「スパイダーマンに合わない…」ミセスの“日本版主題歌”に賛否。曲は最高なのに“違和感”が残るワケ
◆ミセスファンは好意的、映画ファンからは違和感の声
ミセスのファンからは好意的な声が目立ちます。「これまでスパイダーマンに興味がなかったミセスファンが映画を知るきっかけになった」「歌詞を読むと、作品の世界観をしっかり研究して作られていることが伝わってくる」といった評価です。
もっとも、このようなプロモーション手法は今回始まったことではありません。映画の認知度を高めるため、人気アーティストの発信力やファン層への訴求力に期待して日本版主題歌を制作することは、長年続いてきた慣習でもあります。
けれども、それは主に90年代から2000年代前半にかけての話です。配信やサブスクリプションが主流の現代においても、この「日本版主題歌」というカルチャーの必要性は薄れてきたとも言えます。今回ミセスの起用に関して疑問を感じている人の中には、こうした構造的な変化を見ている向きもあるでしょう。
そう考えれば、肯定派にも否定派にも、それぞれ納得できる理由があります。ミセスのファンもスパイダーマンのファンも、音楽や映画を愛していることに変わりはありません。では、なぜここまで評価が食い違ってしまうのでしょうか。
◆「Brand New」は現代J-POPの頂点とも言える完成度
まず、「Brand New」という楽曲そのものは、J-POPとして非常に完成度が高い作品です。
軽やかなストリングスとヘヴィーなギターサウンドを共存させ、複雑なメロディーや短い転調を織り交ぜながら、誰もが口ずさめる「ドレミファソラシド」のようなシンプルなコーラスへ着地させる。そのすべてを約3分半に凝縮する構成力は、まさに職人芸と言えるでしょう。
「ミセスの新曲」として聴けば「Brand New」は期待に違わぬ出来栄え。まさに、現代のJ-POPの頂点というべき音作りです。
しかし、『スパイダーマン』の映像と組み合わさった瞬間、印象は大きく変わります。トム・ホランドの表情や所作、ニューヨークの街並みに「Brand New」が重なると、音楽が作品世界に溶け込むというより、切り離された存在として前面に現れてしまうからです。
映像の文法はあくまでも欧米映画である一方、ミセスの音楽は日本のJ-POPならではの語法で作られています。そのため、映画全体の中では音楽だけが「お客さま」のように映り、チームとして同じ目標を目ざして作られた創作という色合いを感じさせないのです。
◆曲が悪いのではない。映画と音楽の“表現のコード”が違う
スパイダーマンやMARVELのファンが違和感を覚えているのは、楽曲の出来ではなく、映画と音楽の「表現のコード」が異なる点なのです。
もちろん、これはミセスの実力不足を意味する話ではありません。むしろ逆です。ミセスというアーティストの個性があまりにも強く、確立されているからこそ、その存在感が映画の世界観と拮抗してしまうのです。
主題歌とは、本来は映画を引き立てるために存在するものです。作品の一部として自然に溶け込み、観客が音楽より先に映画の世界へ没入できることが理想と言えるでしょう。
その意味で、「Brand New」は優れたJ-POPでありながら、あまりにも「ミセスらしさ」が際立っていました。しかし、それゆえに『スパイダーマン』の主題歌という役割には収まりきらず、皮肉なことに一つの独立した作品として受け止められてしまったのです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

