夫公認ってアリ? 食事の準備から夜の世話まで、江戸時代の主婦が行う期間限定のレンタル妻

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江戸時代の娼婦も美女であればあるほど、人気が集まったのですが、「美」以外のセールスポイントで稼げた女性たちもたくさんおりました。地域での顔の広さ……つまり「主婦力」とか、「おばちゃん力」とでもいうべきコミュニケーション能力を売りにした娼婦もいたのですね。たとえば、それは京都の「わたぼうし」と呼ばれる女性たちで、仕事内容は期間限定のレンタル妻です。

都会には出稼ぎでやってくる商人などがいたのですが、「わたぼうし」は彼らから重宝されていました。もともと京都の色街のひとつである先斗町にあった綿帽子屋が、提供しはじめたサービスだったので、その手の期間限定妻の仕事を全般的に「わたぼうし」などと呼ばれるようになったとの説が、滝沢馬琴の『羇旅漫録(きりょまんろく)』には記されています。しかもこの京都・先斗町の「わたぼうし」にかぎらず、この手の主婦のおこなうパートジョブは、しばしば夫公認の仕事でした。

彼女たちは客の食事の準備や給仕、洗濯、夜のお世話をふくめ、身の回りの世話をします。さらには土地勘がない商人に、地元民としてアドバイスをしたり、三味線まで弾いて聞かせて気分転換に協力したりと、非常に頼りになる存在だったのです。

不思議な娼婦といえば、水辺でしか営業しないエリア限定の娼婦もいました。江戸では「船饅頭」などが一般的な名称です。彼女たちは岸に小舟を停泊させ、近寄ってくる男性に声をかけます。商談が成立すると、そのまま客を乗せ、彼女たちがオールを巧みにさばいて舟を漕ぎます。川の中程まで舟を進め、誰かからのぞかれたりすることもなく、プライヴァシー確保も万全な環境で、愛し合えるのですよ……というサービスでした。
……が、彼女たちには病気で(梅毒も含む)、足腰が立たなくなった女性たちも含まれた、とか。『寛天見聞記』という資料によると、値段は激安で32文程度でした。私見ですが、今なら1000円前後です。ちょっと豪華なトッピングのラーメン一杯分くらいの値段。

激安といえば、さらに最低ランクの娼婦がいました。「夜鷹」などと呼ばれ、商売道具はゴザ一枚、それをひっさげて厚化粧をし、白手ぬぐいで顔を隠し、夜闇に紛れて16文程度でも身体を売りました。16文というのは、当時、もっとも質素な外食メニューのひとつだった、かけそば一杯分(具や、トッピングはなし)でした。

たいていはホントに食べることにも困った熟女や老女がやっておりましたが、客が付けば、「女性としての魅力がまだ自分にはある!」と思え、それを生きていくパワーに変える「こじらせ系」の老娼婦もいたようです。井原西鶴の『好色一代女』の主人公もそういう女性で、本当は六十代なのに、十代の少女だという風に客をいかに騙せるかに意義を見出している描写が出てきます。

『婦美車紫鹿子(ふみぐるまむらさきかのこ)』という資料には「(夜鷹の)玉代は二十四文であったが、五十文、百文を与へる者も多かったといふ」とあるので、うらびれた熟女が好きな男性に人気があったのではないでしょうか。ある意味で、フェチな人用ですね。江戸でいう「夜鷹」を、京都では「辻君(つじぎみ)」大坂では「惣嫁(そうか)」と呼びました。

小学館の「完訳日本の古典シリーズ」、『好色五人女・好色一代女』の巻末には「女職尽三十二種」という史料が添付されています。一見、江戸時代の女性の代表的な職業総覧といった趣です。しかし、実はこの大半が売色業で、表向きは販売員などでもチップ狙いの特別サービスとして売色もしているのでした。当時の喫茶店にあたる水茶屋にも通い詰めれば、ホールスタッフの少女に裏メニューが期待できる……という感じ。
江戸時代は遊女などではなくても、女性が社会に出て働くということのなかに、セックスするという条件が含まれがちだったということは、現代人には衝撃ですよね。

(堀江宏樹)

※写真と本文は関係ありません