◆これまでのあらすじ
新卒時代にコロナ自粛を強いられた「不遇の世代」の長田未来(25)。大手メーカー人事部で働き、交際4年の彼氏・悠斗とは結婚を約束している。ある日、経験が少なすぎる自分の人生に疑問を持った未来は、尊敬する職場の先輩・亜希子の影響で「ウィッシュリスト」の作成に興味を抱き…。

▶前回:コロナに新卒時代を阻まれた「不遇の世代」、学習院女子大卒25歳は…




Vol.2 ゆとり?さとり?忘れ去られた世代の自分探し


未来は三鷹の実家に帰宅し、ベッドにごろりと仰向けになった。

「2年後までに、絶対に一級建築士の試験に合格する!そしたら結婚しよう」と宣言してくれた彼氏の悠斗は、さっそく、勉強があるからと帰っていった。

見慣れた自分の部屋の天井を見ながら、未来は考える。

― 結婚までに2年あるんだとしたら、1人暮らし、してみたいなあ。でも、今から1人用の家具とか買ったら、結婚する時無駄になっちゃうよね。

自分の人生経験を増やすために、仕事では、海外採用にも挑戦してみたいと思う。

― でも、うちの会社にはもっとふさわしい人がたくさんいるし…。

ふと未来は、自分の思考の癖にはっとする。

― こんなこと考えてたら、何もできないじゃない!

うつ伏せに寝返りを打ったとき、聞きなれた姉の声がした。

「未来ちゃん。部屋、入るよ」

未来が声のする方に顔を向けると、姉の美玲が、Diorのルームウェアを着て部屋の入り口に立っていた。

「お姉ちゃん、今日も泊まっていくの?旦那さん寂しがらない?」

「旦那は仕事。私だってもう31歳、たまには休息が必要なのよ」

美しいトワル ドゥ ジュイの模様と三鷹の建売住宅は、どこかミスマッチだ。しかし、美玲は何も気にしていない様子で、未来のベッドに腰かけた。

美玲は、自称インフルエンサーとして、西麻布で飲み歩いていた。突然『港区女子卒業!』と言って経営者と結婚したのは、数年前のことだ。

「ねえ、未来ちゃん、そろそろ海外旅行にでも行きたくない?」

「え…行ってみたい!」

未来は思わずベッドから起き上がる。

「もしかして、未来ちゃん、まだ海外旅行したことない?この令和の時代に、海外未経験の25歳なんて、天然記念物だわ」

「天然記念物って、お姉ちゃん、大げさ!しかもちょっとディスってるでしょ!」

「ディスってないよ!未来ちゃん、港区じゃかなりレアなおいしいポジションだよ」

「ここは三鷹!お姉ちゃんが住んでる港区じゃないの!」

正反対な性格の未来と美玲だが、年が離れているせいか、姉妹の仲はすこぶる良い。

美玲と笑いながらも、未来の心に、ふともやがかかる。

― 海外未経験なこと、実際ちょっと気にしてるんだよね。

「じゃあ、さっそく来週ハワイにでも行こうか?」

「来週はさすがに無理だよ!」

― お姉ちゃん、自由でいいなあ。でも、私は今は、私らしい思い出をたくさん作りたい。

未来は、ウィッシュリストを作る計画について、ぼんやり考える。

― ちゃんとしたものが完成したら、亜希子さんに見てもらおう。




「未来ちゃん、折り入って相談って、ウィッシュリストのことだったの?」

亜希子の最終出社日が迫ったある日の夕方、未来は『ヴィロン』のテラス席で、亜希子とワイングラスを傾けていた。

「はい。『結婚までにしたいこと』をテーマにウィッシュリストを作ってみたので、亜希子さんに見てほしくて」

「いやあ…こんなの自己満足だから、適当に作ればいいんだけど、レビュー頼んじゃうところが真面目な未来ちゃんらしいね」

未来がさっそくノートを開くと、亜希子が驚いて言った。

「すごいたくさん書いてある!ハワイのハレクラニに泊まる、海外から優秀な人材を採用する…へえ、人のウィッシュリストって、面白いね」

「考えれば考えるほど、やりたいことが出てきちゃって…」

亜希子がリストに目を通しているあいだ、未来はなんだか緊張して、ワインを飲むペースが上がってしまう。

「そっか。未来ちゃんたちは、学生最後と社会人最初がコロナ禍だったんだもんね。これからいろいろ経験したい気持ち、わかるよ」

「コロナ禍だけじゃありません」

ワインが回ってきたせいか、未来はいつになく饒舌になってしまう。




「私、小学校時代は、新型インフルエンザのせいで、運動会も修学旅行も中止になりました。死ぬほど勉強して中学に合格したすぐ後には、震災があって…。卒業祝いで計画してたハワイへの家族旅行は自粛したんです」

