前回:「僕とご飯にいくのがイヤってことかな?」男からの単刀直入な質問に28歳女は慌てて…



東京・西麻布にある1Kの自宅。時刻は22時過ぎで、私は今、ノートPCの前で、ビデオチャットをしている。その目的は…お恥ずかしながらの恋愛相談…のようなものだ。

「28歳女子としての…正しいデートの仕方というか…デートの作法を教えて欲しくて」

28歳にもなるのに恋愛初心者感丸出しの質問が恥ずかしい…と迷いながらも、恋愛のプロと呼べるほど頼れる親友(だと彼女が言ってくれる)の友香にそう聞いた。フェイスパックを剥がしながら、ぎゃ!マジ?と声を上げた友香がいるのはフランスのパリ。

今、パリは昼の2時頃と聞いたけれど、昨夜、アンバサダーを務めているラグジュアリーブランドの新商品ローンチパーティに参加していたという友香は、パジャマに鮮やかな花柄のガウンを羽織った寝起き姿で、まだ眠そうだったのに。

「なになに!?宝、気になる人できたの!?」

一気にテンションを上げて、何そのビッグニュース♡目が覚めたよぉ〜とはしゃぎはじめた友香に、私は慌てて言い足した。

「気になる人かどうかはまだわからないんだけど…その、デートに誘われまして」
「やだやだ、宝、照れちゃってかわいぃ♡ねえ誰に〜?私、知ってる人?」
「…前にちょっと話したことあるかなと思うんだけど、パリのレストランの…シェフの伊東さん」
「え!?あの2つ星シェフ?え、めちゃくちゃいいじゃん!私も何回かレストランに行かせてもらってるけど、料理のセンスもいいし、性格もいいナイスガイって、パリの日本人界隈でも評判だよ。え、最高じゃん」

そして何気に私好みのイケメンなんだよなぁ〜と言った友香に、確かにそうかもしれないと思った。友香の好みは友香曰く“無骨な職人の雰囲気を漂わせる男性”で、ルックスのタイプは、名脇役で有名な韓国人俳優(おじさまの)だと公言している。

「で?何よ、デートの作法を教えてくれって」
「うん…来週、会うことにはなったんだけど…」

年が明けたら日本に戻るので、デートしてくれますか、と言ってくれた伊東さんとの約束は、お正月ムードが落ちつくであろう1月2週目の金曜日に決まっていた。

「…約束の日が近づくにつれて、つまんない女って言われてフラれたトラウマが復活してるんだよね。デートの後につまんない女って思われたらどうしよう…って何か不安になっちゃって。情けないのはわかってるんだけど」
「…あらら?気になる人かどうかわからないといいつつ、宝、伊東さんのこと既に結構好きじゃん」
「…そう、なのかな」

伊東さんは素敵な人で、好きか嫌いでいうなら間違いなく好きだろうとは思う。でも私の消えないモヤモヤは伊東さんとは関係ないところにある気がしているのだけど、それをうまく言葉にできないでいる。

きちんと誰かとお付き合いした経験は1度しかないし、フラれて以来、やや男性不信的なものも…と思っていると、友香が言った。

「まあ、宝の不安もなんとなくわかる気がするけど。宝って、恋愛バージン的な感じもするからさ。宝の不安って恋愛免疫のなさからきてるんじゃない?」


― れ、れ、恋愛バージン???

な、何それ???と呆気にとられていると、宝、口開いちゃってるよと笑った友香が続けた。

「恋愛バージンってさ、恋愛未経験というか…自分からいく恋をしたことがないんじゃないかなってこと。

あのクソ男…元カレにも向こうに熱烈に口説かれ続けてほだされたんでしょ?大学時代も自分から好き好き〜って舞い上がる感じもなかったし。恋愛体質じゃないっていうとそこまでだけど、恋焦がれてどうしてもこの人が欲しいって告白したこともないんじゃない?

あと、付き合ってる間も恋愛っていうか、相手のことキライじゃないし、居心地も悪くないから一緒にいる感じに見えてたけど、違う?誰かを自分から好きになったことないんじゃないかなぁとか。極端な想像かもしれないけど…宝って相手を恋愛感情として好きになったことないんじゃないかなぁって。違う?」

…た、確かに…まあ……そうかも。友香の言う通りかもしれない。でも、もしそうだとしたら。

「…その理論でいうと、私28歳で初恋もまだ…ってこと、になら、ない?」

恐ろしいことに気が付いてしまった私を、あ、そうかもね、とさらっとあっさり肯定した友香が、いいなぁ、これから初恋とかロマンティック…!!初恋の人と結婚できるかもってことでしょう?とナゾの盛り上がりを見せた。

