「まさか、こんなヤバい人だったの…?」やっと付き合い始めた彼に、女が戦慄した理由
『20代のうちに結婚したほうがいい』
一昔前の価値観と言われようとも、そう考える女性も少なくはない。
そんな焦りにとりつかれ、30歳目前でスピード婚をした広告デザイナー・穂波。
しかし穂波は、すぐに後悔することになる。
「なんで私、焦ってプロポーズをうけてしまったんだろう」
私にふさわしい男は、この人じゃなかった――。
◆これまでのあらすじ
一樹に離婚を突きつけ、颯斗と結婚を見据えて付き合い始めた穂波。順調な暮らしをしている中、佐奈から電話がかかってくる。颯斗はそれを知ると「俺と別れた理由を、聞いた?」と言って勝手にLINEをブロックし―。
「え、なんで佐奈のことブロックするの?」
穂波は、意味深な行動をとる颯斗に、固まる。
颯斗は何も答えず、穂波のスマホを握りしめたまま、LINEトークをじっくり確認しはじめた。
「これ、誰?旦那?」
「うん。旦那」
「ブロックして消していい?」
「え?無理よ。離婚関連の話がまだ残ってる」
「そっか、仕方ないね。じゃ、これは?」
「それは、美容師さん」
「男の美容師?女の人に変えて。穂波、かわいいから不安」
こんな調子で颯斗は、目についた男性の連絡先を一方的に消していった。
「これからは、LINEの返事は1時間以内にはしてね。それから、お互いの予定は、全部アプリで共有しよう。位置情報アプリも、入れよう」
「…ちょっと待ってよ」
「心配なんだ。設定するね」
颯斗は穂波のスマホをいじり、なにやら設定をする。すべてが完了するとスマホを返し、優しく穂波を抱き寄せた。
◆
翌日の土曜。
違和感だらけのまま、一樹の元へと向かう。麻布の家に一度帰って、離婚届を書き、荷物を整理するのだ。
「はい、これ。書いてね。僕はもう記入したから」
部屋に入るやいなや差し出された離婚届には、すでに一樹の名前が書かれていた。
ボールペンを手にとるものの、今になって、ためらう気持ちが押し寄せてくる。
「…待って、一樹」
「ん?」
「…離婚するの、考え直さない?」
“一樹と離婚して、颯斗と新しいスタートを切る”
あんなにも輝きを放っていたこのフレーズが、今、とんでもない選択ミスのように思えてくる。
颯斗がここまで束縛男だとは、考えてもみなかったのだ。
「迷ってるの」
ここで離婚届を書いてしまったら最後、人生が転落していくような気がした。
「一樹と別れて、あの人と一緒になったら、後悔するかも。…離婚届、書きたくない」
「あの人って?広告事務所の社長さん?」
「うん。本当にごめんなさい。自分勝手に浮気もしたけど、全部直すから。私、本当に反省してる」
一樹は、ゆっくりと手を差し出した。
「穂波…」
― 戻ってくれるの…?ああ、よかった。
一樹の手に触れようとしたそのとき、その大きな手のひらが、目の前に突き出された。
「断る」
「えっ」
「僕は今、穂波から解放されることが、うれしくて仕方ないんだ。この結婚の反省を生かして、早く幸せになるって決めたんだ」
メガネの位置を中指で整えながら、表情をピクリとも動かさずに言った。
「だから、悪いけど、無理」
「待ってよ、お願い。颯斗のことは、もう忘れる。ほんとよ」
一樹はふっと笑った。今まで見た中で、一番冷たい笑顔だ。
「さっさと離婚届書いて」
「でも」
「穂波、わかって。言いたくなかったけど…もう僕は、穂波を愛してないんだ。まるで愛してない」
敗北感が、全身から吹き出る。みじめさで息ができなくなりそうな中、指先だけをなんとか動かして、離婚届を記入した。
「よし、ありがとう。証人はうちの親にするね。じゃあ、出してくるわ」
一樹は、おもむろに立ち上がった。
「実は役所近くのカフェに、両親を呼んでるんだ。証人欄を埋めてもらって、このまま今日提出する。
その間に、穂波は荷物の整理をしておいて。うちの両親に、別に会いたくないでしょう?」
一樹は淡々と説明して、黄色い付箋とマーカーを手渡してきた。
「この付箋を家具に貼って、送るものと処分するものを仕分けて。作業は業者に投げるから、わかりやすくね」
穂波は、玄関で一樹を見送り、とぼとぼと部屋に入る。
付き合うときにもらったティファニーのネックレスが、棚の上に飾ってある。その横には、一樹が畳んでくれた洗濯物が、積んである。
「一樹…」
今になって、一樹のやさしさばかりが目に留まって、苦しい。
― 自分が間違っていた。やっぱり一樹と元に戻りたい。
「行かなきゃ…!」
急いで家を出て、一樹に電話をかけながら、エレベーターに乗り込む。応答はない。
― タクシーで役所に向かおう。絶対に、離婚届の提出を阻止しないと。
マンションの広いロビーを駆け抜け、通り沿いに出てタクシーを探す。遠くから「空車」の赤いランプを点灯させているタクシーが、ちょうどやってきた。
― よかった!
