問題児ばかりが集う閉塞的なオフィスに、ある日突然見知らぬ美女が現れたー。

女派閥の争いにより壊滅的な状況に直面した部署で、春菜(25)は絶望的な毎日を過ごしていた。

そんな春菜の前に参上した、謎だらけのゴージャスな女・経澤理佐。

理佐は、崩壊寸前の部署の救世主となるのか?

「墓場」と呼ばれる部署に、ミステリアスな女・理佐がやってきた。派手で超美人な彼女はお局女性陣・おつぼねーずから早速目の敵にされ、ウェルカム洗礼を受けながらも、経理部のピンチを鮮やかに解決した。

しかし女たちの醜い争いは、まだまだ終わらない…?!




経理室には、毎日様々な人が訪れる。

春菜がふと目線をあげると、営業部の広岡鈴香の姿があった。彼女は昨年度の新入社員で、こうして経費精算の領収証を持ってたまに経理部にやってくる。

整った鼻筋と小さな顔が印象的な鈴香は、若いのにしっかりしていると評判だ。そんな彼女が、珍しくぼんやりと立っている。

その視線の先には、猛スピードでテンキーを叩き続ける理佐の姿があった。

「お疲れ様です!」

春菜が声をかけると、鈴香はハッと我に返ったようだ。

「あの方が経澤さんですか…。営業部中で、ものすごい美女が経理部に来たとは噂になっていましたが…どんな方なんですか?」

春菜はその質問に答えることができなかった。理佐の謎のベールはまだ健在である。

鈴香が去ると入れ違いに、課長が経理室に入ってきた。

「お、経澤さん、今日も気合入ってるね。経澤さんと西野さんのお陰で決算も順調そうだね。2人に任せて本当に良かった。ありがとう。引き続き、期待しているよ。」

課長が突然思いついたように、軽い口調で理佐を褒める。

課長が理佐を誉めると、またおつぼねーずたちが妬むのではないだろうか。春菜は内心ハラハラしていたが、その心配は見事的中することになる。



春菜が廊下に出ると、おつぼねーずが相沢由美に突っかかっている光景が目に飛び込んできた。

「あんたがミスしたせいで新人に一本取られたじゃない。」
「新人を増やさないという話、忘れたの?」
「今日の話はルーチンやってる私たちへの当てつけよ。」

新人の理佐や若手の春菜が全員の前で褒められること、これをおつぼねーずが黙って見ているはずはないのだ。

褒める文化が育っていない、人を蹴落とすことで自分の地位を保つ経理部。これが墓場の経理部の所以の一つである。

「私のせいだっていうの!?」

由美も反抗するが、明らかに劣勢だ。

そのとき、睨み合う空気を全てかっさらうかのように、さわやかな声が廊下に響いた。

「お取込み中、ごめん下さいね。」


お局たちの内紛を一瞬で沈静化させた、爽やかな声の主は一体?


声の主は、長い髪をなびかせ、颯爽と歩く。真っ赤なスカートがスーパーガールを彷彿とさせていた。

硬直した空気を破ったのは、経澤理佐だった。




「こんな不毛な争い、辞めませんか?」

しかしこの言葉で、先程まで吊るし上げられていたはずの由美が、再びおつぼねーず側につき、睨み合いとなる。

少し離れたところから呆然とその様を見ていた春菜の心臓は、飛び出しそうなほど音を立てている。

おつぼねーずvs経澤理佐。戦いの開始ゴングが、春菜の脳内に今にも鳴り響きそうだ。

だが、理佐の反応は違った。

柔らかな表情から一変、鋭い眼差しに変わる。そして口角をゆっくり上げ「ふぅん」と言い放つと、話し始めた。

「あなた方が派閥を作りたい理由は、自分の立場を守りたいから、ですよね?実力がない人ほど、偉そうな態度をとる。」

「はぁ?何言ってるのよ。ついこの間来たあんたに、何が分かるっていうの?」

由美が声を荒げるが、その声にはいつもの力強さはない。

すると理佐が急にこんなことを言い出した。

「相沢さんが以前にミスをしたとき、あなた方は課長から何と言われましたか?」

確か、相沢由美は以前に請求書誤発送のミスをやらかしたとき、「次同じことをしたら営業部に飛ばす」と言われていたはずだ。

それ以外にも何かあると言うのだろうか。春菜が不思議に思っていると、理佐は続けた。

「今回は見逃すが、今後新しく入社した人の方が優秀だったら、もうお前たちは経理部には要らないと言われたのではないですか?」

由美の呼吸が止まり、目が大きく開いていく。理佐は構わず話し続ける。

「だからといって営業部が嫌でこの会社を辞めたところで、他の会社で果たして通用するのか自信がない。それ以来、あなた方は必死になって新入りを目の敵にするようになった…。」

おつぼねーずも押し黙った。反論しないという事は、これが真実だと言っているようなものだ。

-どういうこと?課長はおつぼねーずのご機嫌を取っていたのではなく、脅すようなことを言っていた…?

