浴室にもスマホを持って行く夫…。LINEを見た34歳妻が、探偵に“ある調査”を依頼したワケ
◆これまでのあらすじ◆
夫から一方的に離婚届を送りつけられた楓は、どうしたらよいのかわからないまま法律事務所に相談に出向いた。
弁護士費用を聞いて愕然とするものの、幼稚園のママ友・晴子には、高値でも弁護士をつけることを強く進められる。
「夫の口座も資産も、何も知らない」と途方に暮れる楓に、晴子は、参考になるかもしれないと、今現在離婚調停中の知人・純香を紹介してくれる。
▶前回:北参道のタワマンに住む34歳主婦。結婚5年、突然の離婚危機で直面した金銭問題とは
Vol.3 夫の本性を暴きたい
中目黒のカフェで“離婚問題の先輩”である純香の話を聴きながら、楓は自分の無知さに落ち込みきっていた。
― 私、夫の資産状況も、どこに口座を持っているのかさえも、何も知らない…。
「離婚」という言葉が、楓のなかでだんだんと現実味を帯びてくる。
それなのに、その方法も、財産分与の仕組みも、自分が何をすべきなのかすらも、何もかもがわからないのだった。
暗い表情を浮かべる楓に、純香が力強く声をかける。
「楓さん、諦めるのはまだ早いわ。できることは、まだたくさんあると思う」
純香の言葉には、圧倒されるような強さがあった。すでに離婚調停の最中に身を置いている純香は、さすがに肝が据わっている。
「例えば?どんな?」
楓が恐る恐る聞くと、純香は神妙な面持ちで言った。
「あのスティーブ・ジョブズだって言ってたのよ。『危機に直面すると、物事がよく見えてくる』ってね。
楓さんは、離婚という危機に直面したことで、ご主人の本質を知る機会を得たとも考えられると思うの」
「主人の本質…」
もっともらしく語る純香に、楓はまたしても妙に納得してしまう。
「現状、ご主人の口座がわからなくても、調べられることは他にもある。
例えば、今楓さんが住んでいる北参道の自宅マンションは、どの程度のローンを組んでいるのか?法人名義なのか、それとも個人名義なのか?意外と簡単に調べられるのよ。
楓さん。ご主人からローンの具体的な話は聞いたことある?」
純香に聞かれ、楓は思い返した。
「そういえば、ローンは組むとは言ってたけど、それが月にいくらとかそういう具体的な話は聞いたことがなかったかも…」
育児と家事以外は、すべて夫が決め、楓はなんら関与してこなかった。というより、関与を求められたことがなかったのだ。
「でも、なぜローンの情報が必要なの?それって主人の本質とどう関係があるの?」
全くわからない楓は、素直に純香に尋ねた。すると純香は、困ったような微笑みを浮かべながら答える。
「やだわ、楓さんったら。今まで本当に幸せに暮らしてきたのね」
取りようによっては皮肉にも聞こえるが、楓のことを持ち上げているのかもしれない。優しく手解きをするような口調で、純香はぐいと楓の方に体を近づける。
「ある意味、羨ましいわ。でもね…」
「そもそも、夫婦なのにお金のことを全く知らないのは、不健全よ。私は、資産状況はその人の人となりを表す大切な指標だと思うわ。
それにね、ご主人が仮にローンなしで、しかも個人名義だってことがわかったら…離婚時にマンションの売却益の半分くらいはもらえるじゃない?」
純香の現実的な言葉に、楓は思わずうなずく。
まだ別れると決めてはいないものの、本当に離婚になったら…。そういったお金周りのことは、避けて通れないのだろう。
じわじわと現実を噛み締め始めた楓を前に、純香は手を緩めない。黙り込む楓に対して、さらに残酷な現実を突きつける。
「それと、この際だからご主人の身辺を一切合切洗ってみたらどうかな?」
純香いわく、いきなり出て行って理由の説明もないなんて、どう考えてもおかしい。女性の存在を疑うべきだというのだ。
「まず、ご主人にLINEや電話で直接理由を聞いてみたら?楓さんはもっとご主人を疑うべきよ」
「はぁ…。やっぱりそうよね。わかってる、わかってるんだけど…」
純香を紹介してくれた晴子も、黙ってうなずいている様子を見ると、同意見ということなのだろう。
思わず大きなため息をついた楓だったが、それと同時に、頼りになる2人に心強さも感じる。
「でも、洗うってどうやって?探偵雇うとか、そういうこと?」
楓が聞くと、2人は顔を見合わせてうなずくのだった。
◆
晴子たちと会ってから1週間も経たずに、楓は探偵事務所を訪れていた。自分にこんな思い切ったことができるとは驚きだ。
踏み切ったのには理由があった。
