◆これまでのあらすじ
大手メーカー人事部で働く未来(25)は、交際4年半の彼氏・悠斗と結婚を約束。それを機に「結婚までにしたい10のこと」を集めたウィッシュリストを作成した。新しく海外採用に挑戦することになった未来。任された仕事を巡り、先輩たちが突然話しかけてきて…。

▶前回:25歳の彼にブランドの名刺入れをプレゼントしたら、微妙な反応で…。その理由とは?




Vol.5 ボストンで予想外の出会い


「私、何かしてしまったでしょうか?」

突然「ボストンに行ってほしい」と打診され、未来はとんちんかんな返事をしてしまう。

「違うんだ。学生向け説明員にアサインしてた彼が、急に盲腸になって、出張が難しい状況で…」

「ええっ!?」

思ってもみなかった事態に、大きな声を出してしまう。

「幸い、大事には至らなかったみたいなんだけど、急遽誰か行ける人を探していたんだよ。長田さん、この仕事頑張っていたし…どうかな?」

― なにそれ?急な展開過ぎて、頭が追いつかない。けど…挑戦はしてみたい。

未来は慌てて立ち上がった。

「行きます。…行きたいです!」

2人がほっとした顔をする。

「そうしたら、あさっての便でボストン入りして、着いたらその足で現地スタッフとのミーティングに参加してくれる?今日明日は、出張準備だけすればいいから」

「は、はい!」

― 出張準備って、何をすれば良いの?

出張どころか、ついこの間までオフィスレイアウトさえわからない、とオロオロしていた未来には、見当もつかない。

「すみません、出張準備って何をすれば…教えてください」

未来は、立ち去ろうとする先輩たちを呼び止めた。

― 「自分で考えて、調べてから聞きなさい」って言われるかもしれないけれど…。

「もちろん。まずは出張申請して、航空券とホテルはトラベル部門に依頼して…」
「僕、今から上司に直談判してきますね。秒で承認してもらえるように」

2人ともイヤな顔ひとつせず出張準備を手伝ってくれて、未来は拍子抜けする。

「ありがとうございます!忙しいのに、基本的なことを聞いてしまってすみません」

「いいんだよ。むしろ、長田さんが急な話を引き受けてくれて、どれだけ助かっているか…」

― 私、周りの役に立っているんだ。なら良かった。

先輩たちの言葉に、未来は胸が熱くなった。


先輩たちのサポートのおかげで、出張準備はほぼ整った。他の業務の調整を終えると、時刻は21時を回っている。

― パッキングはまだだけど、悠斗の顔をどうしてもひと目見ておきたい…。

未来は悠斗を誘い、代官山のクラフトビールの店に立ち寄った。

亜希子に連れてきてもらって以来、時折この店で仕事終わりの一杯を楽しんでいる。

カウンター席に座ると、未来は、悠斗と店員さんに報告する。

「私、しあさってからボストン出張になっちゃいました」

「へえ、ボストンですか?牡蠣が美味しいって聞きました」

店員さんが、牡蠣とよく合うと言ってギネスを勧めてくれた。クリーミーな泡が乗ったスタウトで乾杯すると、悠斗が改めて驚いた声をあげる。

「ボストンか。すごいな」

「そうなの!先輩の代打だけどね。でも、仕事も英会話も、頑張ってきて良かった。しかも、ビジネスクラスの飛行機で行けるんだよ。会社の規定で、現地入りしてそのまま仕事に行く場合は、睡眠時間確保のためにビジネスが使えるんだって」

― 本当は、自分のお金でビジネスクラスに乗ってみたかったけど、これでウィッシュリストの【ビジネスクラスの飛行機に乗る】が達成される。




「ビジネスか。やっぱり、大企業はいいな。俺なんて、先週はコンペの準備で徹夜続きだったのに、『残業手当が出せないから』って明日代休取らされるんだぜ。まあ、そのおかげで今日は時間を気にせず飲みに来られたんだけどね」

悠斗が笑いながら言う。

「未来、これは棚ぼた出張かもしれないけれど、引き受けたからには責任持ってやらないとな」

「う、うん」

― その通りなんだけど、なんかその言い方、もやっとする。

「いいなあ、未来は。ウィッシュリストだっけ?作ったら次々やりたいことが実現して」

― ウィッシュリストを作っただけじゃない。ちゃんと実現に向けて行動しているのに!

「俺も、いろいろ考えないとなあ」

悠人は、のんびりした口調で言う。

「今の設計事務所は、設計と関係ない雑用が多いんだよ。このままじゃ、一級建築士の勉強にはならなそうでさ。でも、先輩たちとみんなで徹夜した後の一体感とかがたまらないんだよなあ。だからまあ、今は事務所の仕事を楽しんで、しばらくしたら考えようかな…」

― あれ。半年前に「2年後までに一級建築士に合格する」って、宣言してたよね?それで、受かったら結婚しようって…。




そもそも悠斗は今の設計事務所に入ったとき、「所長の元で設計を学べる」と意気込んでいたはずだ。

― 今の環境じゃ設計の勉強ができないのに、変えようともしないなんて…。

「ねえ、悠斗。いつか所長みたいな素敵なデザインの家を作るっていう夢があるんだよね?」

言ってしまってから、未来はハッとする。

― このままこの話を続けたら、悠斗の地雷を踏んでしまう?

