仕事、恋愛、人間関係……30代となり、いろいろな方面で決断を迫られ「なんとかしなきゃ」と思いながら、悶々と日々を過ごしているウートピ世代のみなさん。その数かぎりない煩悩に浄土宗僧侶の掬池友絢(きくち・ゆうけん)さん答えてくれる「この身今生一度きり、釈迦で解決!」。今回のお悩みは「悪い男に惹かれてしまう」です。

相談:いわゆる「いい人」を好きになれません。「いい人」から付き合ってと言われたこともあります。でも全然ダメなんです。私が好きになるのは、冷たい人だったり、定職のない人だったり、バンドマンだったり、軽薄なバーテンダーだったり……。友達には「いい人を好きになる努力も必要」「女の子は愛されてナンボだから大事にしてくれる男の人を選んだ方がいい」って言われます。このままじゃ幸せになれないんでしょうか?

釈迦の回答

――恋愛には「ときめき」が大事という意見はありますよね。

掬池友絢さん(以下、掬池):悪い男の方がスリリングなことは、確かにあります。追いかけることでワクワクして「恋愛している!」っていう気分に浸れるならばそれはそれでいいことだと思います。

しかし、ここで考えてみてほしいのです。この連載でも何度か言及した通り、仏教的にもっともよくないとされるものの一つに「とらわれ」があります。思い込みにより物事を歪めてしまうことは、私たちを「悟り」から遠ざけます。

「悪い人」が好き、というけれど、好きなのはその人自身ではなく、その人から与えられる刺激ではないでしょうか? 「いい人」が嫌いというけれど、それはこれまでに会った何人かのつまらない「いい人」のイメージにとらわれて、相手をきちんと見つめられていないだけではないでしょうか?

--確かに、深い付き合いもしていないうちから「いい人=つまらない」と思ってしまう傾向はあるかもしれませんね。逆に「自分はこういうタイプが好きだから悪い男に惹かれてしまう」という思い込みもあるかも。

掬池:人との出会いは化学反応みたいなものです。思い込みにとらわれている状態から解放されなければ、冷静な判断はできません。

恋愛は「四諦(したい)」で読み解こう

掬池:相談を読んで感じたのですが、好きになれるか否かは別として、「いい人」と付き合ったら人生が好転すると思っているフシが相談者さんにはあるようです。「いい人」を好きになりさえすれば、ハッピーエンドが迎えられる、というような。でも、それは間違いですよ。

お釈迦さまが説いた教えの一つに「四諦(したい)」があります。これは悟りにいたるまでの方法論を説いたものです。四諦とは「ものごとの本質を明らかにすること」。シンプルにいえば「真理」です。

四つの真理とは、

一、苦諦(くたい):人生は「苦」であるという真理
二、集諦 (じったい):苦の原因を明らかにする真理
三、滅諦(めったい):その苦を滅した境地が「悟り」であるという真理
四、道諦(どうたい):苦を滅する方法は「八正道」の実践である

以上の四つです。

一つ目の「苦諦」とは「人生は苦、自分の思うようにならないのが前提である」という意味です。「いい人」と付き合っても、何かしらの苦しみはあるし、何もかもが自分の思うようになんてなりません。

仏教的に、「好き」ってなんですか?

――仏教的な「愛」の定義ってどういうものでしょうか?

掬池:仏教では愛は「慈悲」や「慈愛」と解釈されています。それらは、つまるところ見返りを求めないものです。

――相手を「いい人」か「悪い人」に分類しようとしたり、「愛してくれない」と不平をもらしたりするのは、結局のところ、自分がその程度の愛しか与えられていないということなんでしょうか?

掬池:「思い込むこと」は自分の身を守る手段でもありますが、それを壊していくこともまた楽しいですよ。心の扉を打ち開き、「とらわれ」や「分別」を捨て、自分の愛と向き合ってみてください。その結果、「やっぱりこの人が好き」というならば、その愛に打ち込みましょう。

どんな苦しいことがあっても、それはあなたにも相手にも罪はないこと。なぜならば、人生は「苦しい」ものなのですから。

今回の教え:いい男はつまらないと思ってしまうのも、悪い男に惹かれてしまうのも、「とらわれ」のせいかも。「いい人」と付き合っても、「悪い人」と付き合っても、苦しみがあるのが人生です。相手をしっかり見つめて、自分の心を決めましょう。

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(真貝友香)