◆これまでのあらすじ
大手メーカー人事部で働く未来(25)は、交際4年の彼氏・悠斗と2年後を目処に結婚を約束。それを機に「結婚までにしたい10のこと」を集めたウィッシュリストを作成した。姉の美玲とハワイを訪れた未来は、スパで働く姉の友達・ヨウコが前向きに挑戦を続ける姿に感銘を受ける。

▶前回:初めてハワイに来た25歳女。カイルアビーチで突然「恥ずかしい…」と赤面した理由とは?




Vol.4 13年越しの「合格祝い」と新たな挑戦


「ああ、もう今日が最終日だなんて、信じられない!」

未来は、ハレクラニのバーでシャンパンを飲みながら、大袈裟にため息をついた。

ダイヤモンドヘッドの向こうに消えていく夕日を見逃すまい、と瞼に焼き付ける。

「ハワイがこんなに前向きな気持ちになれる場所だなんて、知らなかった。やっぱり経験するって大切だね」

すっかり日が沈んでしまうと、未来は「それにね」と続けた。

「お姉ちゃんと一緒に来られたのが、何より嬉しかった」

「私もだよ」

美玲も微笑む。

「だってさ、私が大学生になってから、家族旅行なんて行かなくなっちゃったでしょう。大学合格祝いに行くはずだったハワイ旅行がなくなって、心残りだったんだ」

震災を受けて、家族旅行を急遽自粛したのだ。未来にとっても、中学受験合格のお祝い旅行のはずだった。

「夫と結婚するって決まった時、絶対にハワイ挙式にしよう!って決めていたんだけど、コロナ禍で式は挙げられなくなっちゃったし」

― そっか。お姉ちゃんも、つらい思いをしていたんだ。

「でも、この旅行で心が満たされた。よし、未来ちゃん、気を取り直して乾杯しよう!」

美玲の言葉に、未来はグラスを掲げた。

― お互いに大変な時間を過ごしたけれど、前を向くしかないんだ。

「乾杯!お姉ちゃん、大学合格おめでとう。13年越しにようやくお祝いできるね。あと、結婚もおめでとう!」

「今さら?」といいつつ、美玲は嬉しそうだ。

「でも未来ちゃん、もう旅行が終わった気でいるみたいだけど、私の旅のメインはまだこれからだからね」

「えっ?」

「私、まだ買い物できてない!明日は飛行機の時間まで、アラモアナで買い物よ!」

何があっても、美玲は明るい。

「お姉ちゃんの爆買い、見るのが楽しみ」

未来は笑ってシャンパンを飲み干した。


「ああ、買った買った!やっぱりハワイは品揃えが違うよね」

ハイブランドのショッパーをいくつも抱えながら、美玲は額の汗を拭った。元インフルエンサーの美玲は、独身時代の貯金がまだまだあるのだという。

「お姉ちゃん、すごいね…」

円安で、思い切った買い物をする勇気がなかった未来は、彼氏の悠斗にCOACHの名刺入れを買っただけだ。

「ねえ、もう一度ルイ・ヴィトン行こうよ。未来ちゃん、ずっとカプシーヌ見てたでしょう。あれ、買ってあげる!」

テンションが上がりきった美玲が、とんでもないことを言い出す。

「ええっ、あんなに高いバッグ、私には不釣り合いだよ」

未来は必死で断るが、美玲の決意は固い。

「未来ちゃん、これから色々な経験をしていくと、人から舐められないアタイアが必要になる時があるわ。これはその時のためのプレゼント」

ルイ・ヴィトンを再び訪れ、カプシーヌを持って鏡の前に立つと、緊張で手が震えそうになる。

「うん。やっぱり似合ってる!買おう」

美玲の満足げな顔を鏡越しに見て、未来も心を決めた。

「お姉ちゃん、本当に良いの?」

「もちろんだよ。未来ちゃん、ウィッシュリストに『100万円単位の衝動買いをする』って書いていたじゃない?今日はその予行練習」

未来はこれまで自粛ばかりで、お金をドカンと使うイベントがほとんどなかったため、大きな買い物を即決することに憧れを抱いている。美玲がよく高額の衝動買いをするので、興味が湧いたという節もある。

