アイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとして芸能界デビューし、元祖・崖っぷちアイドルのキャラクターで親しまれている熊切あさ美さん。 初のフォトエッセイ『元祖崖っぷちアイドルの熊切あさ美が、全肯定BODYを手に入れた理由』では、幼少期のいじめ体験、チェキッ娘時代の葛藤など、対人関係で波瀾万丈な半生を赤裸々に明かし、話題になりました。苦境を乗り越えてきた強さの秘密を伺います。 

【写真】「当時から美女の片鱗が」かわいさ半端ない幼少期の熊切さん(7枚目/全8枚)

「いじめの経験を拭いたい」が芸能界入りの原点

── 1998年に、チェキッ娘のメンバーとして本格的なデビューを果たした熊切さん。芸能界を目指してオーディションを受け続け、48回目にしてようやく手にした合格だったそうですね。夢のために執念ともいえる挑戦を続けられたのは、どんな思いからだったのでしょうか。

熊切さん:チェキッ娘は「平成のおニャン子クラブ」として生まれた、1年限定の「アイドル育成プロジェクト」。じつは私は俳優になりたくてオーディションを受け続けていたのですが全然、合格できませんでした。48回目にして合格できたのが、アイドルオーディションのチェキッ娘だったんです。

芸能界を目指したきっかけは「いつか芸能界に入って、いじめた子を見返してやりたい!」という思いからでした。転勤族の家庭だったので、小学校が3回も変わって、転校先でいじめにあってきました。引っ込み思案で体型もガリガリにやせていて、いつもおどおどしていたから、いじめの標的になったんだと思います。コソコソと何か言われたり、仲間に入れてもらえず、あからさまに避けられたり、孤独な時間を過ごす日が多かったです。

今思えば、親に言えばよかったのですが、心配させたくない思いがありましたし、「どうせまたすぐに引っ越しするからそれまでの我慢」と、自分に言い聞かせていました。習い事をしていたので、(学校だけではない)逃げ場を確保できていたこともよかったと思います。そして、そのとき抱いた「いつか輝きたい」という反骨精神が、「なんとしても芸能界へ入る!」という夢へとつながりました。

いじめられたことって大人になっても忘れないんですよ。芸能人になって、当時いじめてきた子から連絡が来たり、久しぶりの再会で話しかけられたりすることもありましたが、逆にそういう子に優しくして、いじめたことを後悔させようと思いました(笑)。

「みんなライバル」芸能界で決めたマイルール

── 自分の手で合格を勝ち取り、見事に芸能界入りを果たしたわけですが、チェキッ娘時代もまた、さまざまな試練が待っていたそうですね。

熊切さん:チェキッ娘になったとたん、毎日、帯でレギュラー出演して、歌番組にも出られるようになりました。CDも出して、雑誌にも載せてもらい、すごく楽しい夢のような日々でした。だから「これからは芸能界の華々しい将来が待っている」と思い込んでいて。でもそれは勘違いで、「この世界は甘くない」ことに徐々に気づいていきます。それらはチェキッ娘という組織にいるからできることであり個人の力ではありません。1年のプロジェクトですから、終わってしまったあとのことを考え出してからは、毎日が不安でした。

活動中はみんながライバルであり、つねに比べられる環境。立ち位置は競争ですし、コーナーを持てるかどうかも変わります。親しくしていても、ライバルだからすべてを信用しちゃいけないんだということも学びました。

グループでの活動で何かに選ばれるとき、何が評価されたのか理由がわからないし、理不尽なこともあります。正しいことがわからないから、がんばり方もわからなくて、模索する日々で。それに、私はフロントメンバーではなかったので、つねに余裕もなくて、「ここでがんばらなくてはいけない」と奮起したことが、結果的にはグループ終了後も芸能界に残れた理由かもしれません。

2026年夏期に放映されたドラマ『サバ缶、宇宙へ行く』に出演するなど、俳優としても活躍

── 熊切さんが芸能界に残るための処世術として「同世代の芸能人と仲良くしない」ということを心がけられたそうですね。

熊切さん:同世代の芸能界のお友だちができたのは、本当にここ10年ぐらいのことです。アイドル時代はみんながライバルに思えて、同世代の芸能人の友だちは作らないようにしていました。仲良くすることによって、焦ってしまう自分がいたんです。私はオフだけど、あの子は今日仕事なんだとか。年中、人のことを気にしている自分がイヤになりました。

その判断はあっていたなと思います。たとえば、もし同世代の芸能人と付き合っていたら、きっと自分の身の丈に合わない見栄を張り続けて、派手な世界でウソの自分を演じ続けていただろうなと。そして、どこかでボロが出たり、踏み外してしまったりしていただろうなとも思います。

当時は芸能界の方でも年代が違う方とは積極的に交流させていただき、かわいがってもらいました。いろんな話を聞けて、それが今となっては財産になっているなと思います。

「崖っぷちアイドル」と命名した功罪

── 熊切さんと言えば「崖っぷちアイドル」のイメージを持つ方も多いと思いますが、ご自身で名乗ったのが始まりだったそうですね?