「まあ、いいや。私が出張から帰ってきたら、どこか素敵なお店でデートしない?」

慌てて未来は話題を変える。

「お、そうだな。未来、もうすぐ誕生日だもんな!俺、何か考えておくよ」

悠斗は、未来の発言は気にしていないようで、ほっとする。

「本当に?楽しみにしてるね。悠斗も忙しくて大変だと思うけど、お互いできることを頑張ろう」

未来はほろ苦いスタウトをこくん、と飲み下した。




14時間のフライトを経て、未来はボストンの空港に降り立った。

― ビジネスクラス、すごかったな。

「長田さま」と名前を呼んでくれるCAさんに、ふかふかのスリッパやブランケット。いたれりつくせりのサービスのおかげで、ハワイ旅行の時とは疲労感が格段に違う。

オフィスに向かうタクシーの中で、未来はノートを取り出し、ウィッシュリストの【ビジネスクラスの飛行機に乗る】にチェックをつけた。

― 次は、絶対に自分のお金でビジネスに乗る!早く昇給、つまり昇進しないと。だから今回の出張は絶対に成功させたい!

空港から直接オフィスへ出向き、ミーティングに参加する。

― わあ。英語、思ったより理解できる。英会話頑張ってきて良かった…。

会議に参加していた駐在員に声をかけられる。

「良い学生さんがいたら、繋ぎ留めておいてね」

「はい、人事として、できる限りのことはやりたいと思います」と、未来はしっかり頷いた。



ボストンキャリアフォーラム当日。

未来は説明員として、会社のブースに座った。

たくさんの学生で賑わう中、熱心に話を聞いてくれた学生がいれば、その場で次の選考ステップに進めるよう手配する。

「長田さん、そのスピード感、良いね。学生さんたちの反応も、今年はなんだか違うよ」

「みんな早く内定が欲しいんだと思います。元々日本の学生向けに新卒採用を担当していたので、学生さん側の気持ちがわかるんです」

日本人駐在員からも良い評価が得られたようで、未来はほっとした。

― ボストンでの初仕事は成功、っていうことで良いかな。




ボストンキャリアフォーラム1日目が終了し、未来は現地スタッフと一緒にオイスターバーを訪れた。

― なんだか、信じられない。今、私は異国で、初対面の同僚と牡蠣を食べようとしている。

1人で在宅勤務をしていた去年の今頃からは、想像もつかない景色だ。

「What would you like to drink?」
「Guinness Please」

気取って答える自分の声がなんだかこそばゆい。未来たちが食事を楽しむ間にも、レストランには次々と客が訪れる。

「…長田さん?」

そのとき、店に入ってきた男性2人組のうちの1人に、名前を呼ばれた。未来は驚いて声の主を見る。

「あれ…えっと、小林拓人さん?今日、ボスキャリにいらしていましたよね」

― 確か、ボストンの大学生で、日本で就職希望だった人だ。

「はい。今日はありがとうございました。あ、こちらは父です」

流れで、拓人の父とも挨拶をかわす。

「息子がお世話になっております。今、ボストンに遊びに来ていて。長田さん、ギネスお好きなんですか?牡蠣にギネス、渋いですね」

拓人の父親が、食べかけの未来たちのテーブルを見て、話しかけてくる。

「え?あ、はあ」

― えーっと、こういう場合、どうしたら良いんだろう。一緒にいかがですか?…は違うよね。

「さあ、拓人、俺たちも席に案内してもらおう。お食事中失礼しました。では」

未来が次の言葉を考えあぐねている間に、拓人の父親はスマートに会話を終わらせてくれた。

― 良かった、気まずい思いをしなくて。

未来は心の中で安堵のため息をついた。




未来たちが食事を終え店の外に出ると、拓人の父親がタバコを吸っていた。

「あ、長田さん…でしたっけ?先ほどはどうも」

未来が挨拶を返していると、同僚たちは、次々にタクシーで帰ってしまう。

「僕もね、ギネス好きなんですよ」

「そうなんですね」

拓人の父親が話しかけてくるが、これ以上会話が続く気もせず、未来も「では」と立ち去ろうとする。

「一時期ビールにハマって、クラフトビールの店をやっていたぐらいです」

拓人の父親があげた店の名前を聞いて、未来は驚いてタクシーを呼ぶ手を止めた。

「そのお店、代官山にありますよね。私、よく行きます。一昨日も行ったばかりです!」

「そうなんですか?嬉しいなあ。今は、飲食事業は全て売却してしまったんですが、あの店が一番好きだったなあ」

どうやら拓人の父親は、何かしらの経営者らしい。

「こんなところで、あのお店のオーナーに会えるなんて、嬉しいです」

未来の言葉に、拓人の父親は顔を綻ばせる。

「それは光栄です。まあ、元オーナーですが」

拓人の父親は、タバコの吸い殻を灰皿に押し付けると、真顔で言った。

「長田さん、明日時間作れます?今度、若い人向けの新事業を始めるので、良かったら話を聞かせてください」

「え?」

― どうしよう。こういう時、どうしたら良いんだろう…。

未来は途方に暮れて、店の前に立ち尽くした。

【未来のWISH LIST〈2年後の結婚までにしたい10のこと〉】
☑ビールのおいしさを知る
□一人でカウンターのお寿司を食べる
☑ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□一人暮らしをする
☑英会話教室に通う
☑ハワイのハレクラニに泊まる
□100万円単位の衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する

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