「おばさんの服装って何!?」63歳の“ド派手”インスタグラマーを直撃。ママ友や両親からの視線…昭和時代も“自分を貫いた”わけ
そんな固定観念を跳ね除け、ド派手ファッションに身を包むファッショニスタ・はる。さん(@rarara_narara)。63歳になった今でも服を楽しむことを忘れず、SNSで発信し続けるはる。さんのコメント欄には「元気をもらえた」「年を重ねるのが楽しみになった」という言葉が並ぶのだそう。
◆女性が服飾関係の仕事に就くのは狭き門だった
--カラフルなファッションをアップされているInstagramが年代を問わず人気ですね。とてもハイセンスに感じますが、本業は服飾関係なのでしょうか?
はる。さん(以下、はる。):いえいえ! ショッピングモールの中にある本屋さんでパートタイマーをしています。ファッション関係の仕事をしたことは一度もないんですよ。若い頃は服飾デザインの専門学校に通いパターンを引いたりしていたんですが、卒業後は住宅設備機器のショールームに就職をしました。
--服へのこだわりはその頃から?
はる。:そうですね。専門学校時代は周りの友達も派手で個性的な子ばかり。18~21歳頃は裏原宿系や自分で作った服を着ていました。
それから当時はDCブランドがバーッと一斉に登場した全盛期。コム・デ・ギャルソンやMILKなども着ていましたし、雑誌「Olive」(マガジンハウス)に載っているようなブランドも好んでいました。
--専門学校卒業後、なぜ服飾関係の道に進まなかったのでしょうか。
はる。:あの時代は、女性が服飾関係の仕事に就くことは狭き門だったんです。本社の企画職は難しく、洋服屋さんの店員になるという子が多くて。当時は「ハウスマヌカン」と呼ばれていましたね。私はデザイン職がやりたかったので、それなら普通の仕事でいいやと。一般職で働きながら好きな服を着ようと思っての選択です。
◆親からの大反対「近所の人に見られたくない」
--服飾関係の就職は、ご両親からの反対もあったと伺いました。
はる。:女の子は短大を出て一流企業で働いて、入社3年ぐらいで職場のいい人を見つけて結婚するんだよ」という時代だったので、服飾の専門学校に行くこと自体が親から大反対されていたんですよ。
服装に関してもいろいろと言われましたね。奇抜な服装をしているから「近所の人に見られたくない」「外が明るいうちに帰って来ないで」とか(笑)。そこは最後まで折り合いはつかなかったです。