「まあ、まずは伊東さんとのデートだね。死ぬほど安心して♡28歳の女性としてのデートのたしなみ的なもの、服装からマナー、別れ際の言葉まで、ばっちり考えてあげちゃう♡」

― 恋愛バージン。初恋未体験。

強すぎる言葉が脳内をグルグルと回る。なんか結構…ショックなんですけど。青天の霹靂的な衝撃から抜けられない私をよそに、随分と楽しそうな友香が、あ、そういえばさ、と言った。

「伊東さん紹介してくれたのって雄大さんなんだよね?愛さんとか大ちゃんも元気?」
「…あ、うん。元気。みんな元気だよ」

私も久しぶりにみんなに会いたいなぁという友香の声に、私はようやく恋愛バージンショックから引き戻された。そして、年末のあの日、久しぶりに愛さんと雄大さんに会った日のことを思い出した。




仕事納めの12月28日。雄大さんと愛さんとの仲直り&報告会、と大輝くんに指定されたのは、いつもの店Sneet(スニート)だった。私が到着した時にはすでに、カウンターに愛さんと大輝くんがいた。

「…宝ちゃん…ひさしぶりだね」

愛さんの照れたようなその第一声に、涙がこみ上げかけて自分でも驚いたけれど、なんとかこらえてお久しぶりですと返した。雄大さんは、仕事の会食が終わり次第合流するとのことで、まだ到着していなかった。

愛さんと大輝くんにうながされて、年末感に盛り上がる客席を抜けて個室に移動した。Sneetに個室があることを知ったのは初めてだし、BARの個室に鍵がある…という光景も初めて見た。

― 思ったより普通だ。

鍵付きの個室のハードルで、ド派手でギラギラな内装をイメージしていたけれど、どちらかというと目に優しいベージュやオフホワイトのインテリアで、部屋のほとんどをコの字型に配置された革張りのソファーが占めている。

愛さんが一番奥に入り、その隣に大輝くん。一番手前に私が座った。この配置でいくと、雄大さんは私の横ということになるなと気づいてしまって、ソワソワが増した。

アルコールを入れずに話がしたいという愛さんの提案で、まずはとコーヒーが3つ運ばれてきた。お酒に変えたくなったらお声かけくださいねと店長が指さした先には、カラオケボックスで見かけたことがある受話器のようなものがかかっていた。

「いい加減タブレットとかでの遠隔注文に変えたら?その方が店側も楽でしょ?」

そう言った愛さんに、店長さんが、僕もそう思うんですけど、ほらオーナーがそういうの嫌うんで、と苦笑いし、光江さんらしいね、と大輝くんが笑った。

「光江さん、お元気?久しぶりにお会いしたいなぁー」

愛さんがそう言うと大輝くんが、このSneetのオーナーは、光江さんという女性なのだと説明してくれた。

「光江さんは、西麻布の女帝とかゴットマザーって呼ばれてる人。でも本人はそう呼ばれるのを嫌ってて、私はただのババアだよって言ってる。そのくせ人からババアって言われるとめちゃくちゃキレるんだよ。自分で名乗るババアはいいけど、他人からのババアは許せないんだって」

― また強烈そうな人が…。

西麻布の女帝、ババア。この2つの単語は…パンチが強すぎる。


「ちなみに光江さんは年齢非公表の設定なんだけど、たぶんうちの父親と同じくらいだと思うよ」

大輝が女性の年齢のことを話題にするなんて珍しいと言った愛さんに、情報はなるべく具体的にということでと答えた大輝くんが、さてそろそろ本題に入りましょうかと改まった。

愛さんから話しますか?と大輝くんに促された愛さんが、私に体を向けた。神妙に見つめられて私の緊張が増し背筋が伸びる。

「まずは、宝ちゃん…本当にごめんなさい」

深々と頭を下げられ、一気に戸惑う。そんな、謝らないでください、でしゃばった私のせいなんです、と私が慌てると、違うよ、と愛さんが顔を上げた。

「私、ほぼ八つ当たりみたいにイライラしちゃって。冷静になってみたら本当に恥ずかしいよ。雄大にも怒られたけど、あの状況で宝ちゃんを連れていってしまった私の責任なのに。

宝ちゃんが私のために勇気を出してくれたのに、私、すごくひどいこと言った。チープな正義感とか…」

少しうなだれた愛さんに、何回聞いても酷いよねその表現は…オレは好きじゃない、と大輝くんが眉をひそめたけれど、実は私はそんな風には思っていなかった。

「私は、愛さんの言う通りだなって思ってました。あの時私はことを荒立てただけで…ずっと…長い間、愛さんが闘ってきた問題に私が介入してどうにかなることなら、とっくにうまくいってましたよね。

