手描き風の可愛いラベルのココナッツオイルで大ブームの口火を切ったブラウンシュガーファーストの代表取締役社長・荻野みどり(おぎの・みどり)さん。ビジネスを成功させても「月10万円あれば心豊かに生きていける」と話す彼女の軽やかな生き方とは?

職務経歴書3枚分の転職を繰り返して

──大学に4回入って、4回中退されたそうですね?

荻野みどりさん(以下、荻野):そうなんです(笑)。高校を出て、まず被服科の短大に入りました。留学したいという夢があったのですが、私が生まれ育った福岡は女性の生き方に関しては保守的なところで、21、22歳で結婚して家庭に入るというのが、親が私に求めたことでした。4年制の大学に進むのは無意味、留学なんてもってのほかという感じでした。

それでもどうしても海外に行く夢があきらめきれず、親を説得して1年生の夏休みに1ヵ月だけニューヨークに行きました。結果、やはり福岡に留まりたくないという思いが強まり、短大は1年で辞めることに。いったん福岡のアパレル関係で働き始めましたが、もっと外の世界を見たいと、今度は家出して上京してしまいました。21歳でした。やはりアパレル関係に勤めたものの、すぐに自分の限界が見えてしまい、またこの頃「20代のうちに生涯年収を増やさなくては」とも考えてホワイトカラーに転職することにしました。

──で、電器店でパソコンを売る仕事に就かれた。

荻野:まったくパソコンの操作ができないまま売ってましたね(笑)。それでも売りながら学ぶうちに、気がつくとパソコンが作れるまでになっていましたけど。この電器店で、通信ネットワーク販売の会社の方と知り合い、その会社に自分を売り込んで転職しました。販売員から営業職に転職したのです。この後も何度も転職を繰り返しました。職務経歴書を書いたら用紙が3枚必要なくらいです。

根っこにあるのは「自分が生きる分は自分で稼ぐ」

荻野:営業職に就いていろいろな人と会ううちに、自分が世の中のことをあまりにも知らないと気づきました。それで一般教養を勉強したくて放送大学に入りました。これが2つ目の大学です。仕事を続けながら夜間と週末は勉強に当てました。社会学、政治・経済、天体物理学まで。この中で衝撃的だったのが世の中の常識を片っ端から疑ってかかる社会学でした。

直接先生に会っていろいろ聞きまくりたいと思い、社会人入試で駒澤大学の社会学部へ。それが23歳の時です。当時は業務委託でヨガウェアのブランドの立ち上げをしていましたが、ちゃんと週5日通学しました。さらにその後、国連の広報センターでインターンをする機会があり、国際政治の現場を見て、もっとその世界について勉強したくなりました。で、今度は慶応義塾大学通信教育過程の政治学部に入りました。これで4つです。

──その身軽さ、行動力はどこから来るのでしょう?

荻野:一番根っこの部分には、自分で生きていく分は自分で稼ぐんだという強い思いがあります。それは保守的だった両親や故郷の因習への反抗心から出てきたのかもしれません。シンプルにわくわくすることを選んでいく。後ろ髪は引かれないと決めているんです。

いつでも月10万で生活できるスタイルを貫く

荻野:上京して間もない頃、とある商業施設でショッピングをしていた時のこと。突然、店内がぐにゃっと歪んで見えて気持ち悪くなったんです。すべてが計算され尽くした空間で、人々がイメージで操られ、扇動されて、消費している。そういうのを見て吐き気がするほどの嫌悪感が湧きました。それまで自分がやっていたことに幻滅しました。

で、自分を見つめ直そうと断捨離を始めたんです。当時、断捨離という言葉はありませんでしたが、とにかく「わたしにとって必要最低限とは何か?」と問い続け、炊飯器も電子レンジも捨てて、まさにスーツケースひとつの生活にしました。そうすると、最強の気分になれたんです。通信回線販売の営業をしていた時代、販売ノルマをいつも達成しており、月収は70万円くらいありましたが、そのうちの10万円で私は心豊かに生きることができました。

起業した今でも、そこのベースの部分は変わっていません。子どもができて最低限の金額が月10万円から15万円に増えましたが、15万円あれば心豊かに生きていける自信がある。自分がもっとも幸せだと感じられるライフスタイルの落とし所を知っているのが私の一番の強みなんです。

10億円を捨てる決断をした理由

──ココナッツオイルで大成功を収められて、仕事のやり方に変化はありましたか?

荻野:実はココナッツオイルのヒットは、ある程度自信を持って予見できていたんです。ブームを仕掛けていったと言ってもいいと思います。もともとモノを売るのはすごく得意ですから。

実際に成功してみて、今改めて思うのは、商売をする上で「わくわくしていたい」「より楽しい選択をしていたい」ということです。単純に売り上げを伸ばしていくよりも、世の中をよい方向に変える、よりよい未来を作るためのツールとしてビジネスを利用できたらと思っています。

──ココナッツオイルは世の中をよくするツールなんですね。

荻野:例えばココナッツオイルを加工するタイの工場は、日本でのブームで従業員が20人から100人程度になりました。が、それを5社、6社に増やすつもりはありません。バブルが弾けて急速に萎んでしまったナタデココ・ブームのようにはしたくないのです。

ココナッツオイル・ブームのさなか、自分はビジネスを通して何がしたいのか、ずっと自問自答していた。例えば、香りがしないココナッツオイルをうちのパッケージで出したら、10億円くらい売れたと思います。でも、製造工程で納得いかない工程が一つだけあって、私は結局商品化をあきらめました。それは私がやることじゃない、誠実にやっていこう、と結論して立ち止まったのです。

──次なる展開は?

荻野:スイーツのショップを始めました。まずはソーダとアイスクリーム。ヴィーガンの素材で白砂糖は使っていません。秋にはホットチョコレートとチャイ、ガトーショコラを出します。カカオなどの材料は極力オーガニックで。

キーワードは「東京ジャンクオーガニック」。これまでオーガニックやヴィーガンというと、まじめに、ストリクトにという感じだったと思います。それをもっと楽しくポップにおいしくやる必要があると考えました。我慢しないで楽しくおいしいものを食べて、それがたまたまカラダによかったという順番。

3年で50店舗の出店が目標です。東南アジア、イギリス、ヨーロッパ、中東へも出店を計画しています。スターバックスみたいに世界規模にしていきたいんです。私は常に30年先の目標を立てるようにしています。そこから逆算して事業を展開するのです。その30年後のイメージを社員とも共有して、それにわくわくする人にはついてきてほしい。そんな勢いにはついていけないという人には、「他に行った方がいいよ」と結構気軽に転職を勧めています。

荻野さんの1日
朝7時起床。娘の公文の宿題につきあったあと朝ごはんを食べ、娘の保育園の支度。夫と交代で娘を送っている。9時に家を出て出社。会食の予定がない時は、ランチは社員と食べに行く。毎週火曜は「社食」。ベジタリアンの専門家に来てもらい、自社の商品で料理を作ってもらう。6時半に定時退社し、娘を迎えにいく。会社に宅配してもらう食材で夕食を準備して家族で食べる。午後9時か10時には娘と一緒に就寝。残業がある時は娘が寝たあとにやる。

(浮田泰幸)