熊切さん:テレビ番組で明石家さんまさんから「何をされている方ですか?」と聞かれてとっさに「崖っぷちアイドルです」と、答えたのが発端でした。タレントというほどテレビにも出ていないし、グラビアも卒業してやっていなかったので。それがきっかけで話題にもなって、お仕事をいただくようになりました。ただ、自分でそんな肩書きの看板を掲げたことへの苦悩もありました。

「崖っぷちアイドルだからなんでもやる」という立ち位置になってしまい、「予定していた方がこれをやりたくないとNGになったから、あさみちゃんならできるよね?」という代打のお仕事が増えました。たしかに、当時は本当に崖っぷちでしたから「これはチャンス。代打のほうがよかったと言われるようにがんばろう」とポジティブでした。でも、それが何年も重なってくると、1回きりだからがんばれたものも、2回目は体が拒否してできなくなってしまって。

わかりやすく言うと、バンジージャンプなどの恐怖感が大きい仕事が無理でした。1回目こそ「私は崖っぷちアイドルだから挑戦しないと!」と、勢いでいけたのですが、1度怖さを知ってしまっているから、2度目は体が拒否して…。精神論だけではやれなくなってしまったんです。「崖っぷちアイドル」という肩書が裏目に出て、正直、限界を感じるようになりました。自身がかけた看板なのに、言った通りにできてないなって。私が夢見た芸能界のお仕事とは違う、と複雑な気持ちにもなりましたね(笑)。

キャバクラ修行がバレて「1か月で退職」

── 崖っぷちアイドルとして呼ばれるお仕事が、ご自身を苦しめてしまった。そのイメージ脱却に向けて、そこからどのように舵を切って行ったのですか?

熊切さん:仕事を選べればよかったのかもしれませんが、仕事がなくてスケジュールが埋まっていないことがすごく怖くて、そんな立場ではありませんでした。とはいえ、自分の強みもなく、何かスキルアップしないといけない気持ちだけはありました。

私は高校生から芸能の仕事をしていて、社会を知らずにこの世界に入ってきてしまったので、ちょっと社会を見てみたいと思い、キャバクラで働こうと思い立ちました。芸能界でのトーク力や空気を読む力のスキルアップにつながるのでは、と思ったのです。

東京から新幹線で1時間ほどの地方のキャバクラで友だちと一緒に住み込みで働くことに。事務所にも内緒にしていました。お店で「熊切あさ美に似ているね」と、バレそうになることもありましたが、「妹です」とごまかして乗り切りました(笑)。

トーク力がついたかというと、何とも言えませんが、その期間は正直すごく楽しくて。というのも、それまで夜遊びをしたことがほとんどなかったので、その年齢にして友だちと飲み明かして、早朝のカラスを初めて見る経験もして、人間力をつけるという意味ではすごくいい修行となりました。結局、事務所に見つかり1か月で強制的に終わったんですが。

そうした経験を経て、「仕事の量が減ってもいいから、やりたいことにまっすぐに向き合おう」と思って。それまでの事務所を辞め、勇気を出して新たに進み始めました。

「自分に正直に生きること」が自分を救ってくれた

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── 仕事を失う恐怖があっても、結果的には自分に正直に前進なさったことが熊切さんが理想としていたご自身への近道になったのではないでしょうか。

熊切さん:そうですね。自分を信じることって難しいですが、それが出来たら新しい世界が見えてきますし、信じてあげられた自分のことを愛せるようになります。芸能界で壊れずに踏みとどまれたのは「偽りのない、自分」という自信です。自分を偽ると、自分がみじめになるだけ。正直に生きて、それでお仕事をやらせてもらえなければ、それはしかたないと受け入れられるというか。「自分に正直に生きる」ということが、何よりも自分を救ったように思います。

取材・文:CHANTO WEB編集部 写真:矢島泰輔 熊切あさ美