クリスティーナ・ナポリタノ/デートDVの被害者。13ー16歳の間付き合っていた彼から暴力を振るわれた。その多くが性暴力だった(撮影=大藪順子)


>>【前編はこちら】レイプされたのはあなたのせいじゃない―被害に遭った女性ジャーナリストが、被害者を撮り続ける理由

性犯罪被害者たちを撮影した写真展「プロジェクトSTAND:立ち上がった性暴力被害者達」(※)を現在開催中の大藪順子さん。大藪さんは、被害者がカメラの前に立つことは、性暴力への偏見をなくすことにつながると言う。後編では、性犯罪がなくなるために必要な教育や意識の転換について聞く。

セックスは暴力的で支配的なものではない

――前編でお聞きした「ステレオタイプ」の話もそうですが、性犯罪は被害の内容を明らかにしづらいこともあり、実態を知らずに思い込みで考えていることも多いように感じます。

大藪順子さん(以下、大藪):性犯罪は性欲が強い人が行うと思われがちですが、アメリカでは、性暴力は性欲よりもむしろ支配欲によって行われると考えられています。他者を支配下に置きたい、コントロールしたいという欲望です。自分より強いと思う相手に行う行為ではない。さらに加害者の特徴でよくあるのは、「自分の行動の責任を自分で取らない」ことです。なんでも人のせいにしたり、「あの子は僕と目が合って『されたい』って思っていたからしてあげた」と思っていたり。

こういう人にこそカウンセラーが必要ですけど、自分がおかしいことを知らないからカウンセリングに行かない。こういった意味でもまず、学校できちんとした性教育を行わなければいけないと思います。子どもたちが最初に出会う「性」が、アダルト雑誌や動画ということもある。そういうもので描写される「暴力的で支配的なもの」がセックスだと情報が伝わってしまうのは問題だと思います。

日本の子どもは「NO」と言う教育を受けていない

――子どもに対する教育は、どのようなものが必要だと思いますか?

大藪:アメリカで私の子どもが年長クラスだったときに、こんな授業風景がありました。相手に「ハグしよう」って言われたときに、「自分がハグしたくなかったらしなくていいよ」と先生が言うんです。「今はハグしたくない」という人の「NO」の意志をリスペクトするべきだし、言われた方も「NO」と言われたからって傷つく必要はない、と教えるんですね。

日本では子どもに「人に優しくしなさい」「親切にしなさい」と教えるけれど、「NO」と言うことを教えない。基本的には人の言うことは受け入れなさいという教育です。そこでその人の権利は潰されてしまっている。その意識は改善点があると思います。

「NO」と言う権利を知らないと、被害に遭ったときに「言わない方が得なのではないか」「何も言わなければ人に迷惑をかけないのではないか」と思って、一人で苦しんでしまいます。

性犯罪被害は「女性問題」ではない

――大藪さんは警察関係者に対して研修として講演を行うことがあるそうですが、それはどんな理由からですか?

大藪:被害者の中には交番で門前払いを受ける人も多いのです。(この記事の前編で)私の受けた被害は「白黒はっきりしていたケース」と言いましたが、彼氏や元恋人から性暴力を受けた人は「犯罪じゃない」と言われてしまうことも多い。血を流して交番に駆け込んでも「同意の元では?」「付き合っていたんでしょう?」と言われ、訴えることをやめる人もいました。ですから、交番にいる人に被害者のことを知ってもらうのは重要です。

――研修の反応はどうですか?

大藪:みなさん真剣に聞いてくださいます。警察官になろうという人は基本的に「正義の味方」だから、「暴力は加害者の意識でしか起こらない。被害者の責任ではない」と話すと、すんなりとわかってくれます。被害者は調書を取る際などに「なぜ抵抗しなかったの?」と聞かれて傷つくことがありますが、「逃げたいと頭では思っていても、体が凍り付いて恐怖で逃げられないことがある」と話すと、「そういうことは初めて知った」と言われます。

――実体験を聞いて初めて理解できることがあるんですね。

大藪:はい。それからよく、性犯罪被害は「女性問題」と言われてきたけれど、女性が引き起こしてきたわけではありません。加害者の大半は男性なので、むしろ「男性問題」なのです。そう説明して考え方の転換をするとわかってくださる方も多いです。

被害に遭ったことを踏み台にして生きていく

――大藪さんの作品の話に戻りますが、取材や撮影ではどんなことに気を遣いましたか?

大藪:まず、「写真に写ってもいい人は私のメールアドレスに連絡をください」というかたちで募集しました。アメリカは広いのでいろんな場所に被害者がいます。会いに行くまで半年間ずっとメールのやり取りを続けたりして、少しずつ信頼を築くようにしました。被害者同士で分かり合えることは多いです。

――被害に遭った人たちが写真に写ることで伝えたいのはどのようなことでしょうか。

大藪:その人によってそれぞれですが、自分の身に起こったことに意味を見出すというか、それが誰かのためにならないかと思っている人が非常に多かったです。

プロジェクトに参加することで、「苦しかったけれどその苦しみは無意味ではなかった」と思える人もいると思います。大変な目に遭ったけれど、それでも自分は生きている。その証拠が欲しかったとかね。

悪意のある人はいなかったですね。たとえば「加害者にリベンジしてやろう」というような。そうではなくて、前に進もうとしている。加害者がつかまっていなくて、見えない加害者にコントロールされているような恐怖を感じている人もいます。でも公表することによって、「私はあなた(加害者)が怖くない」と表現する。ある意味開き直る。そういうプロセスを得られるのかなと思います。

一つ言えるのは、カメラの前に立った被害者の方たちは、その後みんな強くなっているということです。すごく活躍している人もいるし、自分の本を出している人もいるし、自分の道を生きている。被害をきっかけにして、踏み台にして生きていく人たちがいるんです。「隠れて生きなくてもいいんだ」と知ることは、力を得ることにつながるのだと思います。

(小川 たまか/プレスラボ)