LDHで初の『24時間テレビ』帯企画出演の快挙。35歳の活躍が“テレビ史に残る”といっても過言ではないワケ
2024年8月31日と9月1日に放送された『24時間テレビ47』(日本テレビ)に、三代目 J SOUL BROTHERS(以下、三代目JSB)の岩田剛典が出演したことは、決して言い過ぎではなく、近年のテレビ史で特筆すべき出来事になった。
岩田が担当したのは、ライブペイントで完成させた絵画作品をチャリティーオークションにかけ、能登半島地震の復興のために収益を寄付する「三代目・岩田剛典が挑む 生アート制作 一流画家の作品をオークション」という帯企画。LDHアーティストが同番組で24時間リアルタイムの大役を担うのは、1978年の放送開始から初めてのこと。
通常の絵筆をスプーンに持ちかえ、一貫して涼しげな表情で大仕事をやり遂げてしまうのは、さすが我らが岩ちゃんのスーパーポテンシャル。テレビ史どころか、テレビ画面自体がガタガタと動いたように錯覚さえしてしまった。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、動き続ける岩田剛典の24時間を記録する。
◆必然的に実を結ぶ才能と縁
岩田剛典が24時間テレビで、スプーンアートのライブペイントをすると知ったとき、好きこそものの上手なれということわざを、むやみやたらと口にしてはいけないなと思った。
コロナ禍で絵画制作を始めたことが今回のライブペイントにつながる。それは本人も予想していなかったことだろうけど、彼の場合はその好きがどこか必然的に実を結ぶ才能と縁にめぐまれている気がする。
三代目JSBのパフォーマーとして2010年にデビューする以前から、ロサンゼルス発祥のストリートダンスであるクランプ(KRUMP)を極めるダンサーとしての日々を送っていた。出身校である慶應義塾大学ではダンスサークルの代表をつとめ、大学4年の夏、三代目JSBの現リーダーNAOKIの誘いを受けて同グループのメンバー選抜オーディションに身を投じた。このとき、「人生二度とないギャンブル」と覚悟を決めた彼は、有名企業の内定をけっている。
この「ギャンブル」とはつまり、長い過程の延長である現在と一瞬の決断による組み合わせのことである。クランプが好きで好きでしようがない青年はその瞬間、好きのその先へ踏み込んだのだ。
◆テレビ・芸能史が動いた瞬間
筆者が以前、縁あって世界的バレエダンサー草刈民代と食事をしたとき、「もっと努力しなければ」という主旨の発言を耳にして驚いたことがある。世界中のカンパニーの大舞台を経験してきた草刈さんに「努力」の必要性を説かれてしまったら、いったい、ぼくらはその何倍必要なんだと。
単純にもっと上を目指す。好きを超越し、未踏の領域で日々鍛錬を続けるプロフェッショナルたちすべてに共通する感覚だろう。ダンスのジャンルは違えど、アメリカのストリートに根差すクランプの世界に魅せられ、日本の地で技を磨いてきた岩田もまた常に上を目指してきたプロフェッショナルのひとり。
LDHに所属するアーティストとして初めて24時間テレビの帯企画に出演する事実は、CL(LDHが独自の動画コンテンツを配信するサブスクリプション)のLIVE CASTで「これはほんとに大きなことなんです」と本人も感嘆まじりに言っていたように、日本のテレビ・芸能史が動いた瞬間に違いない。
でも当人ではないぼくらがいたずらに騒ぎ立てるのは野暮な話でもある。同番組に出演するまでの彼の努力、向上心、そしてその過程自体をバックストーリーとして確認しておかなければ今回の出演の真価は問えないと筆者は考えている。
◆そもそも絵を描く人として認識されたのはいつから?
三代目JSBのパフォーマー、俳優、ソロアーティストという主に3つの肩書き(本人は三足の草鞋と表現)を持つ岩田剛典が、そもそも絵を描く人として世の中ではっきり認識されるようになったのはいつからだったか?
岩田が担当したのは、ライブペイントで完成させた絵画作品をチャリティーオークションにかけ、能登半島地震の復興のために収益を寄付する「三代目・岩田剛典が挑む 生アート制作 一流画家の作品をオークション」という帯企画。LDHアーティストが同番組で24時間リアルタイムの大役を担うのは、1978年の放送開始から初めてのこと。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、動き続ける岩田剛典の24時間を記録する。
◆必然的に実を結ぶ才能と縁
岩田剛典が24時間テレビで、スプーンアートのライブペイントをすると知ったとき、好きこそものの上手なれということわざを、むやみやたらと口にしてはいけないなと思った。
コロナ禍で絵画制作を始めたことが今回のライブペイントにつながる。それは本人も予想していなかったことだろうけど、彼の場合はその好きがどこか必然的に実を結ぶ才能と縁にめぐまれている気がする。
三代目JSBのパフォーマーとして2010年にデビューする以前から、ロサンゼルス発祥のストリートダンスであるクランプ(KRUMP)を極めるダンサーとしての日々を送っていた。出身校である慶應義塾大学ではダンスサークルの代表をつとめ、大学4年の夏、三代目JSBの現リーダーNAOKIの誘いを受けて同グループのメンバー選抜オーディションに身を投じた。このとき、「人生二度とないギャンブル」と覚悟を決めた彼は、有名企業の内定をけっている。
この「ギャンブル」とはつまり、長い過程の延長である現在と一瞬の決断による組み合わせのことである。クランプが好きで好きでしようがない青年はその瞬間、好きのその先へ踏み込んだのだ。
◆テレビ・芸能史が動いた瞬間
筆者が以前、縁あって世界的バレエダンサー草刈民代と食事をしたとき、「もっと努力しなければ」という主旨の発言を耳にして驚いたことがある。世界中のカンパニーの大舞台を経験してきた草刈さんに「努力」の必要性を説かれてしまったら、いったい、ぼくらはその何倍必要なんだと。
単純にもっと上を目指す。好きを超越し、未踏の領域で日々鍛錬を続けるプロフェッショナルたちすべてに共通する感覚だろう。ダンスのジャンルは違えど、アメリカのストリートに根差すクランプの世界に魅せられ、日本の地で技を磨いてきた岩田もまた常に上を目指してきたプロフェッショナルのひとり。
LDHに所属するアーティストとして初めて24時間テレビの帯企画に出演する事実は、CL(LDHが独自の動画コンテンツを配信するサブスクリプション)のLIVE CASTで「これはほんとに大きなことなんです」と本人も感嘆まじりに言っていたように、日本のテレビ・芸能史が動いた瞬間に違いない。
でも当人ではないぼくらがいたずらに騒ぎ立てるのは野暮な話でもある。同番組に出演するまでの彼の努力、向上心、そしてその過程自体をバックストーリーとして確認しておかなければ今回の出演の真価は問えないと筆者は考えている。
◆そもそも絵を描く人として認識されたのはいつから?
三代目JSBのパフォーマー、俳優、ソロアーティストという主に3つの肩書き(本人は三足の草鞋と表現)を持つ岩田剛典が、そもそも絵を描く人として世の中ではっきり認識されるようになったのはいつからだったか?