「AIは現代のバベルの塔」説に妙に納得。“検索すらしなくなった私”がちょっと怖くなった話
20年間生活した東京をあとにして、故郷北海道で自然や犬との気ままなシンプルライフを楽しむアンヌさん。本連載では、40代の今だから感じる日々のあれこれを綴ります。
第96回となる今回は、AIがもたらす人々への影響について考えます(以下、アンヌさんの寄稿です)。
8月半ば。私が暮らす札幌もいよいよ本格的な夏。皆さんいかがお過ごしですか。
この季節になると、私はどうしても心霊などのオカルト特集が気になります。テレビでもそうですが、コンビニの雑誌コーナーに並ぶ「心霊スペシャル!」「UFO極秘ファイル!」みたいな、ちょっとひと癖あるムック本が大好き。
先日もコンビニで、つい一冊買ってしまいました。
「本当に起きた世界の心霊事件簿」「生霊とは何か」「パラレルワールド心霊仮説」……。もう、タイトルだけで最高。
もちろん私は、これらを「真実だよね!」と信じているわけではありません。完全にエンターテインメントとして楽しんでいます。こういうものは、眉間にシワを寄せて真剣に読むものではなく、うふふ、とほくそ笑みながら読み流すのが醍醐味。
◆「AIは現代のバベルの塔」という説に妙に納得
ところが、そんな軽い気持ちで買った雑誌の中に、妙に引っかかる記事がありました。
それは「AIは現代のバベルの塔ではないか」というもの。
旧約聖書に登場する「バベルの塔」は、人間が力を合わせて天に届くほどの巨大な塔を建てようとした結果、神によって言葉を分断され、人々が意思疎通できなくなったという物語。
もちろん、こういう雑誌が好きそうなキーワードだ、という前提はさておき、その記事では、現代の人類が再び塔を建てている。それがAIなのではないか、と記してあり、私は妙に納得してしまったのです。
今回の塔は石ではなく、情報でできている。世界中の知識を統合し、人間同士をリアルタイムでつなぎ、金融、軍事、芸術、恋愛、宗教……あらゆるものをAIに委ね始めている。そしてそれがどんどん進めば進むほど、人類自ら作り始めた「文明」のせいで崩壊にむかっている……と。
こう言われると、たしかにうなずいてしまう私がいます。先日会社を経営されている方々と会食をした際のメイントピックはもっぱらAIに関して。新入社員に関しても、AIを使いこなせる能力とコミュニケーション能力の両方を持ち合わせた人材が一番強いとのこと。なるほど。
◆気づけば「検索すること」すらAI任せになっていた
私はコミュニケ―ション能力についてはある程度自信があるけれど、AIを使いこなせているかというと、はなはだ疑問。
頼るのはごはん支度に迷ったときでしょうか。「長芋と冷凍ホタテがあるんだけど、いつもと違う味付けの料理にしたい」と相談すれば、いくつもアイデアを出してくれます。そんなきわめて牧歌的ともいえる使い方しかできていない私ですが、この連載記事でかなり合点がいったのは「昨今私たちは検索すらしなくなっている」という一文。そう。自分でも「検索しなくなったな」と思うことがあります。
先日、ロボット掃除機が故障し、メーカー側から新しい機種との交換を提案されました。やってきた新しい掃除機は、以前とはまったく異なる仕様。昔の機種にはなかったような液晶画面がついていて、オートモードやクイックモードなど、いろいろな操作ができるようかなり進化していました。
機械音痴の私は、この液晶に面食らい、使いこなすことができず固まってしまいました。しかも昨今「説明書」なるものは紙媒体ではついてこないものもあったりするのですよね。