実は数日前、夫・光朗に直接連絡をとったのだ。
最初、電話をかけたが出る様子がなかったので、連絡の手段はLINEだ。先日弁護士に言われたように「離婚したくない」と単刀直入に伝えた。
娘はまだ小さく、父親の存在が必要なこと。また、楓自身、離婚など考えたこともなく、突然の離婚届に戸惑っていること。
そのほかにもつらつらと想いを連ね、送信ボタンを押した。
もちろん、こんなメッセージで離婚を思いとどまるはずはないとわかっている。むしろこうして追うほどに、ますます避けられてしまうかもしれない。
しかしそれを承知で楓は、自分に改善できる点があれば言ってほしい、とへりくだった。
送ったLINEは、数時間のあいだ既読にならなかった。だが、楓が諦めかけていた時に、短いメッセージが届いた。
『理由か…』
この一文から、もう夫の意思は決まっているのだと察した。
そして少し間をおいてさらにメッセージが届いた時、楓はスマホの画面を凝視したまま、動くことができなかった。
『理由なんてひとつだけじゃない。
前からなんとなく居心地が悪さを感じていたし、いつの間にか女性として見れなくなっていたんだ』
想定外の理由に楓は心が抉られるようだった。だが、それ以上に気になったことがある。
ー 光朗さんって、こんな人だった…?
夫を知りたい。
そんな気持ちが次第に熱を帯び、とにかく行動しなくては!という衝動となって楓の背中を押した。
すぐさまネットでいくつかの探偵事務所を探し…そして今、こうして探偵事務所のソファに座っている。
個人経営ということもあり、事務所はこぢんまりとた渋谷の雑居ビルだ。けれど、比較的良心的な費用であることが。楓の気持ちを安心させていた。
少しの待ち時間の後、楓の目の前に座ったのは、いかにも女性にモテそうなイケおじといった風貌の探偵だった。
40代半ばだろうか。仕立てのよいスーツに身を包み、綺麗に整えられた顎髭、ウェリントン型のメガネをかけている。
「浮気を疑うなら、時間や日数で調査料金が大幅に変わってくるので、闇雲に何日も調査する事はお勧めしませんね。
お持ちの情報を全部曝け出してもらえれば、この日に調査はどうか?といった提案もできますし、料金負担は軽くなります。よっぽどの証拠が出ないと、調停には使えないんですよね」
「よっぽどって、例えば…?」
これまでの調査実績などを饒舌に語る探偵に、楓はおずおずと聞き返す。探偵のいう「よっぽど」がどの程度なのか、知っておきたかった。
「そうですねぇ。不貞行為だったら、ホテルに入るところと出てくるところの2場面の写真。それから、SNSのやりとりとか、音声データなんかもあるといいですよ」
探偵はそのほかにも、週刊誌さながらの具体的な調査方法を怒涛の勢いで解説し出す。
これまでの生活とは全く違う刺激的な内容にくらくらとし始めた楓は、どうにか正気を保ちながら、調査費用について尋ねた。
「張り込む人数は基本2人、出入り口が数箇所ある場所だったら、増員が必要だし。そうですね、ざっくりですが1日あたり15〜30万くらいはかかっちゃいますね」
「やっぱり、そのくらいかかるんですね…」
想定していたとはいえ、調査費用は高額だ。思わず肩を落とすが、そんな楓の様子を意にも介さない様子で、探偵は言葉を続けた。
「ちなみにですが、調査をご依頼いただけるなら、ご主人の様子をよく思い出して、気になることを書き出してみてください。
いつもどんな時間にどんな場所から電話があったか。休日はスマホをいじっていたかどうか。普段、目にしたことがない小物や服を身につけていなかったかなど…。ちょっとしたことです」
楓は少し考えてから、思いついたことを口に出してみた。
「そういえば、数ヶ月前、娘のお稽古で車に乗ったとき、いつもなら後部座席につけっぱなしのチャイルドシートが、後ろのトランクにしまわれたことがあった…とか?」
「そうそう!そういうのです」
探偵に乗せられると、不思議と次から次へと気になっていたことが思い出された。
「仕事の電話があるかも、と電話を洗面所まで持って行ってました。お風呂に入ってたら、電話なんて取れないのに」
こんな小さなことを積み重ねた結果で、浮気を決めつけていいのか?と思うが、なぜかどんどん頭に浮かんでくる。
その場で理由を聞いた事柄もあった。だが、ほとんどの場合、夫は曖昧にはぐらかしていた。
「ぜったいに…黒だ」
楓の中で、小さなもやもやが確信に変わった。
― だったら私…少しでも有利な条件で、幸せになれる離婚がしたい!
