◆これまでのあらすじ

別居中の夫が置いて行ったアタッシュケースには、相当な金額分のゴールドが隠されていた。一瞬「財産分与の金額が増えた」と喜ぶが、夫のあまりの秘密の多さに不安をも覚える。
そんなとき、大学時代の友人の結婚式で元カレ賢司と遭遇。変わらない香水の香りに、当時の思い出が蘇った楓は…。

▶前回:夫が妻に内緒で隠し持っていた、2,600万円相当の隠し財産。秘密を知った妻が取った行動




Vol.11 夫婦それぞれの主張


学生時代の元彼と友達の結婚式でバッタリ…なんてよくある話だ。

けれど、賢司がつけている当時と同じ香水のせいで、昔の感情や記憶が蘇ってしまう。

― 私、もう結婚してるんだから。

遠からず離婚するという事実を無視して、楓はそう自分を抑えつけた。

こういう場合、だいたいどちらかが結婚していたり、学生の時からは思いもよらぬ風貌になっていたりする。そして、ドキリともせず、かつての思い出を封印するのだろう。

でも…目の前の賢司は、いい歳の取り方をしている。むしろ学生時代よりも素敵だった。

つい、楽しかった記憶ばかりが蘇る。

― いけない。昔よりかっこいいとか思っちゃうなんて。

披露宴会場では、みな同じように歳をとったかつての同級生たちが、近況を報告し合っている。

一瞬であの頃にタイムスリップしたような感覚を覚える。だが、そんな気持ちを振り切り、楓は言った。

「今日は娘を妹に預けてきたの。楽しまなくちゃ。ところで賢司、子どもは?」

いきなり結婚しているの?と聞くよりも、結婚している前提で話をするのがこの場では適しているような気がした。

「子どもはいないんだ。子どものいない夫婦だから、お互い自由にやってるよ」

「羨ましいな…。あ、私の席、あっちみたい」

賢司の答えにがっかりし、楓がその場を立ち去ろうとした時。

「楓、二次会行くよな?」

賢司に呼び止められた。

「そうね、妹が娘にてこずってなければ行くと思う」

明るく答えるが、内心その言葉の意味を考えてしまう。

― 行くよな?って聞くってことは、来てほしいってことかな…。


翌日の月曜日。

花奈を幼稚園に送り届けた楓は、その足で真壁の事務所を訪れた。

「先生、朝早くにすいません。調停用に私たち夫婦の4年くらいのやりとりをまとめてみたので、見ていただきたくって」

そう言って楓は、数十枚のプリントが入ったクリアファイルを真壁に手渡す。

中に入っているプリントは、楓たち夫婦のLINEのやりとりや写真。インスタの投稿のスクショなどを、時系列順に表にしたものだ。

夫とは今年になるまで別居をしておらず、同居だった。その事実を調停委員に説明するには、プライベートを晒す以外方法はない。

「あら、すごい。よくこんなに集めましたね。

ほらここ!『今日は遅くなるから先に寝てて』ってありますね」




「はい。あと、次のページには、自宅に夫の従兄弟が遊びに来た時の写真もあります」

楓がめくったページを、真壁はにこにこと眺めている。

「さすがに別居してたら従兄弟は遊びに来ないわよね。調停員もそう思うはずよ」

このほか、証券口座の有価証券を公開するよう要求し、また自宅で見つけたゴールドも分与の対象になると主張しよう、と真壁は言った。

「いろいろ大変だったでしょう?頑張りましたね!」

真壁からお墨付きをもらい、楓はほっと胸を撫で下ろす。

― 昨日、二次会に行かなくてよかった!

真壁に渡した資料は、作成するのに夜中までかかった力作だ。スマホの過去の写真やトークを遡り、麻美に手伝ってもらって一覧にした。

賢司に誘われた二次会へは、結局参加しなかった。それもこれも、この資料を作成するためだ。

二次会にはできれば行きたかった。しかし、披露宴の最中にふと思いついたのだ。

披露宴会場で流されていた、新郎新婦のスライド。

赤ちゃんの頃のふたり。小学校の運動会。大学時代のイベントや合宿…。新郎新婦が生まれてから今に至るまでを時系列にまとめたスライドは、ふたりが両親に愛情豊かに育てられたことが伝わるストーリー仕立てになっていて、招待客の感動を誘っていた。




