慶應卒の33歳エリート男。振られた元カノが結婚式に乗り込んできて、狂気の沙汰に…。
春・第三夜「参列する女」
「すみません、奧の座席なので、入ってもよろしいですか？」
18Cのシートに座ってシートベルトをしたところで、頭上から声をかけられた。
土曜日早朝の、羽田発金沢行きのフライトは思ったよりも混んでいる。
― あれ？この人も結婚式に出るのかな？
声をかけてきたのは、色が白く、鼻の高い女性だった。年齢は32〜33歳だろうか、私より少し年上に見える。黒いフォーマルなワンピースにパールのネックレス。ジャケットを着ていて、髪を品よくセットしていた。
「どうぞ、お通りください」
私は急いでシートベルトを外すと、立ち上がって通路に出た。
「もしかして金沢で結婚式ですか？私もこれから親友の結婚式に参列するんです」
並んで座席に座り、シートベルトを締めながら、女性にたずねた。非日常的な出来事にテンションが上がって、誰かと話したい気分だったのだ。
すると彼女は驚いたように目を丸くしてから、にこりと笑って私を見た。
「偶然。私も」
飛行機は、音もなく滑走路に押し出された。約1時間のフライトが始まった。
金沢行きのフライトで隣あう二人の女。やがて浮かび上がる、驚きの共通点とは？
奇妙な一致
「ええ！？じゃあ本当に私たち同じ結婚式に参列するってことですか？すごい偶然…尚美さんが新郎のお友達なんて。改めて、私は新婦サチの友人、村上由枝子です。よろしくお願いいたします」
サチから、式は親族だけで神社で執り行い、披露宴の代わりに金沢で有名な高級一軒家レストランに友人を呼ぶときいていたから、もしかしてと訊いてみた。するとなんという偶然か、彼女と私はそれぞれ新郎新婦の友人で、同じ結婚式に出席することがわかったのだ。
シートベルトサインが外れ、CAがドリンクサービスを始めた。水平飛行時間は45分もないので時間は足りないはずだ。内心ひやひやだろう。
よく晴れた春の空を、飛行機は怖いくらい滑らかに飛行していく。
「それにしても、同じ式に出る者同士で、同じ飛行機の隣の席になるなんて。サチ、結婚式はこんな状況だから人数をすごく絞るって言ってました。
それでも招待してくれたから、もう親友の晴れ舞台、目に焼き付けよう！と思って気合入れてきたんです。金沢も初めてだし、嬉しくて」
私がコーヒーを飲みながら小さく気合のこぶしを作ってみせると、尚美さんはおかしそうに笑った。
「宏のお父様は金沢で事業をやっているから、結婚式は彼の地元になったんでしょうね。まだお会いしたことないけど、サチさんは素敵な人なんですね。由枝子さんみたいな親友が金沢まで来てくれるなんて」
「いえいえ…。でもサチは本当に魅力的な子です！宏さんとは会社の先輩後輩なんですよね。宏さん、サチが異動してきて一目惚れだったらしいですよ」
「そうなんだ…」
尚美さんは唇をピッと伸ばしで真一文字にすると、コーヒーをこくんと飲んで何かを考えているようだった。
気の置けない同級生同士、宏さんのそういう恋物語は意外に聞こえるのかもしれない。異性の友人が、好きなひとにはどんな顔を見せるのかは、長く付き合っていてもわからないものだ。
「宏さんはどんな方なんですか？なんかサチ、今回はえらく秘密主義で。ここしばらくステイホームしてたからっていうのもあるんですけど。
実は彼氏がいて、今度結婚しますって、一度ZOOMで紹介してもらっただけなんです」
「宏は、とっても優しいですよ。極力コトを荒立てたくないタイプだから…夫にはいいんじゃないかしら？」
「そうなんだ！情熱家のサチとは正反対だから惹かれあったのかな。良かった、いい人と巡り合って」
20代を一緒に過ごしたサチが、先に結婚してしまうのは淋しかったけれど、親友の幸せを喜ぶ気持ちの方が強かった。
その時ポーンと音がして、シートベルト着用サインが点灯した。
「え！？早い、もう金沢？飛行機ってアッと言う間。よかったら会場までご一緒しませんか？」
「名案ですね」
尚美さんはにっこりと笑った。北国出身らしく、肌が薄くて白い。笑うと思いのほか目じりのしわが深くなり、少しだけ年齢を感じさせた。
初めての街で少し緊張していたが、金沢が地元の尚美さんが一緒なら間違いない。私は安心して、着陸までのつかの間、目を閉じた。
◆
金沢の中心部までの道は、予想外に混んでいた。