「ありがとう…お姉ちゃん、私、1日でも早く、このバッグに相応しい女性になれるように頑張る!それで、いつか自分のお金で衝動買いする!」

ウィッシュリストに書いた残りの願いごとは、簡単には叶わないだろう。それでも、このバッグを持てば、なんでもできそうな気がする。

「それそれ!その言葉が聞きたかったの」

美玲がうんうん、と何度も頷いた。




日本に帰った次の日、未来は早速カプシーヌを持って出社した。

― うう、時差ボケがひどい…。でも今日は大切な日だから、気を引き締めていかなくちゃ。

今日は、四半期終わりの上司との面談が入っている。

ウィッシュリストに書いた【海外から優秀な人材を採用する】を達成するために、まずは上司に相談するつもりだ。

上司と一緒に会議室に入ると、早速未来は切り出した。

「あの、業務に関してご相談なのですが…」

「なに?やりにくいことでもある?長田さんはリモート勤務が多かったし、まだオフィスのことはよく知らないんだから、焦らなくても大丈夫よ」

女性上司に優しい言葉をかけられ、会話が終わりかけてしまう。未来は慌てて続けた。

「いえ…。わたし、今は日本の学生向け採用を担当していますが、機会があれば、海外の学生向けの採用もやってみたいんです」

うーん、と上司が腕を組んで沈黙する。

「あの、もちろん英語は一生懸命勉強します。残業も大丈夫です。もし、チャンスをいただけるのであれば…」

沈黙が怖くて、未来の発言はどんどん弱気になっていく。




「いいんじゃない?」

「えっ?」

思いもよらない返答に、未来は気の抜けた返事をした。

「ちょうど、今年のボストンキャリアフォーラムの準備が始まっているから、それのサポートに入ってみる?」

「は…はい!」

ボストンキャリアフォーラムは、11月頃に毎年ボストンで開かれるバイリンガル向けの大型就活フェアだ。心臓の鼓動が速くなる。

「思えば長田さんとは、キャリアの希望を話せてなかったね。在宅勤務ばかりで、雑談する機会すらなかったもの。だから今回、気持ちが聞けてよかったわ」

― たしかに…。

「これからも、希望があればどんどん言ってね」

「はい…あの、私、頑張ります!」

面談を終えて、自分の席に戻ると、安堵感とともに、希望が通った喜びがじわじわと湧いてくる。早速ボストンキャリアフォーラム関連のメールが転送されてきて、未来は1通ずつ丁寧に読み込んだ。

招待されたチャットグループでは、活発に会話が飛び交っている。

― わあ、メールとチャットを追うだけで精一杯。

それでも、今の未来には楽しみな気持ちしかない。




「はい、悠斗。これハワイのお土産!社会人になったばかりで、まだ名刺入れ持ってなかったでしょう?」

週末。

未来は、悠斗が一人暮らしをしているマンションに久しぶりに遊びに来ていた。

「ハワイ、本当に素敵なところだったよ。いつか一緒に行こうね。でね、私、希望が通って新しい仕事にアサインされたの。英語が必要になるから、来週から英会話教室にも通い始めるつもり」

未来が興奮気味に報告するのを、悠斗は「へえ」と聞き流す。

「ハワイも英会話も良いけど、ちゃんと結婚資金も貯めておいてね。俺が一級建築士の試験に受かったら、すぐ結婚できるように」

「あ…うん」

せっかくの楽しい気分に、水を差されたような気分になる。

「未来はいいなあ、大きな会社に勤めて、やりたい仕事をやれて。俺の会社は小さいから、設計以外の仕事も手分けしてやらないといけないんだよ。もう、何でも屋状態」

― やりたい仕事ができるのは、私なりに頑張った結果なのに…。それに、悠斗が自分で今の設計事務所を選んだんじゃない。

今までの未来なら、「悠斗は大変だなあ」で済ませていたところだが、今日はやけに引っかかる。

― 良くない良くない。久しぶりに会えたんだから、今日は楽しくすごそう。

「ねえ、名刺入れ、開けてみて。悠斗に似合うと思うんだ」

未来は胸の中のモヤモヤを振り払うように、明るい声を出した。




こうして、未来の怒涛の日々が始まった。

ボストンキャリアフォーラムについて、わからないことを教えてもらう。最初はついていくのに精一杯だったが、数ヶ月が経ち、季節が秋めいてきた頃には、任される仕事が格段に増えた。

アメリカの就業時間内に返信が必要なメールが、次から次へと送られてくる。

― 時差がある国と仕事をするってこんなに大変だったんだ。経験してみないとわからなかったな。

予定通り、英会話も始めている。

ウィッシュリストの【英会話教室に通う】が自然なかたちで達成されたのはうれしいが、自宅でのシャドーイングが必須なせいで、未来のプライベートな時間はほとんどなくなってしまった。

― 1日があっという間に終わっていく!でも、やりたかったことを思う存分できるって、こんなに幸せなんだ。

なんでも経験したい未来にとっては、忙しささえも愛おしい。

そして、ボストンキャリアフォーラムがいよいよ目前に迫った11月初旬の朝。未来が出社すると、先輩たちがヒソヒソと立ち話をしていた。

「おはようございます」と声をかけると、先輩たちは未来に形ばかりの挨拶を返してヒソヒソ話に戻ってしまう。

― 朝からどうしたんだろう?

話しながらも、時折未来の方を見ている気がして、ラップトップを開きながらも耳をそばだててしまう。




「現地で使う資料は…」

― 資料作成したの、私だ。何かトラブルだったらどうしよう!

漏れ聞こえる会話に、不安になる。

「いや、彼女がボスキャリ担当になったのは今年からだし…」

― 絶対に私のことだ。

背中に冷や汗が伝い、指先がひんやりしていく。

ついに先輩たちが、未来の方にやってきた。

「長田さん」

「はい…」

何を言われるのか。顔から血の気が引いて、唇がうまく動かない。

「学生向けの資料作ったの、長田さんだよね?」

「はい…」

「内容、全部把握できてるよね」

「もちろんです…今、そらでも言えます」

「何ヶ月か前にハワイ行ってたよね?ESTA、まだ期限内だよね?」

「はい…?」

「長田さん、折り入ってお願いがあるんだけど…明日、ボストンに飛べる?」

「私が、ボストンに…?」

脳内で処理が追いつかず、未来は先輩の言葉をおうむ返しにすることしかできなかった。

【未来のWISH LIST〈2年後の結婚までにしたい10のこと〉】
☑ビールのおいしさを知る
□一人でカウンターのお寿司を食べる
□ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□一人暮らしをする
☑英会話教室に通う
☑ハワイのハレクラニに泊まる
□衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する

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ボストン出張?突然の出来事に未来がとった意外な行動とは…?