始める。
しかしすぐに面倒になり、舞香に言われたとおり電話をしてみることにした。
「もしもし?あのさ…さっきはごめんね」
「こっちこそ、ごめん」
慎太郎は途中で降車したことを詫びた。頭を冷やすために、歩こうと思ったのだという。
「悪かったよ。0時までには、絶対に帰るから」
「時間なんて気にしなくていいから、気をつけて帰ってきて」
「ダメだよ。0時までに帰らないと」
「なんで?」
「だって0時を越えたら明日になるだろ?今日は俺たちが付き合い始めた記念日だろ?今日中に祝いたいじゃん。
今夜は、京子がそれを忘れて飲みに行っちゃったから、俺、イラっとしちゃってさ。
ごめんね」
京子は返す言葉がなかった。
― 慎太郎の言うとおりだ。大事な日を忘れていた…。
15分後、慎太郎が帰宅。
京子は号泣しながら、何度も何度も何度も、頭を下げて謝罪をした。
「泣きすぎだよ。そんなに泣かなくていいよ」
慎太郎はそれを見て大いに笑ってくれた。
― この人は、本当に優しい人だ。
そう気づいた京子は、慎太郎に感謝の気持ちでいっぱいになるのだった。
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