前泊しているはずの数人の友人に少しでも早く会いたかったが仕方ない。
「宏さん、高校時代はどんな感じだったんですか？」
のろのろと進むタクシーの後部座席で、手持ち無沙汰になり、尚美さんに質問してみる。
33歳のエリートサラリーマン、慶應卒で金沢出身というデータしか知らず、人となりに興味があった。
すると返ってきたのは、予想外の種類の答えだった。
尚美が語る、衝撃の「宏情報」に、由枝子は戸惑いを隠せない。そして結婚式の時間が迫るが…！？
連れてきた女
「宏は、私たちの高校の生徒会長だったの。トップクラスの県立高校で会長になるぐらいだからすごく人望もあって、文武両道だったわ」
「へええええ！そうなんですね、サチすごい人を射止めたんだ。じゃあ宏さん、モテたんじゃないですか？」
女子校育ちの私は、共学の高校生活が羨ましくてつい口が滑ってしまう。
「それがね、宏はすごく一途で、副会長の子とずっと付き合ってたから、誰も入り込めない感じだったの。黄金コンビって感じだった」
「会長と副会長が付き合ってたってことですか！？さわやか過ぎる〜！」
すると尚美さんはなんだか寂しそうに笑った。もしかすると、高校時代の2人を羨ましく思っていたことがあるのかもしれないと、私は感じた。
「結局高校時代、2人はずっと付き合っていて、大学も相談して東京に進学したの。その頃からずっと一緒に住んでたみたい」
「…え、そうなんですね…」
高校時代の話はノスタルジックで現実味がなかったが、大学時代に同棲していたとなると、なんだか急にリアルに感じてしまう。
社会人になって別れたとしても、そう遠くない話のような気がした。
「この話はサチに内緒にしておかなくちゃ。ヤキモチやいちゃいますね、そんな素敵な青春物語」
私が茶化すと、尚美さんは首を振った。
「でもそんなに長く付き合っても結局結婚しなかったんだから…副会長、可哀想だわ」
サチはおそらく、その昔の彼女のことなど大して気にしていないだろうという気がした。少なくとも彼氏の元カノに対してああだこうだ思いを馳せるタイプではない。
直感に従う肉食女子なのだ。
それはともかくとして、この話は少なくとも私が喜々としてサチの耳に入れるべき話じゃない。聞かなかったことにしようと思った。
「お客さん、つきましたよ。年度末で混んでましたね、式に間に合いますか？」
人の好さそうな運転手さんが、一軒家レストランの車寄せにタクシーを滑り込ませた。
いそいで料金を払い、中に入る。予想以上に華やかなムードにどきどきしながら、コートを預け、案内に従って奥に進んでいく。
「もう受付も始まってますよね。間に合ってよかった」
私は尚美さんに早口で「ありがとうございました、またのちほど」と会釈をしてから、お手洗いに駆け込んだ。急いでリップとチークを直し、受付に向かう。
尚美さんはすでにそこに立っていた。
「大変恐れいります…お名前、もう一度よろしいでしょうか」
新郎側の受付を任された、おそらく新郎の友人が、困惑しきりに会費用の名簿を確認している。対照的に、尚美さんはおっとりと構えている。
「河上尚美と申します。招待客リストに載ってないですか？
おかしいなあ、宏、私をわすれちゃったのかなあ？
あんなに一緒に過ごしたのに、私を結婚式に呼ばないなんて、どうしかしちゃったのかも。
すみません、今から宏に伝えていただけますか？
尚美がお祝いにきた、って」
その時、お手洗いにでも行っていたのか、本来2名体制の新郎側受付のもうひとりが近づいてきた。そして尚美さんを見るなり、怯えたように足をとめた。
「うわっ、副会長…なんでここに！？」
尚美さんは凍り付く一同の中心で、立ちすくむ私に気がつくと、まるで旧友を見つけたかのように笑顔で歩み寄ってきた。
「会場はわかってたから朝イチで向かったんだけど、時間がわからなくて。由枝子ちゃんのおかげで助かった」
そして尚美さんは、皆が水を打ったように静まる中、堂々と受付の前にあるソファに座り「宏に、尚美が来たと伝えていただけますか？」と繰り返してにっこりと笑った。
その奇妙に自信に満ち溢れた態度が、彼女をただの逆恨みの元カノと片付けられない「物語」を感じさせた。
…どうやら私は、連れてきてはいけないひとを、ここまで同伴してしまったようだ。
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