― あ!調停で夫婦の年表のようなものを作って、資料として提出したらどうかな。

楓が閃いたのは、エクセルで時系列順に、まるで夫婦の年表のように小さな出来事を羅列した表だ。

― 旅行や誕生日、季節折々の行事の際の写真や、夫婦の他愛もないLINEのやりとりとかも入れよう。

次から次へとアイデアが浮かんだ。

「今日は遅くなるから先に寝てて。また花奈の寝顔しか見れないなあ」といったLINEも、以前は頻繁に来ていた。

それらも入れて、夫婦としてのコミュニケーションを感じられるような年表がいい。

八方塞がりだった状況に風穴が開いた。そう思うと、急にそわそわと落ち着かない気持ちになる。

披露宴が終わった時、楓はまっさきに賢司のもとに行き伝えた。

「賢司、ごめん。やっぱり二次会はやめておくわ。

実は私、夫と離婚調停中で…。明日弁護士の先生に提出する資料を作らなくちゃいけないの」

結婚式という華やかな場には、まったく相応しくない話。そうわかっていたから周囲を気にして小声で伝えたが、一通り自分の現状を打ち明けると、賢司は快活な声で言った。

「楓、大変だな。応援してるから頑張れよ!」

「ありがとう!私やるだけやってみるね」

賢司にそう背中を押され、楓は足早に会場を出て、一晩かけて資料作成に挑んだのだった。

「妻とは4年前から別居している」という光朗の主張は、真っ赤な嘘だ。

「小さな娘に会いたくて時々自宅に様子を見に行っているが、妻に会うのは精神的に苦痛で、最近はほとんど足が向かなかった」という主張もしているらしい。

その証拠として光朗が裁判所に提出しているのは、楓も全く知らなかった、4年前から借りている賃貸マンションの契約書のコピー。

調停では、楓と光朗は顔を合わせることはない。夫が嘘を並べ立てるのも、相手が目の前にいないから好き勝手に主張できるのかもしれない。

だがそんな光朗の主張に対し、「事実と違います」としか反論できないのがもどかしい。

賃貸マンションは会社名義ではなく、光朗の個人名義で借りられている。一見すると、あちらの主張通り。

一方の楓には反論の材料が何もないのがネックだったが、この資料が突破口になることを祈るばかりだ。





先日の真壁との作戦会議から、3週間が経った。

先日ファストファッションで買い求めたウールのスーツを纏い、楓は今日も家庭裁判所を訪れる。

初夏から始まった調停だが、今回ですでに5回目。

最初はあれほど緊張していた家裁だったが、この味気ない簡素な調停室にもすっかり慣れてしまった。

不安は依然としてあるが、調停委員という仲介者がいて、真壁という味方がいるのは、楓にとっては大きな安心だ。

しかし、今日目の前に座っているのは、初回から担当している年配の女性調停委員といつもとは違う男性調停委員だ。担当が変わったらしい。

すでに定年していてもおかしくない年代の男性調停委員に、楓は少しがっくりした。男性の肩を持ちそうな世代だと思ったからだ。

「なるほど、ご提出いただいた表を拝見すると、たしかにご主人は同居しているように感じますね」

女性の調停委員が言ったが、男性の調停委員はただ資料に目を落としていた。




だが、その後、彼から意外な意見を聞くことができた。

「どっちが嘘で、どっちが本当かという話ではないんですよ。きっとお2人とも、自分の言っていることが正しいと感じてらっしゃる。

ですが、小さなお嬢さんもいて、楓さんはこれから仕事も見つけなくてはならない。なかなか大変なことです」

同席していた真壁が言った。

「おっしゃる通りです。何度も申し上げているとおり、いきなり相手方が家を出てしまい、小さなお嬢様を抱え大変困っています。財産分与の基準日は、基本“別居時”であることは承知していますから、今年の2月が基準日だというなら、私共も納得します。

でも提出した資料では、夫婦の間には、協力して子どもを育てている関係があったことはわかりますし、また夫婦間のコミュニケーションもありますよね?別居したのは、4年前ではありません。