◆
週末がやってきた。
落ち込むことばかりの1週間だったが、考えたり、調べたりすることは山のようにあった。
純香と晴子のアドバイスに従って、法務局に出向いたりもした。ローンの有無は、法務局で登記簿を取れば誰にでも調べられるものなのだという。
思いのほかあっさりと取れた登記簿を見ると、今住んでいる物件の所有者は光朗で、ローンはない物件であることがわかった。
もし本当に離婚になったとしても、「ローンがなければ、離婚後にマンションを売ったときの売却益の半分程度をそのまま財産分与でもらえるはず」と純香が言っていた。
とりあえず、残ったローンで資産が相殺されてしまうという心配はなさそうだ。その事実だけで、楓の気持ちが幾分か軽くなったのは間違いない。
ここ最近の娘の花奈の様子が、パパがいなくなったことに慣れ始めているように見えるのも救いだった。しかし、小さい子どもの心は、親が思う以上に傷ついているかもしれない。
そんななかでの妹・麻美の訪問は、楓にとっても花奈にとっても嬉しいものだった。
「花奈ちゃん、今日はたくさん遊ぼうね!」
大喜びの花奈は、早速隣の部屋におもちゃをとりに向かう。その隙に、楓は光朗が家を出たことを打ち明けた。
「えー、やっぱそうなんだ。なんか最近様子がおかしいって思ってたんだよね」
「なんで気づいたの??」
楓が聞くと、麻美はいくつかの理由をあげた。
「やっぱ一番は、お姉ちゃんのテンションの低さ。あとは、以前は家はきちんと片付いていたのに、最近雑多な感じがして。いや、別に十分きれいなんだけどさ」
「そっか。バレちゃってたんだ。実は、先日光朗さんに、離婚はしたくないって伝えたんだよね。
そしたら、なんて言ったと思う?」
麻美は少し考えてから、遠慮がちに言った。
「他に好きな人がいる」
「ううん、全然違う」
楓は、光朗の返信の内容を打ち明けた。すると麻美は、すぐさま怒りを露わにする。
「信じられない。自分の子どもを産んでくれた妻に向かって、そんなこと言うなんて!」
「私、女として見れないほど、見た目は変わってないと思うんだけどなぁ…」
楓が呟くように言うと、麻美も同意した。
「出産も子育ても大変なのに、その上、異性として魅力的であることを求められるなんて…。私、ますます結婚への夢がなくなっちゃうな」
◆
翌朝。
花奈を幼稚園に送ると、晴子が門の前で楓たちが登園するのを待っていた。
「今日、これから仕事なんだけど、楓さんがどうなったか気になっちゃって」
「ごめーん!LINEしようと思ってたの。実は、いろいろあってね」
楓は、先生に花奈を預け、「楽しんでね」と手を振った。
「あそこには行ったの?」
晴子に聞かれ、楓は周りを気にしながら答えた。
「行ったよ。探偵さんからいろいろお話を伺っているうちに、うちの夫は浮気してるんだろうな、って確信したわ」
「そっか。それは残念だけど…。また近々じっくり話聞きたいな」
そう言うと、晴子は足早に立ち去って行った。彼女の後ろ姿を見送りつつ、楓も家に戻る。
こんな時でさえ楓の頭の中は、夫が出て行った理由や、これから先の不安でいっぱいだった。
マンションに着くと、ため息交じりにポストを開け、郵便物を取り出す。また夫からの郵便物がないか、ドキドキしながら。
しかし、楓を不安にさせるような封書は何も紛れていなかった。
密かに胸を撫で下ろし、エレベーターで居住階まで上がり、ドアに鍵をタッチする。
「あれ?私、開けっぱなしで出かけてた?」
鍵がかかっていなかったことを不審に思い、楓は不安げにドアを開いた。
玄関には、見慣れた革靴が一足ある。
条件反射的に、楓は履いていたフラットシューズを脱ぎ捨て、リビングに急いだ。すると…。
そこには、楓の突然の帰宅に、動きを止め佇む人物がいた。
「光朗さん…」
久しぶりに見る夫の姿に、楓は言葉を失った。
▶前回:北参道のタワマンに住む34歳主婦。結婚5年、突然の離婚危機で直面した金銭問題とは
▶1話目はこちら:結婚5年。ある日突然、夫が突然家を出たワケ
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夫が語る。どうしても離婚したかった本当の理由とは?