双子の俳優として数々のヒット作に出演し一躍有名になった斉藤祥太さんと慶太さん。俳優の仕事が減って「知らない世界に飛び込んだ」という、職人としての現在を伺いました。(全3回中の1回)

【写真】「昔と雰囲気違う?」”ワイルド”な職人・斉藤祥太さん、慶太さんの現在(全11枚)

電気工と内装工の職人に

── 現在、芸能の仕事と並行しておふたりとも職人として働いていると伺いました。

斉藤祥太さん:自分は会社員で電気工事の仕事をしています。カードをかざすと入り口が開く電気錠のシステムがあるんですけど、そのカードリーダーをつける仕事です。仕事相手は企業が多く、最近だと麻布台ヒルズの現場も担当しました。

お揃いのニット帽とオーバーオールが可愛すぎ!小さい頃の斉藤祥太さんと慶太さん

慶太さん:僕は住宅や店舗の内装工事をしています。壁紙や床、塗装やリノベーションの工事もしますよ。自分はクロスと床に特化した職人ですなんですけど、内装の仕事は親方のところで3年間修行して、その後、独立しました。

── 数ある職種から、現在の仕事を選んだ理由を教えてください。

祥太さん:職人という仕事を意識したのは20代でしたが、10代から芸能の仕事の合間にバイトはしていました。友達の家が電気関係の仕事をしていて、何か協力できるんだったらというところからスタートして、解体工事やガスの配管工事もしていました。最初は全然わからなかったんですが、教えてもらううちにだんだん勉強したいなと思ってきて、今に繋がります。

慶太さん:僕もいわゆるガテン系の仕事をしている友達の仕事を手伝ったのがきっかけです。その後はスポーツインストラクターをしていたこともありました。やっぱり汗をかいて体を動かす仕事が好きだったのと、建築業界は身近だったというのが大きいですね。

本格的に始めたのは芸能の仕事が減ってきたことが理由ですが、仕事を待っているくらいなら何かしている方がいいなと。今は割合的に8:2くらいで、8が職人の仕事です。顔を見て声をかけられることもあるので、「テレビに出てたんだし、ちゃんとしなきゃ」って思うんですけど、今は一般人という感覚の方が大きくなっています。

── 毎年、夏の暑さが過酷さを増していますが、現場での仕事は大変ですよね。

祥太さん:見たことあると思うんですけど、仕事のときは作業着に扇風機がついた空調服を常に回してます。

慶太さん:内装工事なので直射日光はありませんが、室内なので蒸し暑いです。物入れとかクーラーがない場所での作業は特にきついですね。

「背中で語る!」壁にクロスを貼る仕事中の斉藤慶太さん

仕事を通して感じる「人の役に立つやりがい」

── ドラマや映画など、多くの方の目に触れる仕事からのギャップは大きそうです。

慶太さん:仕事を一緒にする人が変わりました。これまでは芸能人が多かったんですが、もちろん一般の方が仕事相手です。お客さんの家に直接お邪魔して作業することも多いので、緊張していましたね。今では慣れましたが、最初のころは在宅工事というと前日からドキドキして。だいぶ環境が変わったなと思っていました。

祥太さん:ドラマの撮影のときに、スタッフさんの裏方の仕事を近くで見ていて、実はそういう仕事に興味はあったんですよね。特に技術スタッフの方、カメラマンや照明、音声や録音の方の仕事風景をよく見ていました。今は電気工事の仕事をしていますけど、自分も裏方の仕事をしている感じがして楽しいんです。ずっと表に出る仕事をしていましたが、裏方の仕事は人の役に立つのがいいなと思いました。工具を使うのも、もともと好きだったんですよ。

慶太さん:へぇ~、そうだったんだ。

── DIYが流行っていますが、おふたりはプロですし、何かご自身で家に手を加えていることはありますか。

慶太さん:うちは賃貸なんですけど、クロスを貼って壁一面の色を変えました。引っ越す前に直せるようにするんですけど、子どもの身長がどのくらい伸びたかも壁に鉛筆でそのまま書いています。あとは内装ではないんですが、水道周りもいろいろと変えました。