別居している夫婦が実際このようなやりとりをするでしょうか?」

男性調停委員は少し考えてから言った。

「そうですね、この資料を見た限りでは、普通の同居している夫婦に見えます」

調停委員の言葉に、俯いていた楓は顔を上げた。真壁も頷きながら同意する。

「ですよね?私もそう思いました」

すると女性調停委員が、別の資料をめくりながら口を挟んだ。

「ところで、今回光朗さんが保有している有価証券を公開するよう求めている件ですが」

待ってましたとでも言うように真壁は、先日楓が見つけた開示されていない財産について話し始めた。

「ご主人のPCの履歴から株を保有していることを知りましたし、また自宅にあったアタッシュケースからインゴッド、つまり金も見つけています。

こうしたことからも、相手方は開示している以上の資産を保有しているのはお分かりかと思います。

また今楓さん親子が住んでいるマンションを購入した時期などを考えると、楓さんに分与をしたくないばかりに、別居を主張していると言わざるを得ません」

真壁はズバリと言い切った。2人の調停委員は顔を見合わせた後、女性調停委員が言った。




「とりあえず、裁判官がどう思われるか聞いてみます。あと一回お呼び出ししますので、待合室でお待ちください」

真壁と楓は、調停室を出て待合室に向かう。

「今日って、夫は来ているんですか?」

楓が調停室の方を振り向きながら、真壁に尋ねた。

「今日はいらっしゃってるみたいですよ。でも安心して。終わりの時間は私たちの方が30分ほど後ですから」

今の光朗は、どんな様子なのだろう。どんな表情で4年前からの別居を主張し、どういう言い方で楓に対しての不満や嫌悪感を伝えたのだろう、と思う。

光朗も今、同じ建物(この家庭裁判所)の中にいる。その事実が、楓には信じられなかった。

待合室に戻ると、女性が1人長椅子に腰掛けて手帳にメモをとっていた。すぐに彼女は名前を呼ばれ、待合室を出ていく。

それを見て真壁が言った。

「日本は協議離婚をする方がほとんどですが、調停で離婚について話し合いをされる方でも、全員弁護士がついているわけではないんですよ。

今の彼女みたいに、自分で資料を作り、調停に挑まれる方も結構多いんです」

楓は、出て行った女性が調停室に入っていくのを目で追った。

「それはどうしてですか?」

弁護士というプロに頼まずに、自分で調停に挑む理由が楓にはわからなかった。

「それは、弁護士に頼むには費用がかかるからです。何千万も資産があるご家庭は、そう多くはありませんから」

「そうですよね。ゴールドだの株だのが出てきたので、つい、お金を取ることに必死になっていました。私…」

自分は恵まれているのだと、楓は改めて思った。だが、真壁にすべてお膳立てしてもらっているうちに、目標そのものが離婚ではなく、財産を勝ち取ることにすり替わっていた気がする。

しかし、今、披露宴からヒントを得た資料作りのおかげで、楓は冷静さを取り戻しつつあった。

夫が松島さくらと交際していたことは事実だが、楓と年表のような生活を送ってきたのも事実だ。

浮気だけにフォーカスすれば、ただ夫を憎む気持ちしか湧いてこない。

でも、自分にも至らない点があったのかもしれない。そう自分自身を振り返る気持ちも、今更ながら出てきたのだった。

「だけど…財産は要りません、なんて言う勇気は、私にはありません。これから娘を幸せにするのに必要だから。

ただ、何がなんでも、1円でも多くむしり取ったりして…。そのことで険悪な関係のまま離婚することになって、娘がパパと会いづらくなることだけは避けたいと思います」

待合室の簡素な長椅子に、真壁と横並びに腰掛けながら、楓はポツリと漏らす。

真壁の事務所に出向いた時には、決して出てこない本心だった。

― そうだ。私、離婚を、夫に復讐するための道具にはしたくない。前を向いて進むためのキッカケにしたい。

改めて自分の気持ちを確認した楓の胸に、強い気持ちが湧いてくる。

それは、光朗に離婚を迫られて以来はじめて抱く、あふれんばかりの勇気なのだった。




▶前回:夫が妻に内緒で隠し持っていた、2,600万円相当の隠し財産。秘密を知った妻が取った行動

▶1話目はこちら:結婚5年。ある日突然、夫が突然家を出たワケ

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次回、最終回! なぜ夫はあんな主張を?財産分与調停の結末は?