小島秀夫「他人からサインをねだられる人生なんて、想像もしなかった」 “サイン”遍歴を明かす
小島秀夫の右脳が大好きなこと=を日常から切り取り、それを左脳で深掘りする、未来への考察&応援エッセイ「ゲームクリエイター小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き」。第17回目のテーマは「サインの作り方」です。
突然、幼馴染からメールがあり、数十年ぶりに青山の鮨屋で再会することになった。昔からパンクチャルだった彼は、待ち合わせ時間に遅れることなく、時間通りに現れた。僕と同い年なので、彼も昨年還暦を迎えた60歳。頭に白いものが混じっているものの、すぐに“なっかん”本人だと分かった。彼とは地元の中学と高校が同じ。一度だけ同じクラスになったものの、そのあとのクラスは別だった。活動クラブも違ったが、一緒に下校したり、映画を観に行ったりする仲だった。有名大学の経済学部を一緒に受験して、彼は合格し、僕だけが落ちた。卒業後、彼はそのまま大手電機メーカーに就職、僕は友人達の反対を押し切って、ゲーム会社に流れた。それが、お互い上京していたにもかかわらず、疎遠になった所以かもしれない。あれから40年、全く違う人生を歩んできた。ところが不思議なことに、ものの数分でタイムスリップしたかのように、あの学生時代へと戻れた。僕らは、10代の頃のように、心地良い北摂弁で、昔話に花を咲かせた。中学の時の“のど自慢大会”で、彼が中条きよしの「うそ」を、僕が新沼謙治の「ヘッドライト」を歌い、彼が1位、僕が2位になったこと。帰宅時にはいつも浜村淳(注1)のように、僕が映画のあらすじを、導入から最後まで語りながら下校していたこと。僕が書いていた小説の巻末には、いつも彼が解説を書いてくれていたことなど。あっという間に二人だけの同窓会は終わりに近づいた。お開き間際になって僕は彼に突然メールをくれた理由を尋ねてみた。すると、「そうそう、忘れるところだった」と、彼はスマホの写真を開いた。そこには僕らの高校名が印字されたスケッチブックが写っていた。僕も彼も国公立を最初から諦めていたので、高三時には、二時間枠の美術を専攻していたのだ。その時のスケッチブックだ。「実家を整理していたら、これが出てきたんや」と今度は、スケッチブックの中身の写真を捲る。するとグロテスクなゾンビの落書きが現れた。「小島君、こんなに絵が上手かったんやね。これ見せたくてメールしたんや」と。僕も思い出した。彼がトイレに行っている間に、彼のスケッチブックに鉛筆で落書きをしたのだ。戻ってきた彼を驚かせようとして。しかし、彼はこのイタズラに40年間、気づかなかった。「なんで、僕やと?」と聞くと、「ほら、ここに“なっかんへ”というコメントがあるやろ。それで、この下にサインがあるんや」。“なっかん”は、落書きの横をさらにピンチアウトした。
最初にファンにサインをしたのは、いつの頃だったか? 正確には覚えていない。僕の名前が漢字のフルネームで表記出来るように許されたのは、『SNATCHER』(注2)のPCエンジン版(1992)からだ。だから、その頃だろう。ファンに「サインをください!」と言われ、戸惑ったのは。僕は有名人でもなければ、芸能人でもない。他人からサインをねだられる人生なんて、想像もしなかった。だから、サインなど用意していなかった。そこで仕方がなく、自作の絵やイラストの横に描いていた子供の頃のサインをそのままに返した。一度、描いてしまうと、もうそれが僕の公式のサインとなった。ただ30年かけて、マイナー・チェンジはしている。西暦表記はサインの時期を把握するためにと、いつの頃からか描いていた。“ピースマーク”を付け加えるようになったのは、『MGSPW』(注3)からだ。これらの証明(サイン)が世界中のファンの元に保管されている。
このサインの原型は、小学校の高学年の頃に描き出したものだ。自分の絵や小説、作品にサインをイタズラに記すようになった。当時、憧れていた松本零士先生のサインを真似て、自分流にアレンジしたものだ。比べてみれば、似ていることが分かるはずだ。イタズラから生まれた適当な記名(サイン)が、いつの間にか世界中に頒布され、小島秀夫の公式象徴(サイン)として登録されてしまっている。単純には喜べない複雑な気持ちだ。サインを描いている時、心の中ではそんなことを考えている。
「これ、小島君のサインやろ?」と、“なっかん”がスマホの写真を拡大する。そこには、“1981”という西暦が丁寧に書かれている。ピースマークはまだないものの、まさしく僕のサインだった。鑑定団でも僕のサインだと認証できる、紛れもない僕の証(サイン)。
「これ、サインもあるし、値打ちあるんとちゃうか?」と“なっかん”が呟く。そんなイタズラな物言いに悲しい顔で返すと、「冗談やで。これは僕らの“思い出”のサインやからな。スケッチブック、実家から持ってくるわ。小島君に“イタズラ”を返そうとおもて」と笑う。幼馴染の得意げな顔を見た瞬間、サインはこのままで行こうと決めた。イタズラで始めたことが、他人の思い出となり、思い出がまたイタズラとして自分に帰ってくるのだから。
注1:浜村淳 京都出身の、関西を代表するレジェンド・ラジオパーソナリティ。映画への造詣が深く、見事な話術と独自の言い回しで語られる映画評も有名。注2:『SNATCHER』 小島秀夫が手がけた、1988年にコナミから発売されたアドベンチャーゲーム。PCエンジン版は1992年発売。注3:『MGSPW』 2010年に発売された小島秀夫によるPlayStation Portable用ゲーム『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』。メタルギアシリーズの一作品。
今月のCulture Favorite
大阪コミコンで知り合った斎藤工さんがコジプロに来社してくれた時のツーショット。
水ドラ25『ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!』(テレ東系)の撮影現場にお邪魔した時に、主演の郄石あかりさん、伊澤彩織さんと。
“DS2団結会”に津田健次郎さんが参加。その時のダルマを挟んでの一枚。
こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。’87年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンターテインメントへも、創作領域を広げている。「The Game Awards 2023」にて発表した、最新作『OD』の公式ティザートレーラーが、KOJIMA PRODUCTIONSの公式YouTubeチャンネルで公開中。
『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』の第2弾トレーラーが公開中。
先日、完全新作オリジナルIP『PHYSINT(Working Title)』の制作を発表。
次回は、2416号(2024年10月2日発売)です。
※『anan』2024年9月11日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)
(by anan編集部)