あのあと本当にぞっとしたんです。私の衝動のせいで、愛さんの夢を奪ってしまうことになったらどうしようって。自分が情けなくて申し訳なかったです。本当にごめんなさい」

でも…あの時、本当に後悔したはずなのに、私はまたやってしまったのだ。覚悟を決めて告白する。

「私また…やってしまいました。タケルくんに会いに行ってしまいましたし、タケルくんに思いをぶつけてしまいました。またチープな正義感を…でも、あの…どうしても…」

タケルくんに本当の気持ちを話して欲しくて。それをお母さんに…愛さんに伝えて欲しくて…という思いは言葉にできなかった。今、気づいてしまったのだ。私はあの時、愛さんの立場や願いは全く考えず、タケルくんだけ…タケルくんのことしか見えていなかったことに。

「…ごめんなさい。愛さん、私は…」
「宝ちゃん、これ」

自分の行動の意図を説明しようとした私の言葉をさえぎるように、愛さんが差し出したもの。それは。

「タケルが私に書いてくれた手紙。読んでみて」
「私が…?いいんですか?」

愛さんは頷いた。穏やかな笑顔で。

それは破られたノートに書かれていた。10歳とは思えない美しい文字で、お母さんへ、と始まった文章はこう続いていた。

「ノートをやぶってしまってごめんなさい。お手紙のセットを買いに行ったらお父さんにばれてしまうかもしれないと思って。またお母さんがお父さんに怒られることになったらいやだから、これに書きます」

― タケルくん。

いつもいつもお母さんのことばかり考えている。あの日話して少しは慣れたはずの10歳の気遣いに、また今日も胸が詰まった。

「ぼくはお母さんのことが大好きです。でも、お父さんはこわいけど、お母さんがお父さんのことをきらっているんだと思うと、悲しくなるので、たぶん僕はお父さんのことも好きなんだと思います。ごめんなさい」

シャープペンか鉛筆で書かれたその手紙には消された跡が見えて、タケルくんは、きっと何度も何度も書き直したのだろうと思うと切なくなる。

『…話すのは難しそうだから…考えてから文章に…手紙として書いてみようと思います』

あの日そう言っていたタケルくんの、どこか自信なさげな表情が浮かび、よく頑張ったねといますぐタケルくんを抱きしめに行きたい気持ちになった。

― 愛さんは、どう思ったんだろう。

少し怖くて…すごく気になったけれど、私は顔を上げずに一気に手紙を読み進めた。

留学には…すごく行きたいというわけじゃないけど、今はお父さんの言う通りにした方がいいと思っていること。留学は自分の将来には必要なことだという思いもあるし、自分がお父さんに反抗したらお母さんがまた怒られてしまう…ということも心配だということ。

その気持ちを、今まで正直にお母さんにいえなかったこと。お母さんが喜ぶと思って、お母さんと一緒にいたいから、つい、留学にはいきたくないと言ってしまったこと。

「僕の本当の、気持ちは、お母さんとお父さんが仲良くしてくれて、もう僕のことでケンカしないで欲しいということです。今も1か月に1回しか会えないのに、これ以上お父さんとお母さんがケンカしてしまったら、もしかして一生お母さんに会えなくなるのかも、と思うと怖いです。

それから、もしできれば、お父さんのことをあんまり悪く言わないでもらえるとうれしいです。こんなことを書いてしまってごめんなさい。でも、お母さんのことは、本当に、本当に大好きです」

読み終わる頃には私は涙をこらえることができなかった。手紙を濡らさぬようにと慌てて顔を上げると、愛さんが優しい顔でこちらを見ていた。

「宝ちゃん、私ね、諦めることにしたの」


え?と声が出た私に愛さんが続けた。

「15になったら絶対一緒に暮らすんだとか、そのためにムキになったりするのをやめる。留学に行くことになっても騒ぎたてたりしない。ただ見守ろうと思う」

それで…いいんですか?と聞いた私に、愛さんは晴れ晴れと笑った。

「私ね、タケルはあの人の所から逃げ出したいんだとばっかり思ってた。でも…タケルにとっては案外いい父親だったりするのかな、ってこの手紙を読んで初めて知った。

あの子の側にいるべきは自分で、それがあの子にとっても最良のことだと思い込んでた。だから15になったら一緒に暮らそうって話をしてたんだけど…」

タケルくんの手紙はいつの間にか私の手を離れて、大輝くんにより折りたたまれ、愛さんに戻されていた。それを愛おしそうに封筒の中にしまいながら、愛さんは続けた。

「すごく当たり前のことを忘れちゃってた。子どもにとっては、両親の仲が良い方が…ってところまでは無理でも、両親がいがみ合う姿はつらいってこと。私の憎しみや恨みをあの子に背負わせてしまっていたなんて。