こんなことを言えば、おつぼねーずは新人をイジメることは目に見えている。

課長がなぜワザと煽るようなことを言ったのか、春菜は理解できなかった。

「人間関係を拗らせるのはやめて、スキルをつけ、そんな課長の言葉に脅されないようにしませんか?私にお手伝いさせて下さい。」

「バカにするのもいい加減にしなさいよ!課長に褒められたからっていい気になって!」

おつぼねーずは吐き捨てるように叫ぶと、ガツガツと足音を立てながら去って行った。

「あんな歩き方したら、ヒールが可哀そうだわ。ねぇ思わない?」

理佐はそう言いながら、くるりと振り返り、遠く離れた場所から様子を伺っていた春菜の方を向く。

どうやら春菜が聞き耳をたてていたことは、理佐にはお見通しのようだ。


相変わらずミステリアスな理佐が、少しずつ本音を語り始める…。


春菜は「腹が減っては戦ができないわ」という理佐と、こっそり早めにランチに出た。

5月の風はカラリとしていて気持ちがいい。

春菜は基本、お昼ご飯も経理室で1人お弁当を食べることが多い。

ごく稀に同期達とランチに行くが、他部署は昼休憩を長くとっても何も言われないのに、経理部だとそうはいかない。

口うるさいおつぼねーずが目を光らせているため、のんびりランチもできず、いつも同期より先に店を出ることになって肩身が狭いのだ。

もちろん、誰かと仲良くしていていびられるのは目に見えているので、経理部内で仲良くなんてできない。

同じ部署の同僚とこうしてランチに行くのは、一体いつぶりだろうか。

春菜と理佐は、『ハノイのホイさん』にやってきた。

ここは理佐のお気に入りの店で、本場さながらのベトナム料理が食べたくなると、1人でもふらりと来るのだという。

春菜は、ミディアムレアの牛肉入りフォーを注文した。美味しいものを食べていると、嫌なことを忘れられるから不思議だ。




-美味しいって正義だわ…。

そんなことを思いながらも、春菜は気になっていたことを聞いてみる。

「経澤さんは、なんで皆にあんなに優しくするんですか?私だったら、営業部に行けばいいのにって思っちゃいそうで…。そりゃ会社の損失を考えると、事故を防ぐ方が大事ですが…」

春菜の声は、話しながらだんだん小さくなっていく。

-我ながら、子供っぽい意見を言ってる…。私、自分の事しか考えていないよね…。

自分から聞いておいて、どんどん自信を無くしていく春菜を見て、理佐はゆっくりとした口調で、でもまっすぐに話しかけた。

「西野さんのお気持ちもよく分かります。正直私も苛立つときもあります。でも、憎しみを憎しみで返しても、負の連鎖は途切れることがないんです。誠実に立ち向かっていかないと。」

理佐の顔はいつになく真面目だ。彼女の年齢は相変わらず不明だが、子供を説得する母親のような眼差しをしている。

「それに私…約束したの。」

理佐は視線を外すと、ボソッと呟いた。

ー約束…?誰と…?

踏み込んで聞いてもいいものか春菜が戸惑っていると、突然理佐が立ち上がった。

「まぁ大変!遅刻したら、お姉さま方に怒られちゃうわ!」

そう言って無邪気に笑った。「ホント!怒られちゃう!」と春菜もつられて笑う。

-こんな風に、おつぼねーずを笑い話にできる時が来るなんて思ってなかった…。

「また怒られる」と怯えてどんよりした気分になるのではなく、それすら一緒に笑いに変えられる人が近くにいることはとてもありがたい。



「ところで、営業部の広岡鈴香さんってご存知ですか?」

もうすぐ会社に着くそのタイミングで、理佐は春菜に唐突に質問をしてきた。

「広岡鈴香さんですか?彼女だったら、よく経理部に経費精算で来てますけど…」

春菜が何気なく返事をすると、理佐はお礼を言い、歩きながらも何やら考えに耽っているようだ。

理佐の意図は、全く分からなかった。

おそらく彼女は、間違いなく“いい人”で、悪人ではない。でも部長との噂もあるし、今の質問も謎めいている。彼女は、何を考えているんだろう。

ーもしかして、この質問を聞きたかったがためにランチに?この人は一体何者なんだろう?

その時急に、強い風が吹き荒れた。春菜は、これから何か不吉な出来事が起ころうとしているような、嫌な胸騒ぎがしたのだった。

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春菜の嫌な予感は的中するのか?新たな人物・広岡鈴香と経澤理佐の関係とは。