祥太さん:テレビの裏の配線とか綺麗ですよ。テーブルの角とか、子どもがぶつかって危ないところにガードをつけていたんですが、それも剥がされてしまうので、しっかりビスで打ってます。

── さすがですね!芸能の仕事はふたりで出演する機会が多かったと思います。今はどうですか。

慶太さん:同じ建築業界なので、今も現場で一緒に仕事をすることはあります。僕らだと知っていて呼んでくれることもあります。僕が内装に入っている現場で、「電気は祥太にお願いできる?」と聞かれることも。芸能関係の方からの依頼もありますし、昔の話をしながら仕事をできるのも楽しいです。先日も在宅工事に行ったら「斉藤祥太くんですか?」と聞かれました(笑)。若いときより今の方が、顔の違いがわかりやすいんじゃないかなと思いますけど、やっぱりたまに間違えられます。

テレビデビューは幼少期から

── 芸能の仕事を始めたのはいつからでしたか。

慶太さん:小さいころに『おかあさんといっしょ』に出たり、双子や三つ子が出るタモリさんの番組に出たりしたことはありました。そこから数年はテレビに出る機会がなくなって、また久々に出たいねというような話から事務所に応募して中学1年で芸能界に入りました。

でも僕は、部活の部長をしていたので、ドラマ『キッズ・ウォー』への出演が決まったとき、最初は祥太から本格的に芸能活動を始めました。ふたりとも役者になりたいとか、映画俳優になりたいというのはなくて、漠然にテレビに出たいというところから始まって、いろんな作品に出させてもらいました。

── テレビやドラマが高い視聴率がとれる時代に、おふたりとも大活躍されていました。

慶太さん:当時はSNSがなかったので、芸能界や芸能人って神秘性がありましたよね。今はそれそれが個人として繋がれる時代といいますか。距離感はSNSの怖いところではあると思うんですけど、これはこれでひとつの形かなと思いますね。

── 芸能界の仕事が今に活きていることはありますか。

慶太さん:職種が全然違うので、直接役に立っていることって本当にないんですよ。でも、芸能でしか味わえないいい経験といいますか、普通の仕事ではできないことをさせてもらったなと思いますね。

38歳になった現在の斉藤祥太さんと慶太さん

祥太さん:ドラマ『3年B組金八先生』に出させてもらっていたころはすごく忙しくて。振り返ってみても過酷な生活をしていたなと思います。でも、そのおかげで今は多少のことでは動じなくなりました。「あのときの方が大変だった」と思うと、つらさを我慢できるようになったといいますか。慶太と同じで、仕事そのものが役に立っているというよりも、精神的な部分で芸能界を通して強くなれた部分はあるのかなと思いますね。

慶太さん:撮影は朝暗いうちからスタートして、太陽が沈んでから夜中までかかることも普通にありました。忙しさのあまり昔は適当にセリフを言ったり、居眠りをしていたりしたこともあったんですけど、今はもう絶対にそんなことはしないです。仕事はすべて真剣に取り組んでいるので、その意味ではだいぶ変わりました。

今はふたりとも家庭があって子どももいるので、芸能の仕事1本というのはそれなりの覚悟がないとできません。やっぱり芸能界は保障がないし、1年後にどうなっているかもわからない世界。手に職をつけた今は、芸能の仕事をするうえでも心の余裕ができました。責任感も昔より強くなったと思います。

PROFILE 斉藤祥太さん・慶太さん

さいとうしょうた・けいた。1985年生まれ、神奈川県出身。山形県金山町観光大使。44プロダクション所属。ドラマ『キッズ・ウォー』、『ホットマン』などヒット作への出演のほか、『王様のブランチ』レギュラー、映画『タッチ』では双子の兄弟として主演を果たす。現在は俳優業と並行して職人としても働く。

取材・文/内橋明日香 写真提供/斉藤祥太・慶太