私、最高の母親になりたかったの。最高の母親になってあの子を取り戻すつもりだったのに、最悪の母親になりかけてた。…もうなってたかもしれないけど」

そんなことは絶対にありません。愛さんは最高の母親ですと否定したかったのに、こみ上げてくる何かが喉につまり、うまく言葉にできなかった。

「…宝ちゃん、本当にごめん。そしてありがとう。あんなにひどいことを言ったのに…また勇気を出してくれた。タケルの気持ちが知れて本当に良かった。心から感謝しています」

頭を下げてくれた愛さんの姿がにじんでいく。

― あ、やばい。

また涙がこぼれた。止まらなくなった。ホッとしたのかうれしいのか、ぐちゃぐちゃの感情のまま私は、伝えなければと言葉を探した。

「…よか、った、です。私、また余計なこと、しちゃったんじゃないかって…もしこれで、愛さんにまた嫌われて…会えなくなったら、すごく悲しいなとかも思ったりして…その」

涙でとぎれとぎれになった言葉たちが、私を抱きしめにきてくれた愛さんに包まれた。宝ちゃんって、本当にかわいいなぁ、といつかのように、なつかしい響きに、またホッとした。

「…大輝も、本当にありがとうね」

私を抱きしめたままそう言った愛さんに、オレは親のコネを使っただけ、と大輝くんが笑った。




大泣き…と言える程涙が止まらず…しばらくしてなんとか止まったと思ったら、今度はしゃっくりが止まらなくなった。そんな私を愛さんと大輝くんが笑いながら慰めてくれていた時、個室の自動ドアが静かな機械音をたてて開いた。そこには、渋い顔をした雄大さん…と。

「あ〜ら、お嬢ちゃんが泣いてる。愛、泣かせたのはアンタかい?辛気臭いやりとりは、この店ではやめて欲しいんだけどねぇ」
「光江さん!!」

愛さんと大輝くんの声がハモった。光江さん、ということは、雄大さんの腕をがっつりと掴んで並んでいるこの女性が、さっき話に上がっていたこの店のオーナーで、西麻布の女帝なのだろう…か?

― 確かにド迫力…。

シルク…だろうか?艶のある紫のロングドレスの足元は見えないが、175cmある雄大さんと視線が変わらない。その豊満なグラマラスボディは雄大さんを横に2倍に…という雰囲気で例えるならマツコ・デラックスさんを彷彿とさせる、というか。

結い上げられた黒髪はつやつやだけど、お顔は…さっき大輝くんが言っていた通り、大輝くんのお父様と同世代にも見えるかなと思ったり、いやもっと若いのかもしれないと思ったり。

― 年齢不詳。

露骨に眉間にシワをよせ、イヤそうな顔の見本と言う表情をしていた雄大さんが言った。

「光江さんそろそろ手を放してくれませんか」

すると光江さんが、ほんっとアンタは優しくないねえ…と雄大さんの側を離れ、誰の了承を得るわけでもなく部屋に入り、一番手前にいた私の横に座った。その容赦のないどすんっという勢いに、私の体が跳ねるように浮きあがる。

「よし。今日は、そうだねぇ…シャンパンか赤か…雄大、ちょっと店長のところに行って、ワインリストもらってきて。普段は出してない方のリストだよ」
「…は?なんでオレが?自分で呼んでくださいよ、自分ところの店員なんだから」
「アンタは相変わらず口が悪いねぇ。とっとと行きな。アンタに私に逆らう権利というか人権はないんだよ」

― きょ、強烈。

“西麻布の女帝”の迫力から目が離せず呆然としている私に、雄大さんの諦めたような溜息が聞こえて自動ドアが開いた。

「あ、雄大、カウンターに私のアフリカ土産があるからそれも持ってきて」

既に部屋を出ていた雄大さんの背中に追加の指令を出したあと、女帝が私を見た。

「…さて。お嬢ちゃんは初めましてだね」

▶前回:「僕とご飯にいくのがイヤってことかな?」男からの単刀直入な質問に28歳女は慌てて…

▶1話目はこちら:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…

次回は、5月25日 土曜更新予定!