反射的に手を上げた、そのとき―。誰かが手首をつかんで、腕を無理やり下ろさせた。
「どこに行くの?」
突然のことに全身を硬直させて振り返ると、颯斗が引きつった笑顔を浮かべている。
「さっきここで、おんなじようにタクシーに乗っていったメガネの男がいたけど、もしかして、あれが旦那さん?何?追いかけるの?もしかして、旦那さんに未練があるの?」
目を合わせるのが怖かった。穂波は、地面を見つめたまま、冷たい声で言う。
「…なんでここにいるの」
「心配だったからだよ。離婚話ってもめるっていうじゃん?なんかあったら、俺が穂波をすぐ助けようと思って」
「大丈夫だから」
大きな声が出る。通行人がチラリとこちらを見たのがわかった。
「ほっといて。私、行かなきゃいけないところがあるの」
「なら、俺も一緒にいく」
「1人で行くわ」
颯斗はキレイな笑顔で、穂波の手首をつかんでいる手に、力をいれた。
「だめだよ。いつも一緒にいようよ。愛してるよ、穂波」
颯斗はニヤリとしながら続けた。
「離したくない」
「いや!」
穂波は颯斗の手を振りほどき、一目散に逃げる。なにも考えられなかった。ちらりと振り返ると、颯斗は呆然と立ち尽くしていた。
空車のタクシーが通るのを待ちながら、数分走り続けた。しかし気づけばあたりは見知らぬ住宅地で、もはやタクシーなど1台も走っていない。
もう一度、一樹に電話をする。しかし、出てくれなかった。
― なんなのよ。お願いだから出てよ!
イライラした穂波は、代わりに、佐奈に電話をかけることにする。
「もしもし?」
「さ、佐奈?ちょっと、颯斗ってやばくない?すっごい束縛してくるんだけど」
「ああ、やっぱり」
佐奈の落ち着いた声が、疎ましかった。
「穂波、私、言おうとしたのよ。何度も電話したり、会いに行ったりしたよ?なのに、穂波は聞く耳を持ってなかった」
寒い風が身にささる。コートとマフラーを、一樹の部屋に置いてきたまま飛び出してきてしまったことに今さら気づく。
「彼、付き合うとすごく依存してくるの。怖いよね」
「え、なんでそれ最初に教えてくれないの!?最初からやめとけって言ってくれないの?」
「それは…颯斗が穂波とくっつけば、私は解放されるかなと思ったから。案の定、おかげで私は別れられた」
「最低ね!」
怒鳴るような声になった。
「ごめんね…穂波。でも、やっぱり我に返って、穂波に教えなきゃって思ったのよ。なのに、追い返されたり、ひどいこと言われたりして、なんかもういいやって思っちゃった」
「…一生許さないから」
すると、電話の奥から可憐な笑い声が聞こえた。
「いいと思う」
「は?」
「穂波と颯斗、お似合いだなと思って。2人とも、身勝手で、自分のためだけに生きてる。穂波にとって、颯斗はまさに“ふさわしい”相手だね」
風が、首にまとわりつく。凍えながら、電話を切った。
小さな公園が目の前にある。全身から力が抜け、近くのベンチに座り込んだ。
「ふう…」
遊具で、親子が平和に遊んでいた。一樹によく似たメガネ姿の男性が、すべり台の横に立って、小さな娘の手を握っている。
その穏やかな笑顔に、穂波は改めて、失ったものの大きさに気づかされる。
― もっと一樹に寄り添えばよかった。颯斗に夢中になったのは、絶対に、間違いだった。
穂波は座りながら、うなだれる。
膝小僧を見つめ、5分ほどそのまま、後悔にさいなまれて呆然としていた。
しかし体が冷え切ってきて、顔を上げる。
「寒い…もう帰ろ」
とにかく実家に帰ろう、と思った。離婚届はもう出されてしまったかもしれない。一樹との関係はもう修復不能だろう。でも、とにかく颯斗のいないところに帰ろう。そう決意して立ち上がる。
すると、背後から、あの声がした。
「みーつけた」
「…え」
「ねえ、愛してるよ?さ、一緒に帰ろう」
いやに優しい手つきで、颯斗は、自分のマフラーを穂波に巻きつける。
そのマフラーに、凍える体を温めてくれる効果などない。
身の毛がよだった。
Fin.
▶前回:略奪愛を実らせ、同棲をはじめた1週間後。彼の元カノが“ある物”を持って訪ねて来て…
▶1話目はこちら:スピード婚は後悔のはじまり…?30までの結婚を焦った女が落ちた罠