「未来ちゃん、ヤバ…」

亜希子のつぶやきに、未来は思わず身を硬くする。亜希子は、グラスの白ワインを飲み干すと、慌ててフォローした。

「いや、未来ちゃんがヤバいんじゃないのよ。ゆとり世代、Z世代、いろんな世代がいるけれど、こんなところに、誰にも知られていない『自粛世代』がいたとは…」

「そうなんです。しかも悠斗…彼氏は、去年まで大学院生だったから、社会人カップルっぽいこともほとんどしたことなくて…」

亜希子は、未来のグラスにワインを注ぎ、決心したように言った。

「これは未来ちゃんの人生で大きな役割を果たすリストになるんだね。よし、今日はとことん未来ちゃんに付き合う!」

未来と亜希子は、ああでもない、こうでもない、と話しながら、ノートにウィッシュを書いては消しを繰り返した。

そして、ようやく10個の「ウィッシュ」をノートにまとめた。

「これで良し、と。未来ちゃん、どう?」

「はい…なんかすごく感慨深いです。このリストがあるだけで、毎日が楽しくなりそう!」

未来は、ノートに書いたウィッシュリストを改めて見返した。




□ビールのおいしさを知る
□1人でカウンターのお寿司を食べる
□ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□1人暮らしをする
□英会話教室に通う
□ハワイのハレクラニに泊まる
□100万円単位の衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する

亜希子も満足げにノートに目を落とした。

「うん、未来ちゃんらしい素敵なウィッシュリストだと思うよ。あれっ、前のページにも何か書いてある」

「あっ、そっちはダメ…」

未来の制止は間に合わず、亜希子はページをめくってしまう。

「お食事会に行く、秘密の恋をする…なにこれ?」

「これは無視してください!…私、今の彼が初めて付き合った相手で。でも、結婚するっていうことは、こういうことはもうできないなあって思っただけです!」

未来が慌ててノートを手で隠すと、亜希子は笑った。

「真面目な未来ちゃんも、こんなこと考えるんだ。ちょっと安心したわ。じゃあ、行こうか」

「行こうかって、どこに?」

未来が急いでノートをしまいながら聞くと、亜希子が当然、というように言った。

「何言っているの。早速ウィッシュリストの1つ目を達成しに行くのよ」


亜希子に連れられて向かった先は、代官山にあるクラフトビールの店『スプリングバレーブルワリー東京』だった。

「ここ、最近オーナーが変わったみたいで、置いてあるビールの種類も増えたのよ」

― 平日に2軒目、しかも代官山なんて、めったに来ないから緊張しちゃう。

未来の思いとは裏腹に、亜希子は慣れた様子で奥のカウンター席に向かう。

― わあ、あの子、信じられないぐらい肌がきれい!あのヴィトンのバッグ持った男の人、あんなにキャップを目深にかぶって、芸能人?あっちのグループは会社帰りっぽいな。

思い思いの夜を楽しむ人たちを見ながら、未来は亜希子の後について行った。

「さあ、未来ちゃん、何を飲む?」

「えーっと…」

未来の歯切れの悪い答えに、亜希子がはっとした様子で言った。

「あ、もしかして、こういうところは彼氏と来たかった?」

「いえ、これは私のウィッシュリストですから!それに、彼は勉強があるので来ないと思います」

― 今までの私は「悠斗が楽しいことを我慢して勉強しているんだから」って、自分まで我慢してた…。

一緒に我慢することで、勝手に悠斗を応援している気になっていたのではないかと未来は思う。

目の前には、ずらりと並ぶタップ。未来が迷っていると、カウンター越しに店員さんが声をかけてくれた。




「テイスティングしてみます?」

「お願いします!」

小さなグラスに何種類かのビールをサーブしてもらうと、亜希子と一緒に飲み比べをする。

「これ、すごくおいしい!」

未来は琥珀色のビールを一口飲んで、思わず声を上げた。

口に含んだ時に鼻に抜けるホップの香りと、フルーティーな後味は、実家に買いだめしてある缶ビールとは全然違う。

「早速お気に入りが見つかった?じゃあ、これパイントで2つください」

亜希子は大きなグラスをカウンター越しに受け取ると、目の高さに掲げた。

「では、改めて、未来ちゃんのウィッシュリストに乾杯!」

「ありがとうございます!亜希子さんのウィッシュリスト達成にも乾杯!」

未来もグラスを合わせると、パイントグラスをグイっとあおった。

「ああ、幸せ!」

未来が思わずため息をもらすと、隣に女性2人組が座った。そのうちの1人が、話しかけてくる。




「そのビール、どんな味ですか?」

「これ?フルーティーな口当たりで、すごくおいしいですよ」

酔いも手伝って、未来は思わずにこやかに答える。

「じゃあ、うちらもそれで」

2人組がビールを受け取ると、何となく4人で乾杯する。

「さっき、お2人は何に乾杯していたんですか?」

亜希子と未来は、思わず顔を見合わせて笑った。

「ウィッシュリストです!」

未来と亜希子が同時に答えると、2人組が身を乗り出してくる。

「なにそれ、楽しそう!うちらはプロジェクトの打ち上げの帰りなんですよ。2人とも頑張ったから、一緒にシニアソ…シニアアソシエイトになれたら良いねって話してるんです」

流れで何となくお互い自己紹介をすると、2人組は外資系コンサルに勤める同世代だと知り、未来は嬉しくなる。

― 早速ウィッシュ1つ目を達成できたし、新しい友達までできちゃった!

未来にとって初めてとなる代官山での夜は、にぎやかに更けていった。

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次に未来が取り組むのはどのウィッシュ?協力するのは意外な人物で…